クリアリング適齢期!?

自分が26歳で(二度目の)声優養成所に入ったとき、そこの主任講師と話す機会があって、

「何かを教えるなら若いほどいい」

と言ってたんですね。で、なぜですかと聞くと、

「若いと、言われたことをなんでも吸収する。年をとるほど、頑固になったり頭でっかちになったりして、言われたことに腹を立てたり反論したりして受け付けない。心を閉ざしてしまう」

と。

じゃあ年齢がいってたら問答無用にダメなんですかと聞くと

「本人の努力だろうね。まず本人が、自分の心の扉を開けること。開きにくいと思うけど、どうにかして開けてくれたらこちらも教えられるし、若い人と同じくらいに伸びる可能性もないわけじゃない。ただ、口では『頑張ります』というけど、結局、ダメなんだよなぁ。いざ教える段になると、こちらの言うことを拒絶して、判断して、若い人ほどスムーズに受け取らない。それじゃダメだと言うと、『じゃあもういいです』とやめちゃうんだよ」

と。

その講師はただでさえ「若さ至上主義」的に若い子が好きな傾向があったので、まるごと参考にできるのかと言われたら疑問かもしれませんが(←っていうところがトシをとると出てくるわけですねw)、一理あるなと感じます。

特に、ヒーリングセミナーで人様に教えるようになってから。

スピリチュアルなセミナーって、わりと年齢層が高いんですよね。若い人ばかりのスピリチュアルセミナーというのは、珍しいほうだと感じます。
(やっぱり、お金のこともあるし、あとは若いうちは現世利益的なほうに興味があるんでしょうね。それは自然なことだと思います)

で、出席したセミナーなりワークショップがその人自身の価値観の根本的な変革を迫るような内容だと、中高年の人というのは、よほど心が柔軟でないと受け取らない。

今現在の自分自身の有様がどれだけ支離滅裂で、そのために現実がつらくて面倒なことになっているとしても、「支離滅裂な自分」を変える方向にはいかないんです。

「こんな私でも『合ってる。正しい。よく頑張ってる』とねぎらってください」

と、出席するセミナーの内容なり講師なりから、肯定して承認してもらうことを第一優先にしてしまうんです。

だから、自分の価値観にそぐわないようなことや、自分自身を批判されてると思ったりすると(←しかもそれが、言いがかりに近いような本人の決めつけや思い込みであることも多々)、とたんに

「この講師・講演者・セミナーで展開される理論etcは、インチキ」

と、完全に否定して拒否してしまうんです。しかも、自分のほうでなくて、セミナー内容や講師のほうに問題があると決めつけるんですね。

あるいは、表面上は笑顔で

「私には合わないみたい。とても素晴らしいとは思うのだけれど」
「私が期待していたほどではなくて、とても残念」

と、心の余裕を演出して、結局のところは身を引く。

で、そういう動き方をするのは「いけないこと」なのかと言われたら、べつにいけなくはないと思っています。
どういう生き方をしようと、その人の自由。

ただ、それだったら、「変わりたい」と言うの、やめればいいと思うんですよね。

「変わりたいと口では言いながら、本当はいまの自分を変えるつもりがまったくない」

有様で動かれると、ある意味、出席されるセミナーやその講師、スタッフたちが可哀想です。

それでいて、そうなってることを認めない。あくまでも本人は、心の底から変わりたいと願っていると自負している。
(スピリチュアルなセミナーに参加するこうした人たちの傾向を逆手にとって、あえて精神的風俗サービスみたいに『あなたは悪くないよぉ〜、大変だったねぇ〜。頑張ってますよぉ〜。あなたは素晴らしい!さぁ、神の愛を受け取りましょう?心地よいでしょう?安らぎを与えますよー』と、“甘やかして幻惑する”ようなセミナーやセッション、サービスを展開することで集客して売上UP!というヒーラーたちもいます←それはそれで商売上手だし、どこも何も悪くないと思います。個々人の営業方針なので)

全員が全員とはいいませんが、どちらかというとここに述べたような「傾向」にあてはまらない人のほうが少数の印象。

そういう有様をみて、

「うーん、やっぱり、ほんとに深いクリアリングは、中高年になると、難しいのかなー」

と思ってしまいます。

(逆に、60代70代以降になって、大人の妙なプライドをもう持ってても仕方ないや!と子供のような純朴さに立ち返る年代になると、これまたクリアリングしやすいんですわー。変な意地とかがないから、どんな耳が痛いようなイシューの土台だろうと平気で見つめて認めて、『あちゃー、こんな思い込み抱えてたかー』と陽気に笑って手放し、新しい信念や感覚に心を全開にして受け取る。あれは清々しい!←ただし、それまでの人生がなんだかんだいって幸せ寄りである程度以上に納得できてないでトシだけとった人は、『嫌味な頑固ジジィ(orババァ)』になってしまう印象←だから、『サクセスエイジング(≒成功した加齢(の在り方)』のためにも、若い頃からの人生をちゃんと納得して、世界のポジティブな側面をきちんと知って味わっておくのが大事なんですね)

