過去生に原因があったら過去生を癒さないと癒えない!?

結論は、あえて明言しません。

スピリチュアルに傾倒する人(で、他力本願寄りというか、責任転嫁したがりというか、ようするに自己責任でモノを捉えたくない人、逃げたがりの人、他人のせいにしたがる人etc)は、なんでもかんでも過去生のせいにする傾向が出がち。

たとえば仲良し2人組がいたとして、あるとき仲違いをしたら、都合よく

「思い出した!過去生であの人とは敵だったんだ。私はあの人に殺されたこともある。日本だと、、、鎌倉時代?あとは、、、紀元前のインドかな……。あー、それがあるから、もう私、あの人と面と向かって付き合うのは無理だなー。だってもう、思い出しちゃったもん」

みたいなことを言って相手を敬遠する。

あくまで、自分が嫌っているとか相手の気分を害するようなことを現世でした(から相手から嫌われた)ということは認めず、今生での自分以外の何か(ここだと過去生のイシュー)が原因となってやむなくそうなった、という図式を演出するんです。

ほか、人間関係以外でもなんでもそう。

私が水を怖くて泳げないのは、過去生で溺れたから。
私が勉強を嫌いなのは、過去生で科挙を受験して懲りたことがあるから。
etc,etc……。

なんだって過去生のせいにできちゃう。

で、過去生を癒すにはサイキックな霊視などのエネルギーワークを使わないとできない、ということにする。

さらに、自分ではサイキックなスキルが未熟だからワークしきれないとか、プロヒーラーに頼んでも自分と合う人じゃないと心を開けないとか、とにかく霊的なワークをして過去生のイシューは解消できない、というふうにしてしまう。

はい、これで無敵のアリバイ(?)成立。
それ言われちゃったら、ああそうですかで他人は引き下がるしかないし、本人は延々と

「ごめんねー。過去生でこんなことがあってそれがまだ癒えてないから、できないのー」

と、何か逃げたいものから逃げる口実として利用し続ける(≒メリットありまくり♪)。



時間は連動して互いに影響を与えあう、というのが、(もちろんまだ科学では証明されていないけれど)仮に真実だったとします。

だから過去生を癒せば現世も癒えるのだ、と。

ならば、未来を癒せば過去も癒える、といえないでしょうかね。

あるいは、現世を癒せば過去生も癒える、という捉え方はどうでしょう?

エネルギー的なイシューって、スピリチュアルなヒーリング技を使わないと、癒せないんでしょうかね?

だとしたら、いわゆるスピリチュアルなことと無縁でいたり、偏見や誤解をもって接触せずに生きる、大多数の人は、(ヒーリングワークを受けないので)まったく癒えることができずただただ生きれば生きるほどすり減って消耗して衰えて傷ついて歪んでいくだけなんでしたっけね。

本当にそうだと思いますか?

冒頭の例でいえば、そもそも本当にそんな過去生があったからなのかどうかというところから考えなおしてみることもできますよね?
あるいは、本当にじゃあ過去生ではそういうことがあったとしましょう。そのイシューとしてのエネルギーを、サイキックなヒーリング技では癒せていないとしましょう。
だからずっと傷ついたままなんですか?
だからずっと何かができないままなんですか?

過去生で本当にイシューとなるような出来事があったとして、それが癒えてなかったとして、じゃあどうして現世で再び会ったんでしょうね?
「過去生で険悪な関係だったから、それをさらに繰り返すため」だけに会ったんでしょうか?
一度でも過去生で何かに挫折したり失敗したり争って傷ついたら、もう何度転生しようが、過去生そのものを癒さなければ、同じ厭な目に遭い続けるんでしたっけ?(そのとおりだ、と説く霊能者さんもいるでしょうね)



私は、(愚かだとも非効率的だとも言われても仕方ないかとは思いますが)

