人類全体のホメオスタシスを変える

のが、「人類の進化」ということなのかなぁ、と。

あるいは、「コンフォートゾーンを推移させる」ともいえそう。

ありますよね、自分なりの「普通」「バランスがとれている」と感じる基準があって、それを超えるとなんとなくやばい気がしたり違和感を感じて、元に戻そうとする。
食べ物を食べる量も、勉強や仕事、運動の量もそうだし、友達付き合いや趣味に費やす時間の量もそう。お金もそう。「やりすぎた」「ものたりない」という評価を下す基準が無意識にあって、そこから逸脱すると居心地が悪くなる。
体重や筋肉の活性度も同じ。太ってきた痩せてきた、体が疲労しすぎorなまってきた、の感覚はあるものです。
ある意味、それを超えて何かをやり続けていつのまにか「基準」が「推移」したら、それを人は成長と呼んだり堕落と呼んだりするわけですね。

これが個人レベルではなくて、人類全体で、あるみたいです。
どれだけ人間がバラバラでそれぞれ好き勝手に生きていてわかりあえず諍いがあるように見えても、深いところではDNAでつながっていて、テレパシーというか集合意識というかで結ばれている。
この世に生きている人間全員で1つの「人間」と捉えることもできそうです。

で、誰かが幸せになったと感じたりして「やりすぎた」となると、どこか別の人間が「(幸せ側にバランスが偏った分を取り戻そうとして)不幸でいるべき、苦労を感じているべき」と感じるみたいなんです。その逆も然り。
そしてここでは幸せを例に挙げましたが、あらゆる概念や物理的状況についても、そうみたいなんです。

究極的には、この「幸せになりすぎた」「不幸になりすぎた」などの感慨も、単なる思い込みというか、「絶対的な何らかの基準(真実とか?)に照らして正確な判断」というわけではないんですね。あくまで、いまの「人類全体の総意としてのホメオスタシス、コンフォートゾーン」からしてそう感じるというだけなんです。

と、いうことは!!

個々人にヒーリングやら教育やらをしていくなかで集合意識が変わり、それがひいては「人類全体の総意としてのホメオスタシス、コンフォートゾーン」を変えることにつながるということは、ありそうです。
(ありそう、というか、どう考えても変化してきてそうなのは明白ですよね?特にここ100年の変化は目覚ましく、人口も増えたし科学技術も大幅に進歩し、社会経済や衛生状況、それに基づく『普通の暮らし』の基準やらもそれ以前の時代とはまったく別次元に高まったといえるでしょう)

でね。

私がなぜヒーリングを仕事にしているか、なんのためにヒーリングをするのかということを突き詰めると、ここに行き着くわけです。「人類全体の総意としてのホメオスタシス、コンフォートゾーン」を、以前よりも上げる。
おこがましい言い方をすれば、成長させることに寄与する、とでも言えるかもしれません。

それは人類全体の進化といっても、あながち言い過ぎでもなさそうです。
(シータヒーリングのワールドリレーションズクラスのテキストには、このことがさらっと前置きで書かれています)

そこでさらに「進化なんかさせてどうすんの?しなかったら何がどうなるの?」というツッコミは考えられるでしょうし、それを言われてしまうと私も見当がつきません。

ただ、人類がここまで成長したことは過去の歴史を見てもないわけで、これはもう、最高新記録をどこまで更新できるかの純粋な好奇心とでもいえそうです。

あえてもっともらしいことを言うなら、昔の王族のような暮らしを、一般庶民ができるようになってきている。物理的にも、精神的にも、向上してるんです。知性や品性、それから体力(オリンピックの記録更新の歴史を見れば、後退よりは前進していることは間違いないでしょう)や芸術も、あらゆる分野において。

ということは、これまでの歴史上は成立しえなかった「創造物」が、この世にどんどん増えるということ。
人間(というかこの宇宙)はもともと、創造主がなぜ偉大であるかを体験・物理的創造を通じて顕すために誕生したわけですから、これは人間本来の存在意義を以前にも増して遂行できてる状態といえそうです。
ほら、こう言うと、人類全体が進化することが良いことのように聞こえるでしょ?(笑)

