娯楽としてのネガティブ(に勝てる?誘惑を振り切れる?)

「もう、ネガティブなことはたくさんです。もう要らないです。手放します」

セッションで誰もが言う言葉。

でもさ、ほんとにできる?……って思います。

なぜかというと、ネガティブな想いに浸ること自体が娯楽と化しているようなところがある人にとっては、ヘビースモーカーが突然にタバコをやめろと言われてしまうようなものだからです。

「え?ネガティブが娯楽に?そんなわけない」

と思う人もいるかもしれません。が、たとえばそういう人を見知らぬ人の輪に突然入れて、

「はい、なんか面白いこと話してください」

と無茶振りすると、普段ネガティブなことや愚痴、ゴシップ談義で楽しむ習慣&思考パターンしか培ってこられなかった人は、結局、何かへの愚痴やら後ろ向きな話やらしか、思いつかないわけです。
(仮に最初の1つ2つがそうでない話題でも、『他には?他には?』とどんどん追い込んで行くと、その人の一番お得意なパターンの話題しか出てこなくなります。たいてい、『〜のバカ野郎』『〜がムカつく』などなんらかの雛形に落ち着きます)

発想からして、ネガティブな型にはめた捉え方しかできないというか。
(だからたとえば、『〜なんて結局〜じゃん』とdisる型しか持ってない人は、どんなに素晴らしいものを見ても、自分のお得意の型でその見聞きした体験を記憶するので、日常でふれるもの感じるものすべてが愚痴のスタイルになっていたり、重箱の隅をつついてでも悪い所を見つけようとするし、また見つけるスキル&センスだけは物凄く洗練されていて上手いんです)

そして、どこをどうこねくりまわしてもまったくネガティブに捉えられる隙がない、と感じると、居心地が悪くて息苦しくなって、その場から逃げ出したくなるw

そういう習性がまだ体感としてバリバリ残っている状態で、「もうネガティブはたくさん」なんて、どんだけ頭でっかちなんだよというか。

だからといって私は別に「だから現時点でネガティブな人間は変われない」とは思いません。

ただ

変わるってことは、自分が頭で思っている以上に大きなことなんだ

という自覚があるといいよね、という感じです。

そして潜在意識を変えるワークだかをやった後は、顕在意識側でも、行動や思考のいちいちで

「あ、いままた以前と同じような考え方をしてた」

「昔の思考パターンで考え事してたときの記憶を呼び覚まして脳内再生してしまった(≒以前の自分の思考パターンに自分を洗脳するビデオテープを見てしまった)」

という捉え方ができるようになるといいよね、というご提案。

なんたって、

自慢と愚痴は、原始時代から続いてきた、我々人間にとっての、もっとも手軽で親しみやすい娯楽

だったのは間違いないわけで(昔はテレビも新聞も雑誌も電話もなくて、身近にいる人と会話するしかない。ただ平坦な会話だけしてても面白くないから、自慢するとか愚痴るとか、高低と緩急をつけてリズムと色合いを変化させてたわけですな)。

DNAに1万年近く、刷り込まれてますから。もう、動物的本能に極限に近いところまで、がっつり遺伝的記憶情報として入っちゃってますから!!

その、先祖代々脈々と培われてきた行動特性を「変える」ことが、どんだけの重みを伴うか。

ゆめゆめ軽々しく「もうネガティブ要らないです♪」なんて言うなかれ……。

なーんて、脅してみるw
関連記事
スポンサーサイト