魂のかけらを集める旅路

ソウルフラグメント(魂のかけら)という概念を、知識として知ったのはシータヒーリングを習ってからですが、それよりも前に子供の頃から、

(誰かに殺害されても死なないように)魂の一部を別の場所に分けて保管する

という技を自分が使っている(からこそ強靭な肉体を持っていられる。けれど、今の自分は本当の意味で完全な状態じゃないし、全力が出せない)ような気がしていました。

だから少年期の私は、自分の魂のかけらを探すというライフワークをひそかに持っており、場所や人(のエネルギー体の中)、物などに自分の魂のかけらが入っていないかどうかをスパイのように、他人に気づかれないように探る行動をしていました。
(それこそ、セーラームーンSで、ウラヌス&ネプチューンがタリスマンを持っていそうな人をマークして監視したり友達を装って近づき、隙をついて心の結晶を奪うというようなことをしていました←後ろ暗い記憶)

この概念はフィクション作品のなかでも描かれることがあり、代表的?だと私が思うものを挙げるなら、

・ひょっこりひょうたん島「グレートマジョリタン」編
 (魔女が不死身でいるように、魂をトランプに託している→だから肉体を攻撃されても死なない)

・ハリーポッター
 (ヴォルデモートの分霊箱→1つでも分霊箱のなかに魂のかけらが残っているうちは肉体は不死身)

でしょうか。

これらの作品に触れたとき、ものすごくぞわぞわして「これは本当にある術だ」と感じた覚えがあります。

さて。魂のかけらのいくつかはシータヒーリング習得前に、地道な方法で回収していたのですが、そのなかでも1つ、象徴的?なエピソードをお話しましょう。



まず中学生のとき、機動警察パトレイバーという作品がアニメ化されていたのですが、べつに興味を持てず放送も観ていませんでした。

が、アニメのスピンオフとして小説化された「香港小夜曲」という本が異常に本屋で目に入り、気になっていました。が、買いませんでしたし、読みませんでした。

そして時は流れ。

2007年、連休があったので「どっか海外でも行くか」と漠然と思って香港行きのチケットを予約。

でもその直後からものすごいブロックが発動して旅行に行きたくなくなり、ほんとに飛行機に間に合わなかったという始末(わざと、搭乗に間に合わない時刻に空港に着くよう計算して動いておきながら、いざ飛行機に間に合わないとわかった瞬間の空港での絶望ったらない)。

それでどうにも気がおさまらず、近々の次の機会にやっぱり香港行きたいなー、といろいろネットで調べていて、実に10年以上ぶりに「香港小夜曲(←注:本のタイトルは『サードミッション』になっていますが、その本のなかの短編として収録されています)」がヒット。

あぁ、こんなのあったなぁ、という記憶が蘇り、また会社員生活のなかで勉強のためと思ってパトレイバーのアニメシリーズは全部観ていて登場人物などは把握できていたので、小説を読んでもわかるだろうとの算段からAmazonで注文。

それで「香港小夜曲」を読み、「これは香港に行くしかない!」というような心地に(←ごめんなさい、ここ、あえて抽象的に書いてます。うまくいえないけど、その当時の自分は、人間味の欠片もないロボットみたいな人間になってしまえば人生はラクなんだろうなとの算段から、努めて感情を抑圧し続けるキャラでいました。でも、そのままじゃもったいないような気が、どういうわけかこの小説を読んで思ったのでした)。

でもって翌月?だかに早速、香港に行き。

そこでとびっきりの魂のかけらを見つけて、エネルギー的に統合して。

その瞬間の、

世界が初めてカラーで見えたような感動

は、言葉では言い表せないほどです。

ゾンビだった自分が生き返ったような、文字通り 失われていた力を取り戻したような感覚。

(この日、この人生ではおそらく初めて、時間が逆に回ったのを自覚しました。いったん夕方になっていたのに、魂のかけらを取り戻したら時間が昼まで巻き戻ったんです。これが自分の力だ、と自分に再確認させるみたいに)

このあと、魂のかけらの還元法をシータヒーリングで習得したこともあり、わざわざ自分があちこち出向いて魂のかけらを探すことはしなくなりましたが、特別な体験だったなぁ~と思います。
P.S
そもそも自発的に、誰かに攻撃されても死なないように自分の魂エネルギーの一部を分断してどこかに隠しておくなんて、卑怯者というか、ぜんぜん潔くないし、どんだけ杞憂なんだよって話ですね。

自分が災厄に見舞われることすら、潜在意識までもを含めた自分の自由意思で現実に引き起こしているわけだから、本当に自分が自分の心の手綱を握れていれば、そんな保険かけるまでもない。
つまりは、自分で自分の現実を制御できません的な無力と、それによる「もし大変なことが起きたらどうしよう」という恐怖にかられて、そんな技を使う気になったのでしょう。
(といっても、私が自分にこの技をかけたのがいつなのかは、よく覚えていないというか、少なくとも今回の人生ではないなという感じなのですが)

魂の分割はエネルギーワークのなかではものすごく高度なのでしょうけれど、正々堂々と自分の生きたい現実をマニフェストできていさえすれば、そもそもやらなくても済む話。なんか、不毛だなぁ、と思います。

まぁ、そんなところも含めて、過去の自分をまるごと
「そんなことやっちゃう俺かわいい!」
と肯定して受け入れてあげたくなっちゃうのが、私のおめでたいところなのでしょうか。

なーんてね。
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