過去生で何かトラブル?トラウマ?など要するになんらかのイシューがあった人と現世で再会し、こちらが過去生のイシューを覚えているとして(&相手は覚えていないとしても覚えているとしてもどっちでも)、「だからその人を嫌いだと決めつける。現世でもうまくやっていけないと決めつける」ことはしません。

実際、なぜか相手のほうで初対面からこちらに嫌悪感を感じ、なぜそう感じるのか本人も不思議に思っている場合もあります。
こちらが、いいようもなく相手に対して(べつに表面上の態度などはおかしくないのに)不快感を感じてちゃんと接するのがつらい、ということも、本当にあります。
その原因を霊視して、過去生にイシューがあると観えることもあります。それこそ敵同士の関係だったり、同じ団体に所属して派閥争いを繰り広げた間柄だったり。

そういう場合でも、私がとるのは、一般的な、お付き合いの方法。
はじめましてから始まって、(お互いギクシャクしてるとはわかりつつも)つくり笑顔でもなんでもとにかく「あなたとお近づきになりたい」というサインを出す。
それで、相手がどうしても過去生のイシューに(意識的にせよ無意識的にせよ)影響を受けて、どうしてもこちらを嫌うとか拒絶するなら、そこではじめて引く(これは諦めというよりは、相手の今回の自由意思を尊重してのつもり)。
でも裏を返せば、これ以上は無理だというところまでは、近づけるんです。

しばらくその距離でうだうだしてて、何年かして、相手側で何らかの心境の変化(ならびにその心境の変化を引き起こしただけのエネルギー的な変化←多少なりともなんらかの方法で癒えた?)があるなどして、こちらへの態度をやわらげてくれて、まさかこの人とこんな気の合う関係になれるだなんて!とお互いに驚くこともアリアリ。

愚かしいことなのかもしれないけど、裏切られてもやむなし、駄目で元々、というつもりで、何度でも私は「初めまして」と、過去生でいろいろあった人たちとも、あえて「今回の人生でのその人と、一期一会という心づもりで」接します。

これは、現世を癒せば過去生も自然と(サイキックなエネルギーなどこれといって使わずとも)癒えるのではという仮説を証明しようとする試みでもあります。物好きな実験、ともいうw

あとは、信条。

過去生で何があろうと、やっぱりさ、お互い、生まれ変わったんだから、(仮にサイキックなエネルギーで過去生のイシューを覚えていたり思い出したりしていようとも)水に流したことにして、わざとらしくてもぎこちなくても、はじめましてから始めればいいじゃない?

と思ってます。

これは本当に、個人的な好き嫌いの話になりますが、

「私あの人、ダメー。無理ー!って感じ。だって、過去生でこれこれこんな酷いことがあったから」

と言う人、残念に感じます。尊敬できません。

スピリチュアルって、現実を息苦しく生きにくくさせるためのものなんでしたっけ?

うっかりスピリチュアルなことを覚えているとそうなるから、大半の人は、過去生の記憶も過去生の霊視能力も封印して生まれてくるんじゃなかったでしたっけ?

もしスピリチュアルにサイキックにエネルギー的に目覚めるとしたらそれは、1行上で述べたような「スピリチュアルやサイキックなことがうっかりわかってしまうと陥る罠」に陥らないからこそじゃないんでしたっけ?
(お酒は二十歳になってから、に近いものがあると思います。酒を飲むことのメリットもデメリットも把握して責任をもったうえで、やれよ、的な。それができないなら飲むんじゃねよ、という)

サイキックだから、スピリチュアルなことを知ってしまったから、生きづらい。

それはもう、酒を飲んだから気持ち悪い、記憶がない、態度が悪かったけどしょうがないよね、二日酔いで頭ガンガン……と言ってるダメな人そのものでしょう。
酒のせいにすんなよ、と。酒は飲んでも呑まれるな、の名言じゃないけど、

スピは使いこなしても巻き込まれるな

と言えるんじゃないでしょうかね……。

どうなんでっしゃろ?

あなたはどう思いますか?
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