レミニッセンス効果を期待して生きる

レミニッセンスについては、ネットでザッと検索してもいろんな意味があり特定しにくいのですが、ものすごく雑に言うと、

練習した後の「サボり期間」を経たあとで、なぜか(実は脳内などで神経の形成などが進んでいて)物事が上達している

効果といったところ(のようです)。

レミニッセンス効果は練習や学習後2~3日でピークになる、など諸説ありますが、個人的感想だけで無責任に言っていいなら、もっと数週間~数ヶ月単位である印象。

私が個人的にこのことを自覚したのは小学生の頃に柔道をやっていて(←たぶんブログでは初登場の情報)、2ヶ月くらい予定があったりサボったりでしばらく練習を休んでいて、急に復帰したら以前よりすごく強く上手くなってるのに驚いたのがきっかけ。

当時はレミニッセンスという単語としては知らなかったし、この実感を誰かに話したこともなかったのですが、どうやらそういう効果があるぽいことを直観的に把握しました。

それで、自分の場合は本当に、勉強だの運動だのをストイックに自主的にやるほうではなかったのですが、勉強でもスポーツでも、この

レミニッセンスを最大限に活かした、最小限の労力&時間の学習(or練習)

のリズムというかコツというかを体得していたこともあり、なんでも器用にこなせるクセがついたようなところがあります。

このコツは、言葉ではとても説明しにくいのですが、あえて説明を試みるならば、

1.[仕込み]頭と体が悲鳴を上げる一歩手前、あるいは「フェイクとしての悲鳴(←まだ余裕があるときあらかじめ上げてみる悲鳴)」を出してからさらにもう一歩、のところまで、ガシガシ勉強なり練習なりを、(物凄い集中力で)一定期間、する。
(この期間は、マスターしたい内容の難易度や量にもよります。数十分でもいい場合もあるし、数時間、数日に及ぶ場合もある。あるいは、毎日のタスクとしてコツコツやってる内容であることもある)

2.小脳だかどこだかわからないけど、頭が「要はこういうことをやりたいのね?そのための神経を構築すればいいのね?それが上手にできるようになるための情報を集めるようにすればいいのね?」と納得して動き出したら、学習や練習をあえて、やめる。
(自転車でいえば、ヒョロヒョロよろめきながらも、すぐには倒れずどうにか走れるようになったかな、くらいのところ?←それ以前にやめてしまうと、あまりレミニッセンス効果が働きません)

3.日々、なんとなく「あー、いま、脳のなかで情報がどんどん蓄積して、整理されて、新しい回路ができあがっていきつつあるなー」ということを感じ取る。

4.1で取り組んでた頃のうんざりした気持ちが消えて、純粋に「久々にやってみるか!」と楽しい気持ちで思えたら、やってみる。(と、レミニッセンス効果により、うまくなっている)


……というもの。なんて抽象的な。

レミニッセンス効果を自覚的に使えるようになると、「そろそろかな」と思ったとき、試しに以前やった勉強やら運動やらをやってみて、「はたしてどのくらいレミニッセンス効果が働いて上達したか」を検証してみる、といったこともできるようになってきます。
で、「おぉ、けっこう上達したな」とか、「あー、あんまり効果でてねえな。仕込みがたりなかったか?もっと寝かせるべきか?」と判断して軌道修正したり。

個人的な実感ではレミニッセンスは、ダンスや楽器の演奏など、こまかい&日常生活では普通にしてたらやらない、特殊な運動に特に向いている実感があります。
勉強面でいうと、記憶の定着というよりは、それこそ「簿記学習者が電卓を神業的な早さで打てるようになる」みたいな、勉強ではありつつも運動的というか、体育的技能としての側面が強い領域だと、レミニッセンス効果が出やすいぽい。



……って、私ごときたいした能力でもない人間が何を、という感じの説得力しか持ち得ない内容ではありますが、少なくとも「私ごときたいした能力でもない人間」が、身分相応な世界で生きるうえでは、活用するとけっこうラクになりますのよん。

サボっていて上手くなるレミニッセンス効果と対になることをあえて偉そうに言わせてもらうなら、

脳が思考停止してほとんど情報収集とか学習機能を果たしていないのに、義務や惰性や努力目標で続ける長時間の学習・練習は無意味

だとも思います。

それこそ「毎日○時間、勉強する(or運動する)」系の、時間で目標を立てちゃう人って、たいして能率がよくないことのほうが多いですよね。
(それこそ試験前や試合前に無理に詰め込みすぎて徹夜とかまでして、結局、試合では負けたり、テストで散々な結果で終わってしまったり)

(注:例外として、あえて限界まで自分を追い込み、それでもやめずに続けたとき、火事場の馬鹿力的にそれまでの『自分は全力を出してもきっとここまでだろう』という枠を超えられるという恩恵も、あるにはあると思います。プロと言われるような音楽家、楽器演奏家、ダンサー、歌手、運動選手などは、今の自分を超えるべきタイミングにさしかかるとわざとこうして、まず自分の脳に『あ、自分はここまでできちゃうんだ?』と思わせることで、『できちゃうレベル』をどんどん上げたり拡げたり、ということをしている実感が、周囲のそういう人をみていてあります)

やっぱり、時間も人間の体力精神力その他もろもろも、1日は24時間といったふうに限られているのは確かなので、うまいこと効率を上げて、時間を節約しつつ結果を出すという視点は1つ、持っていたいものですね。との意味で、ご紹介してみた次第。


P.S

ただ、ここでは個人が望む現実を生きる(うえで必要なスキルなどを獲得する)うえでの、コストとしての時間や労力をカットするのをよしとする観点から書きましたが、カイシャなどでは、効率性がどーたら、と迂闊に言ってしまうと(そのカイシャで働く人がどんなマインド・仕事に対するスタンスでいるかにもよるのですが)

「効率性とかほざいて、結局サボりたいだけだろ。早く帰りてぇなんて会社員として恥ずかしくないのか。どんだけつらくても、遅くまで平気で残って、不平不満を一切言わずに仕事する。それがまっとうな人間ってもんだ」

と、自分のほうが反感を持たれて悪者にされるリスクがあります。

あくまで、効率を重視したテクニックは、自分個人の生活において発揮するのが、安全っちゃ安全かもね。

あるいは対外的にであっても、関わりのある人たちが「効率性を上げたい!もっとラクに、変な面倒なく物事をうまく進めたい」と願っているならば、効率性のUPを発揮しても褒められる、受容的になってもらえるかもしれません。

……って、ここまで書くと、「なんでそんな大袈裟に?」と思うかもしれませんね。

いや、なにせ私、エクセルでアンケートの集計をしてて年下上司から

「横着してないで、徹夜してでも指折り数えろ!なんだかんだいってそれが一番、正確なんだから!」

と怒られちゃうようなカイシャに勤めてたもんで。

(自分が、自分個人の裁量範囲内の仕事を、効率よく正確にチャチャっと終わらせたときの周囲のあの、『許せねえ
』『普通に考えたらできないはず。ぜったいズルしてる』『クオリティが低いのに終わりにしただけなんじゃ?』『俺はまだ全然終わってねえのに自分だけ良い思いをしやがってムカつく』系のあのネガティブな反応ったらw)
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