言霊を使う専門家、と呼ばれて納得する

超感覚ヒーラー、と職業を名乗っていると、

「自称・霊能者? バッカみたい。インチキ野郎が何言ってんだか」

という自虐的な思考が頭をもたげてくることがあります。

また、

「自分は善かれと思ってやっているけれど、世間的に見ればこんな仕事は、詐欺と思われても仕方が無い業種。大の男がいいトシしてこんな仕事で食ってるなんて、なんだか悪いことをしてるみたいだなぁ」

という罪悪感も抱きがち。

先日、そんな話を冗談混じりに(スピリチュアルなことには全然興味も知識もない)友人にしたところ、その友人は

「でもさ、霊能力とか超能力を抜きにしても、カウンセリング形式の会話をするなかで、言葉を発するわけでしょ。それが役に立ったと言われるわけでしょ。だったらコンサルティング業としては少なくとも成立しているよね。それに、人の心の有様を言葉で表現したり、人の心を動かせるだけの言葉を紡ぎ出せるってことは、言霊を使いこなせてるってことじゃん。立派な専門職だよ」

と、べつにこちらを憐れんだり同情しているふうでもなく、「普通にそう思う」という風情で言ったんですね。

これが思いのほか、嬉しくて。

というのも、ただ自分を肯定してくれたからというだけではなくて、まさに「ここがお金を貰うに値する専門スキル」と自分で自負してるところを、(自分から言う前に)他人から賛同してもらえたからなんです。

自分はもともと、喋りを仕事にしたくて、でも具体的にどういう方法でそれを実現したらよいかわからないままうまくいかず、今度は文章を書いてお金をもらう記者・ライターになったものの、大きな案件をバシバシこなすというでもない……という中途半端なところでくすぶっていました。
しかもそのくすぶりの源泉が、「全力を尽くしてあらゆることに挑戦しても、鳴かず飛ばず」だったらそれはそれで諦めもつくのに、

「自分の喋りや文章の表現力を発揮すべき場は、ここじゃない気がする」

という、「動機が成立しない」という点にあったため、いまひとついろんな行動を起こすに至らず、したがって(たとえ失敗であってもいいから)経験値がほとんど蓄積せず、ただボーッとしていたようなところがあったんですね。

そうこうしているうちに、世間の「職業別 市場価値」みたいなものでいうと、声優・ライター・編集者はほんの一部の伝統ある一流ブランドがあるメディアを除いては、「未経験でも可」「専門能力など必要ない、誰でもできる仕事」という位置づけになっていき、どんどん価値が下落していった感があるんです。

自分が打ち込んできたジャンルが「そんなものは専門職とはいえない。誰でもできること」とみなされ、また見る人が見れば(or聞く人が聞けば)雲泥の差がある文章や喋りが世間一般の人たちにとっては「どれも同じ。誰でもできることでしょ」と評価されてしまうのは、言葉では言い表せないほどの屈辱でした。
(本当に不思議なのですが、いわゆる『お笑い芸人やアイドルが“声優に初挑戦”といって取り組む洋画の吹き替え』と、匠の域とされる声芸を持つベテラン声優の演技、一般的には『同じ』に聴こえるんですか? 本当に違いがわからないものなんですか?)

またそれらと同時に、私は自分が身につけた言葉や喋りのスキル?に、ある程度以上の自信というか、「あぁ、こういうところがこんなふうに、このくらいできているな」という自負を持てるようになっていました。

それらがあわさって、

本当に自分のスキルが活かせる&活かしたいと思える場で、活かす
そして、それが正当に評価される


ことを渇望するようになったんですね。

それがやがて、スピリチュアルカウンセリングという今の業態と巡り会い、「これだ!」という感触を得、仕事として独立するところまでできていよいよ満足できそう、という流れにつながりました。

ただ今度は、お世辞にも素晴らしいとは思えない在り方でスピリチュアルカウンセリングなどと称するサービスを提供する人たちにうんざりしたり、そういう人たちを「良い」と評価する人たちがいるということに遭遇して

「え?なんで?」

と、信じられない思いでショックを受けるという経験をしたんです。

自分のエゴや価値観をゴリ押しで主張して相手に押しつけるヒーラーと、気弱で他人から強引にリードされるのを望むクライアント。

霊的な進化・無条件の愛といった綺麗事を並べつつ、その実は単に金儲けをして自分は特別な才能をもった選ばれし優れた人間だ、という選民思想的な優越感を得たい人たち同士で集まって「俺らってスゲエ。俺ら、愛って何かわかってる」と同じ穴の狢同士で真実味ゼロのことを言いあってお互いに真実から目を逸らしあう排他的な人々の集まり。

ただの思いつきや支離滅裂なイメージの羅列をすべて「意味のある直観」と信じ込んで客に意味不明なトークを繰り広げる霊能者と、「どうせ霊能者なんてそんなもんだろ。こっちも気の迷いと気休めに来てるだけだし」と割り切って侮りつつ、笑顔で応じるクライアント。

etc,etc……。

そうした、確固たる基準がない曖昧さが通用してしまう業界だからこその事象を目の当たりにすることで、

「なんか……論理的一貫性を持つとか、データ面からいってちゃんと正しいことが検証される内容(たとえばどこの都道府県出身か、何歳かなど)を言うとか、ヒーラー側の意見の押しつけをせずクライアントの自由意思を尊重するとか、独善的かつ安直に『愛』だの『癒し』だのといった(本来は重い意味合いをもつはずであろう)概念を軽々しく振りかざさないとか、そういう『真っ当さ』に注意を払って営業してる俺みたいな人間は、割に合わない努力をしてるみたいで、バカらしい」

と思うことがでてきました。

そして気持ちがぐらつくときには

「もしかして、自分は同じ業界のなかでも真っ当にやっているほうだと自負しているけれど、それは自分からみて尊敬できないと感じる同業者それぞれがおそらく自分自身では『自分は真っ当にやっている』と自負しているのと同じで、ものすごい勘違いなのではないだろうか」

という懸念に動揺することも起きたりして。

そして、イマドキの、すくなくとも本人は真っ当に努力しようと誠実に営業しているヒーラーや霊能者がどういうものかも知らない、知ろうとしない人が

「霊能者とかってさ、曖昧なことを言って、当たってても外れててもどっちも同じ、みたいにするんだよね。そうやって言葉のトリックを駆使して客を騙すんだ」

みたいなことを、(そういう言葉を聞いたら傷つく霊能者やヒーラーがいるということなどおそらく微塵も考えることなく、ごくごく軽いノリで)言うのをたまたまにせよ耳にすると、極端な話、

「そもそもこの業界でいくら努力なんかしたって、誰にも『正当な評価』なんてしてもらえないんじゃないか。もしくは、『インチキの詐欺師』というのが、正当な評価として不動のものとして与えられて終わりなんじゃないか」

という暗澹たる気持ちになったり。

……ということを、ひととおり経験した後での、冒頭の友人の言葉だったわけです。

私はとかく悲観的に、悪いほうへ物事を考えがちな傾向がただでさえあるのですが、こういう体験をすると、

「あぁ、世の中にはちゃんと、悪い偏見や先入観で酷いレッテルを貼ったりすることなく、こちらの努力とその成果を肯定的に評価してくれる人もいるものなのだなぁ」

と少しだけ安心するのでした。



って、前向きなんだか後ろ向きなんだか全然わからない内容だなぁ、この記事。
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