もちろん、「人類のDNAを、集合意識を、これ以上、成長させるべきではない」という思想の人も、いると思います。
人類は破滅すべきだという人もいるだろうし、先祖帰りして昔に戻るべきだと主張する人もいるでしょう。
どの考え方もアリだと思います。

どの考えもアリならばこそ、私は「どこまで行けるか、行けるとこまで行ってみればいいじゃんね?これまでになかった、どんなものが新たに産まれてくるのか。人間が創造しうるのか、やれる限りやり続けてればいいじゃない!」という立場をとっています。

私は(このブログやツイッターを御覧の方はもうすでにご存知かもしれませんが)人間1人1人の悲しみや傷を癒す、というような、個々人の事象を変化させることそのものには、興味がありませんし、さしたる意義も見出していません。
「仕事でカネになるから」と、「単純に、やってて面白くて楽しいから」が本音です。

でも、もしそうした、カネとか「食ってかなきゃいけないし」みたいな義務感?をすべて取り除いたときになぜヒーリングをやるかといえば、人類の総意に働きかけることこそ、私がこの世にいま、この境遇を選んで生まれてきた理由だから、なんです。

そして人類の総意に働きかける方法としては、いまのところ、地道すぎる感は正直ありますが、個々人にワークしていくことしか見当たらないんです。

だからヒーラーをやる。ヒーラーとして生きていく。……というわけ。

(言うまでもありませんが、『だから人間はみんな、人類の総意のコンフォートゾーンを上げるために全力を尽くすべきだ!そうでない奴はありえない!』というような思想は持っていません。人それぞれだと思っています。ただ、漠然と『なんかヒーリングやりたい、ヒーラーを仕事にしたいんだけど、どうして自分がそう思うのかわからない』と思う人のヒントになればと。あ、べつにそんなこと考えたことない人であっても、なんか役に立ったと感じてくだされば。役に立たなかったと感じても謝りませんしw)



P.S
この5〜6月は、自分の職業観を根本から見つめなおす時期にきていました。

いくつかの個人的なショッキングな出来事が続いたことで、

「なんのためにヒーリングやってるんだろう。もし、スピリチュアルヒーリングに集まってくるのがみんな現実逃避したがりのダメ人間で、いくら癒しのセッションなんてものを提供したところで、一時の気休めと甘やかしにしかならず、『usamimiさんに、こんなダメな私の現時点の在り方を全肯定してもらえた〜。嬉しい〜』といった捉え方をされてしまうだけなのだとしたら、もうヒーリングなんてやる意味ないんじゃないのか」

と思い詰めてしまったんです。

何をやっても変わろうとせず、生きるのがつらいラクがしたい怠けたい(から、いつも何かしらの行動をしてないと生きていられないこの世でこれ以上生きるのは面倒だし苦しい。だから死にたい)という人に砂糖菓子や酒、麻薬をあげて一時的にキモチよくさせる……みたいな図式でしかないなら、何がヒーリングだ、と。

(もちろんこの思い詰め方が、極端なのは自覚できているつもりです。ただ、『方向性』の舵取りを考え直すうえで、要するに突き詰めるとそうなるわけでしょ?と、わざとこうした極端な突き詰め方をしたまでです)

で。約2ヶ月、考えに考え抜いて、この結論に達しました。というか、思い出したという感じ?

本文中に述べたように、このブログに書かれたことが、あらかじめシータヒーリングのテキストに文字面としては載っており、それを読んではいたんです。

ただ、

「ふぅん、ヴァイアナは人類の進化に寄与しようと、こんなに頑張ってシータヒーリングを普及させようとしているのかー。でもなー、俺はべつに人類の進化なんか、どうでもいいかなー」

と、いまひとつ腑に落ちていませんでした。
(それは今思うと、『人類の進化』という言葉の指すものを具体的にイメージできず、なんとなくフワッとした、抽象的なイメージでしかその時点では理解してなかったから萌えなかったのだと自己分析してます)

だから私は、「人類の進化って、どういうこと?するとどんないいことがあるの?しないとどんないやなことがあるの?」ということを考え&チャネリングで調査しはじめました。

