「何についてどう感じるべきか」を決めて自分を調教する

今日の記事はとりわけ、異論アリアリに感じる人がいるかも。

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(2012/04/12)
ジェームス・スキナー

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で述べられている手法なのですが、

いまの自分のありのままの感覚で、何をどう感じるか、ではない。

自分が理想とする(未来の)自分であれば、何をどう感じるようであるべきか、だ。


という内容が述べられます。

言ってる意味、わかりますかね。

たとえば人間が嫌いで、人付き合いはひたすら鬱陶しいだけに感じる、パーティや誰かとワイワイ集まって楽しむことは苦痛でしかなく、まったく興味がない……というのが、いまのありのままの感覚だったとしますよね。

でも自分の理想は「大勢の人に慕われ、頼られ、ビジネスでもプライベートでもみんなの指揮をとるリーダー」だとします。

そして、

「その理想が叶った状態の自分は、人間についてどう思っており、人付き合いに対してどんな印象を持っており、パーティや誰かとワイワイ集まって楽しむことをどう感じ、どのくらいどんな興味を持っているだろうか」

を考えるわけです。

すると、

・人間のこと→好き、面白い、興味深い、いろんな人がいて新しい人と出会うのが楽しみ

・人付き合い→自分の意見と異なる人の良さを知る絶好のチャンス!嬉しくて仕方ない

・パーティやみんなでワイワイ→たまんねっす

・人と一緒に遊ぶこと、交流を持つこと→めちゃくちゃしたい!たまらなく興味アリアリ!

と感じるようであろうことが想像つきませんかね。

となると、今の自分のありのままの感覚とのズレが丸わかりですよね。ギャップありすぎ。

そこで今の自分が、理想を叶えた将来の自分になっていく様子をシミュレートすると、どこかの段階で、感覚を切り替えないとどうやら到達できないぽいぞ、ということがわかります。

なら、今のありのままの感覚に従って生きるんじゃなくて、「将来の、理想の自分が持っているべき感覚を新たに自分に植え付ける(洗脳でもなんでもして、改造する)」しかないよね、という。

この人工的に無理矢理いじくる感、に違和感をおぼえる人もいるかなぁ、との思いで、この記事の1行目を書いた次第です。

ただね、だからといって完全に無視して「役に立たない、よくないやり方」と片付けるのもどうかな〜、と。

ありのままの自分を大切にするって、大切な側面があるぽいぞということくらいは、たぶん誰でも予測つきますよね。

ただ、その「ありのまま」って、これまでの経験や境遇、触れてきた環境などの要因によって出来上がったもので、自分にとって絶対にベストなものだとは限らないわけです。惰性でそうなってしまった部分も往々にしてある。

だから、自分が「ありのまま」だと感じている感覚もろもろのなかで

「これまでは(自分でも気づかないような人生経験を通じて)そういう感覚でいたけれど、今後もそういう感覚で生き続けることは、良いと思えないかも。無理して今のありのままを貫き通す必要もないかも」

と思える部分をピックアップしていくというのもアリなんじゃないかな、と。

そして、どこをどうピックアップしていけばいいかを、今のありのままを見ただけじゃ見当つかないからこそ、「理想とする自分」を想定して、そこから逆算していくという方法が有効なのでは、と。



今のありのままの自分をなによりも大事にしたい、という考えもアリだと思います。そういう信念を貫いて生きることも、1つの尊い在り方だと思います。

ただその場合、「世の中は、あなたのありのままを発揮すればすべてうまくいくようにカスタマイズされているわけじゃない」ことを念頭に置いたほうがいいかも。

要するに、その場・人・団体・タイミング・状況などなどによっては、自分のありのままをそのまま発揮することが、受け入れられない/容認されない/評価されないetcのマイナス側の受け取られ方をすることもあるということ(会社とか、基本そうですよね)。

そこでゴリ押ししても、(周囲を打ち負かして変えて支配するほど強いならまだしも、そこまでの力を持っていないなら)どんどん嫌われて厄介者扱いされて排除されるだけ。

郷に入っては郷に従え、のとおり、その場なりにふさわしいマナーというのは、あるわけです。

もし、自分が手にしたいのが、会社という「自分のありのままを100%肯定して最高に評価してくれるというわけでもない場」から得る「出世、賃金」といったものだとしたら、今のありのままに固執して立ち回るのがいかにナンセンスな振る舞いか、わかるのでは。嘘でも演技でも自分を洗脳するでも、会社が良しとする在り方に、自分をはめるしかないでしょう(型にはめる、とはよく言ったものですね!)。
それが嫌なら、会社から得られる恩恵を諦めるしかない。

何も犠牲にせずともすべてが手に入ればそれにこしたことはないわけですが、現実的にそれが無理な場合、何を手に入れるために何を犠牲にできるかの天秤になるわけです。どっちかしかとれない。

また、何も犠牲にせずともすべてを手に入れられる方法があるとしたら(あると思います!)、その方法を物理的に現実的に、創っていかなければならない。
自分のありのままが特殊であればあるほど、そのありのままが尊重され、かつ自分の欲しいものを手に入れるための環境づくりは、大変なものになります。
何も犠牲にしたくないならばこそ、その労力だけは惜しむわけにいかないといえるでしょうね。
(自画自賛するわけじゃないですが、私はこの路線で、発展途上かつ小規模ながらできているほうなのだろうなぁ、と思います。よくもこんだけ世間の『普通』から逸れた在り方の人間が、やっていけてると思うw)

いちばんラクなのは、今の自分のありのままを尊重するかわりに、なにも望まないってことかな。どんだけ貧乏でもやりたいことができてなくても、仕方ないでしょう。今の自分のありのままを最優先している限り、そこは我慢するか、あきらめて受け入れるかしないとね。




今日の内容はとりわけ説教じみてますが、わりとスピリチュアルに傾倒する人って、自分の気に入ったスピ本のワンフレーズだけをパッチワーク的につぎはぎして、

物凄く勝手な(現実で通用しない)理屈を自分好みに編み出し、その理屈に固執し、盾にし、どうにか世の中を渡りきろうとしてうまくいってない

人がわりといるかもー、と思ったこともあり、ちょっと書いてみました。

そのスピ本だか、誰か有名なスピリチュアリストだかが講演か何かで言った言葉でもなんでもいいですけど、ある都合のいい一文だけを取り出して勝手な解釈を加えて
「これぞ霊的な真実」
といったところで、前後の文脈から離れた言葉は元の文章のなかにあったとおりのニュアンスを失ってしまいますし、付け加えた解釈によっては、元のニュアンスとは程遠い意味づけもできてしまいます。

「ありのままの自分を大切にする」
「すべては愛」

みたいなフレーズもそのうちのひとつでしょう。

どういうニュアンスで言ってるか、を、一貫した論旨のなかで展開しないと、ものすごく都合のいい、ハチャメチャな無敵フレーズ化してしまうよね。
(そして、わざと無敵フレーズ化させて、水戸黄門の印籠よろしく『何か自分からみて気に食わないことを言った人を黙らせるための最終兵器』として使う人、いるもんねw)

それやっちゃうのは自由だけど、自分自身までもが、自分の策略にひっかかったカモになってしまうのはどうよ、的なね。(何だよ)
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