男性同性愛者についてのスピリチュアルヒーラーとしてのコメント。

8/13にふと思い立って一連のツイートをしたのですが、あらためて残しておこう。

====(以下、文末までツイートの転載====

数少ない経験則であえて言うなら「後天的に(≒DNAによる先天性でなく)、心が歪んで同性愛に走った(だけでほんとはストレート)」の男性によくあるのが「自分を男らしく育てようとした父親から暴力的なこと、過酷なタスクを強要され心を閉ざし、男性や“男らしさ”に反発して拒絶した」原体験ね。

タスクの内容は、激しい運動(部)をさせられたとか、男たるものこう生きよ!系の説教をいつもされたとか、色々。で、そこから父親の強要する「(その父親の思考パターンによる)男らしさ」に反発し、拒絶し、その抵抗として女らしく?ゲイらしく?あろうとした……という経緯。

生き物は基本的にメスなので、オスというのは「メス亜種」。そして「男らしさ」という概念も、真実として何か確固たるものがあるわけじゃなく、人間の間で文化的に信念・集合意識として成立していった「思い込み」にすぎない。

だから、(本能に従って生きていればそれだけで女らしくあることができる)女性と違い、男性は「その社会が信じている男らしさとは何か」を知識としても体に染み込ませるコツ?としても、学習しないと男らしさを身に付けられない。だから男は幼年期に父親に憧れて見習うのが大切。

その、男らしさを父親から学び取るべきときに、むしろ反発して男らしくあることを拒否してしまう。もっといえば恨みや憎しみ、憤りを抱いて、なんとしても男らしくなんか生きてやるものかという逆噴射的な信念を強く抱いてしまうともう、どうしたって男らしくは成長しないよね。

父親以外の男(祖父、叔父、兄弟、近所の人、学校の同級生や教師etc)から、父親の強要する男らしさ以外の「いろんな男らしさ」を好意的に学んだり、男らしさとは関係なく自分らしさを親などから認められ自尊心が満たされたり、父親の干渉に無影響でいられればいいんだけど。

「自分が父親の言いなりになる必要はない。また、男らしさというものは人が勝手にあれこれ言うだけであり、誰かのいう男らしさに合致していないからといって、自分が男としておかしいわけじゃない。自分らしく胸を張って生きていてよく、男としても申し分ない」
と思えるかが鍵。

ここがうまく成立せず、男らしさにバリエーションがあるという視点も持てずに「とにかく男らしくあるというのは、父親の言う、自分の嫌いな在り方に服従すること。それは嫌だ!」となってしまうと、自己主張の一環として同性愛者ぶる、ということを始めてしまうようだ。

そして現実に男性と同性間での肉体的接触(いちおうセックスっていうのかな)を経験してしまうと、それはそれで物理的快感はある?であろうから、クセになりまた同性を求め、名実ともに「バリバリのゲイ」化していく、ということみたい。

それとは別にDNAの配列の変異により、先天的に同性(の放つフェロモンなどの化学物質etc)に欲情する先天性のゲイもいる。その場合、女性とのセックスを経験しても馴染めず「やっぱり男が好きなんだ自分は」とある時点で気づく(か、一生気づかず違和感を抱いたまま死ぬ)。

統計的な説得力をもたないのは承知のうえであえて言うと、世の中で自称ゲイの人のうち、先天性のリアルゲイは1割にも満たない印象。あとのほとんどの人は、いわば「イシューとして歪んでしまい、本来のありのままの姿を見失った状態」なだけ。

ヒーラーとして一番、対処に困るのが
「後天的にイシューを抱えてゲイぶっているが、本人は自分がリアルなゲイだと主張し、またその認識を変えるつもりもない」クライアントのイシューを掘り下げたとき、原因がまさにその「ゲイぶるに至った経緯らへん」にあったとき。

こちらから直接的に「あなたは本当はゲイではないのだから、ストレートである自分を受け入れ、ありのままの自分を取り戻してください。そうすれば今、相談している問題も解消します」と言えればいいのだけれど、あくまでゲイでありつづけるという意向があると、それができない!

なので、とってつけたようなごまかしみたいな解決策しか提示できなくなる。
(例:『僕はゲイで、最高の彼氏が欲しいです』の相談←本人はほんとにゲイじゃないから、彼氏を望んでる時点で無理がある。最高のソウルメイトでない男性に勘違いの恋をして思い込みを貫け、と言う?)