そして、自分の信念をどう持つかについても、考え直して行きました。

それこそ、

「仮に進化することが人類にとっていいことだとして、それを自分はどう受け止める?自分が今はたまたま人間に生まれて人類の一員だから、という帰属意識だけで『賛成!』と思える?でも輪廻転生で人間以外のものに生まれ変わることを想定したとき、べつに人類だから人類の進化に賛同するってのは動機として弱くね?……いや、でも現に今(だけのことだとしても)人間として生まれてる以上は、人間のためになることをするのが神聖な計画に書いてきてることだったりもするんだろうし、うーん……」

というようなことを、延々と考えていたんです。

それでようやく、このブログ記事に書いた境地に至った、と。
(初めて至ったというよりは、ヒーラーを指向して生きていた子供時代からして、自分の本領発揮ポイントはここだとどこかで知っていたことを思い出したというほうが実感値に近いw)

これは大きかったなー。

ヒーラーであることの意義を、はじめてちゃんと自覚できた気がしました。
べつにカネのためとか、たまたま得意だからというレベルではなくて、

「もうこれ、俺がやらなくてどうするよ?」

くらいのガチさで自分はなるべくしてヒーラーで、ヒーラーであることがしっくりきてるものなんだー!!的な。


この2ヶ月というもの、いろんな人に相談してお世話になりました。

なかには、(ご本人は善かれと思って私のためを思って真摯な姿勢で)アドバイスしてくれたことが、残念ながら私にとって「?」とか「……」なものだったりして、(私が要領を得ない相槌や反応をするものだから)かえってがっかりさせてしまったり不快な思いをさせてしまった人も少なくないと思います。

でもそれでも、相手してくれる人がいただけでかなり救われましたし、いま振り返ると、その時点では「ハァ?こいつの言ってること全然わけわかんねえし的外れ。こんなアドバイスしかもらえないなら、話さなきゃよかった」と思った言葉も、すべて意味があるというか、そこでがっかりするのも重要なステップだったなと思えます。
(いつも通り、褒めてんだか貶してんだかわからない感想の述べ方でごめんなさい、でも本音なんです)

また、本当にこの言葉を聞けてよかった、と思えるアドバイスをくれた方もいました。

何かをアドバイスするのではなく、「納得いく答えが見つかるといいね」と、あたたかく見守ってくださる方も多々。

その、ありとあらゆるありがたみを、拒否したり拒絶したりせず、すべて受け取って、愛のエネルギーを呼吸していればこそ、到達できた境地のように思います。

奇しくも今は6月の終わり。(あと1時間半で7月が始まります)
ちょうど2013年の折り返し地点で、「なぜヒーラーなのか。ヒーラーとして生きるのか」の根本理由を再確認・再発見できたのは大きな喜びでした。

やっぱり私は、ヒーラーなんだなぁ……と。

どんだけ世間で理解がなかろうが、履歴書としては大卒の男のそれとしては壊滅的に破綻しちゃった扱いの経歴になろうが、現世利益的にもっとカネを儲けようとすればできるかもしれない可能性を(単に現世利益を叶えて『豊か〜』と幸福に浸ることに何らの意義を見出せなかったので)捨てることになろうが、それらは根本的には、私にとってはどうでもいいこと。
「人類の総意人格」とでもいうべき意識体への働きかけこそが、私が生まれてきた理由なんだなぁ〜、なんて。

はぁ。これが一時の多幸感ゆえの勘違いじゃないといいんだけど(←なんで最後でそう平常心なのよ←だから多幸感で終わるのは危険だっていつも思ってるからでしょ←そういうアクセルとブレーキのかけどころ&かけ具合が完璧な自分が大好き!)

自分大好き!!

おー、これは収穫だわ。

やっぱりアレね、自分が本当に生まれてきた意義とかを再確認すると、それを遂行するのにパーフェクトな在り方をしてる自分がなんて奇跡というか、他人事みたいに「しっくりくる!なんておあつらえむき!」と喜べるもんね。
(裏を返すと、自分の本当に生まれてきた理由、この人生で取り組むべきことが見えてないか見誤ると、他人と比較して劣等感に苛まれたり、思うようにならなかった過去を怨んだり、まぁロクなことがありませんわ←経験者は語るw)
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