学んだことは活かす、の姿勢

って、大事だなぁ〜と思います。

いやね、べつにね、「投資コスト回収乞食」みたいになって、何としてでも元手は取ろう、としゃかりきになるのもどうかとは思いますし、「これはただの趣味」と割り切れるなら、月謝なりを「ドブに捨てた」つもりで、費用対効果ゼロの有様でも、いいっちゃいい。

ただ、スピリチュアルヒーリングのインストラクターをやっていて思うのは、

「いきなり専業にするとまではいかなくとも、兼業からのスタートでもいいからヒーリングを仕事に取り入れたい」

「お金をもらうことは考えていないけれど、しっかりしたボランティアの一環として、自分のライフワークとして、ヒーリングを通じて人を癒す手伝いをしていきたい」

みたいなことを言う受講生が少なくないんです。

あるいは、他人にどうこうすることは考えていなくとも、自分の○○を〜〜にしたい、という目標みたいなものは、誰しも持ってるんですよね。

だったら、講座の受講料なり受講時間なりに投下した資本(お金・時間・労力etc)は、できれば±0、可能ならそれ以上にしてもいいのではないかと。

(同時に、『目標が達成されたらスパッとやめる、足を洗う、卒業する』というスタンスも大事だと思います。永遠にダイエット中で痩せきれず、ずっと『自主的に、人生満喫の謹慎中』みたいな状態でいる人って、わりといるじゃないですか。ヒーリングの勉強中、という人のなかにも)

イマドキはインターネットも整備されてきているし世間でも普及しているし、また無料でホームページを持てるサービス各種も充実していて、看板を掲げて「ヒーラーやってますよー」と周囲に宣言するだけなら、お金は1円もかかりません。シンプルなホームページでいいなら、それこそミクシィの自己プロフィールページを書くのと似たような簡単&手軽さで、つくれてしまうんです。

要するに、金銭的損失は0円なんです。
ホームページを作成するのにかかる時間も、必要最低限の内容でいいなら、せいぜい1時間、慣れれば30分もかからない。(ブログをホームページがわりに使うことだってできるわけですしおすし)

それでも、さまざまなブロック(私には自信がない、ヒーリングでお金をとるのは悪いことだと思ってしまうetc)がそれを阻む、ということなんでしょうが……。


言い訳のほうを正当化する最大かつ根源の理由は、

「恵まれすぎていて贅沢に慣れすぎている」

からなのではないかなぁ〜と私は思っちゃいます。

ようするに、損しても痛くないの。

いや、「これだけの出費をしたのに何の見返りも成果もないのはキツいよー」とクチでは言うかもしれないけど、心の底では、へっちゃらなんです。
だって、またお金は入ってくると信じてるし、講座に費やして学んだことが無駄だったとしても、これからの人生はそれはそれでまぁどうにかなっていく、とも信じているから。
(これってある意味、とっても幸せなことだと思います)

そういう意味では、なんとしても投下した資本を回収したいと鼻息荒くしてしまう自分なんかは、ハングリー精神といえば聞こえがいいけれど、ようするに貧しくて余裕がなかっただけなのかなぁ、、、なんて恥ずかしくなったり。

でね。

突き詰めれば「べつにコストなんか回収しなくても死にゃあしない」わけですが、あくまで自由意思で「コストはきっちり回収してみる」ことにチャレンジしてみてもいいのではないかなぁ。

そのためには、

これをもってしてコスト回収完了とみなす、という基準を自分で設定する

のが肝要でしょうね。

漠然とスーパーヒーラーなどを目指してしまうと、何がどうなればいいんだかわからずに「永遠の修行中」から抜け出せません。

「私がヒーリングをやりたいと思ったのは、○○を〜〜したかったから。だから、○○が〜〜になったらコストは回収完了」

というふうに、決めるんです。
(漠然と『みんなから愛されて〜』などと曖昧な表現で設定してしまうと、設定の意味がほとんどなくなってしまうので注意!具体的に!!)

そしてもう1つ大事なのは、

期日を決める

ことです。

これがないと、延々とダラダラ引き延ばしてしまう。

ある意味、回収できなかった!となれば、「はい、失敗」とケリをつけるのもアリではないかな。
で、やめる。目標達成してないけど、やめるんです。
どう〜しても悔しかったら、その悔しさをなんとしても晴らしてみせる!と自分に誓ったうえで、次年度の予算&スケジュールに、また予定を組み直す。

悔しさというネガティブをバネにするんです。

スピリチュアルな領域ではなにかとネガティブは排除しよう解放しようという風潮が強いですが、私はポジティブかネガティブかを気にしてる時点で二元性に呑まれてるだけだと感じるほうで、要はポジティブだろうがネガティブだろうが使いようだよね、と思っています。

で、悔しさをバネにするのももう限界、となったら、やっぱり諦める。
そのときは

「私は本気を出せないだけ。本気を出したらきっとやれるはず(だって私は落ちこぼれなんかじゃなくて、『やればできる子』だから)」

みたいな言い訳もやめて、

「はい!私、失敗者!この目標は、何年かかってもできない。負け!落ちこぼれ!続けても意味ナシ!」

と、自分に落伍者のレッテルをあえて貼る。

こういうふうにしていかないと、スピ系の人は特に自分に甘い人が多いので、フワフワして何も決められず先に進めないんですね。

もうこれ以上、落伍者のレッテルを自分に貼りたくなかったら、自分にできそうな目標をよくよく選んで、実行に移すとなれば確実にやってやると覚悟を決めて、ちゃんとやりきる。もしやりきれなさそうなら、潔く「私には無理」と、ムラムラする自分の欲をきっぱり捨て去る。

そういう、サバサバしたところを取り入れて行くのも、一興かと。

これ、ヒーリングを例にとってますが、芸事でもなんでもそうなんでしょうけどね。

あぁ、ここまで書いてみて、

「それができたら苦労しないよ〜。決意することも諦めきることも無理〜。実行に移すといってもブロックあって動けなーい。いったんやり初めても三日坊主〜。自分が落伍者だなんて認めると傷ついちゃう〜」

みたいなことで相変わらずうだうだできちゃうなぁ、とも思ってみたり。

だとしたら、

それはとても恵まれていて贅沢なこと

なんだって、気づいてほしいかなぁ。

もちろん、一生そういう生き方を貫くのもアリだし、それはそれで何も悪くないよね^^

(実際、ウダウダしてみせることそのものが『どう?こんな余裕ぶっていられるほど、私は恵まれているの?すごいでしょう?羨ましいでしょうー?ほんとに余裕がなくて貧しい境遇の人は、こんなふうにウダウダする贅沢なんか、できないですものねぇ?オッホホホ!』という自慢になってる人も、そこそこ以上いるんですよねー。まぁ、本人が楽しければそれでいいんじゃないかな、というスタンスで私はをります)
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