イシューの解消のプロセスに、その人がゲイであるかどうか、ゲイだと思い込んでいるかどうかの解消が絡まなければいいんだけど(あるいは自分がほんとはゲイでないという在り方を受け入れる覚悟があるならいいんだけど)。。。

それが事前に完全には読めないから、ゲイの人からの依頼は断りがち。

べつにこちらに差別意識があるつもりではないのですが。。。
(また、確実に断るというわけでもありません)

(後天的にゲイであるという生き方を選択する、というンのもアリだよね。だから仮にゲイだと思い込んだ経緯になんらかの歪みがあるとして、その解消がセッション相談内容の根本解消に有益だとしても、それをせず『別の方法』で対処するという手もあるっちゃあるんだろうけど……。俺にはまだわからん)

P.S(この追記はツイートではなくてブログ記事にするにあたってのオリジナルです)

ゲイの人によく見受けられるのは、

「ゲイに生まれたことを感謝している。何度生まれ変わっても、またゲイに生まれたい。ゲイ最高!!」

系の、ゲイであることを過剰に誇る発言。

なんかその、過剰な感じ、言い過ぎというか、力が入りすぎてるところが、そもそもちょっと、自然に誇れているわけじゃないことを逆説的に証明してるような痛々しさを感じてしまうんだけど、私の勘違いでしょうか……。

そしてその、過剰に誇って褒めて持ち上げる思考パターンが、

「私はHIV(orエイズ)に感染したおかげで、本当の愛を知った。HIVが私に真実を教えてくれた。HIVに感染したおかげで私は救われた。HIVに感染する前の私は、闇に支配されていた。HIVは私の救世主。生まれ変わってもまた、HIVに感染したい。HIVに感染しない人生はクズだ。HIVウィルスなしで生きる人生なんて考えられない!」

とHIV礼讃に走るHIV感染者の思考パターンと、そっくりなんですよね……。
(ゲイがHIVに感染しやすいとすれば、この思考パターンの類似性によってHIVウィルスを引き寄せて受け入れてしまう度合いがストレートの人間と比べて高いからなのでは、と個人的には思っています)

同時に、あまりに声高に、まるで脅迫するかのように

「ゲイはおかしいことじゃない!認めろ!ゲイは素晴らしい!!」

とアピールするゲイの人たちを見ると、どこか政治的or宗教的過激派を思わせる危うさがあるなと感じます。正直いって、冷静で客観的な立場からそう言っているとは、思えない。

同性愛者はそれ自体が、すでに強大な集合意識を持っており、言葉は悪いですが「同性愛者教」のような体裁を形成しています。

「君も同性愛?なら仲間だよ。おいで」

というふうに、「信者」を引き入れるような動き、あるみたいですね。それって、カルト教団とか政治的な結社の勧誘とまったく同じじゃね?と感じてしまうんです。(もちろん、そういう勧誘方法やそういう勧誘をしていること自体が悪いと言うつもりはなく、単に『同じだなぁ』と思っているにすぎないのですが)

もし仮に指向が同じでも個々人それぞれなんだからいきなり「仲間」と呼んで一体感・連帯感の演出は強引すぎるんじゃ?……と私は思ってしまうんですが、どうなんでしょう。
(例えば私が栃木県出身者だからといって、『君も仲間だよ!さぁ!栃木人を差別する面々に向かって、我らの存在をアピールしようじゃないか!』と言われても、いきなりその輪に加わるか、って話ですよ)

これ、べつに糾弾しているとか否定的に言っているととられたくないのですが、あくまでも

「なんか変な、熱にうかされたような状態だなぁ(それって、何かイシューがあるが故の、異常な感情ステータスと呼べるんじゃないの?)」

という示唆です。

もちろん同性愛者全員がそういう狂信に取り憑かれた有様をしているわけではなくて、(テレビで伺い知る発言の範囲内でしか知らないのですが)マツコ・デラックスさんのように、自分の立場を恥じずに表明しつつ、他の意見や在り方をしている人たちのことも配慮してコミュニケーションをとるなり距離をとるなりする……という立場の人も大勢、いるのだろうなとは推測していますが。

あくまで、イシューとして同性愛についての問題を抱えている人の特徴として、「なんか大袈裟に声高にそのことを言ってくるんだよなぁ」という感想を持ってますよ、ということです。

これもなー、一言で「じゃあイシューを解消して、癒されようよ!」と言っちゃえる単純なものでもなさそうなんですよねぇ。

「俺たちがイシュー(問題)を抱えているからこういう有様だって?とんだ言いがかりだよ!俺たちはどこもおかしくないし、何かを改めるべきだなんて思ってない!!」

みたいな主張、じゅうぶん考えられるし、それ言われたら他人は「まぁ、そうですよねぇ」と引き下がるしかないしなー。、。

結局のところ、本人がそれでいいならいいんでしょうね。

そして、そういう有様の人たちから悪影響を受けたくないなら、自分側でそういう思考パターン(とそれに基づいて形成されるエネルギーパターン)を整備して、しかるべき距離をとるなり、交流は持ちつつも影響を受けないようにするしかないんでしょう。
それがお互いのためにベストってことなんでしょうなぁ。
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