また、変わる変わるとここで何度も述べてますが、大の大人がそれまでの人生経験を通じて培った信念をすべて投げ捨ててまで変わる必要が本当にあるのかと考えてみるというスタンスも重要かもしれません。

私個人の話でいうと、シータヒーリングを通じて創造主の定義する最高の真実としてのなんちゃら、といったもの各種をきちんと知って受け止めたうえで、「俺はこう生きる!」という信念を(たとえ最高の真実からみて無謀だったりデメリットが派生する可能性があるものだとしても)貫くつもりでいます。もちろん、その信念を貫くうえで生じる障害や抵抗があっても、文句いわず対処する覚悟つきで。
(けっこう、都合よくいいとこ取りだけしたい中高年の人って、本人は善かれと思って創造主の定義を受け入れたり受け入れなかったりの取捨選択を自分からしておきながら、『少しでもデメリット・不利益があるのは嫌。創造主の最高の真実からズレて、エネルギー的に対価・代償が伴うような信念&行動を自分が選んでも、創造主の特権でデメリット帳消しにして?チャラにして?なにひとつ嫌なことが起きないようにして』と思ってるフシがあります。それができたらいいんでしょうけどねー。少なくともシータヒーリングのような、『あくまで宇宙の仕組みを“最大限に使いこなしている”だけで、仕組み自体には沿っている』手法だとどうなのかなー。そういうエネルギー的ズルをしたいなら、やっぱり黒魔術とか妖術みたいな方面しかないんじゃない?)

あくまでお遊び、それこそディ○ニーランドで現実の憂さを晴らすみたいに、夢の国に一時的に逃げ込みたいだけなら、それはそれでアリなわけですから、少なくとも

「ここではあなたの現実逃避願望を満たします!砂糖菓子みたいに、そのときは甘い快楽を呼び起こしますよー!!(あとで虫歯になってどんだけ酷いつらい思いをしようと知ったこっちゃねえけどな!)」

というヒーラーなりセミナーなりワークショップを選びましょう♪

(あ、砂糖菓子食べ放題的な路線のセミナーで集客して甘やかして虫歯にさせて、歯医者も経営してさらにその客どもから搾り取る、という手法もあるか←まさにそれで潤ってるヒーラーとかセミナーもあるもんねw)



年寄り側について述べたので、オマケ的に若いほうにも言及しておこう。

超感覚ヒーリングやそこに出てくるスピリチュアル理論各種は、あまりに若い時期に知ってしまうと、かえってそれを「逃げの口実」に使いやすい側面があると感じます。

「そこにいるだけで愛されるに値する」
「みんな平等」

といった言葉は、文字面は同じでも、受け取り方のニュアンス次第で、ただの現実逃避として利用できちゃうんです。

個人的には、10代の中学高校(あとは大学や専門学校など、20歳前後までくらい?)のときは、俗世間の仕組みを知る意味でも、優劣を競い合ったり、理不尽な人の心の動きのパターン(誰かがなぜか人気者だったりイジメられたり、その図式が予測不可能ふうなトレンドで移り変わったりなどのいろいろ)を仕込んだほうが、大変かもしれないけど世渡りするうえで有用だと思っています。
(というか、この理不尽ふうな、人と人とが摩擦しあいながらも愛憎のなかでどうにかこうにか生きてる在り方から『逃げて』『否定して』、スピリチュアルな理論を『負け犬な自分を肯定して容認してくれるもの』として都合よく解釈して利用するような方向性でスピリチュアルと関わるのだとしたら、とても残念に思います)

なので、もちろん興味があるなら10代だろうとスピリチュアルなことを学ぶのは全然OKだと思うし、ひとケタ年齢であっても、それこそシータヒーリングのレインボーチルドレンのような、適したクラスもあると思います。

ただ、そういうジャンルを学ぶ一方で、学校や職場など俗世間からの「俗世の学び」もちゃんと身につけていってほしいなぁ、とオジサンは思いますよ。
(ちなみに俗世間的な世渡りで私が身につけて得意技にしているスタンスとしては、『人畜無害ふうなあどけない笑顔で相手の頸動脈にナイフあてて『下手な真似したらどうなるかわかってる?』と脅す』的なキャラです。あるいは、騙されてるフリしたり弱いから仕方なく言うことをきいてるのび太的な雰囲気を演出しつつ、相手が油断してるスキに心を浸食して虜(とりこ)にして意のままに操る、とかの悪女系)

やっぱりさ、現実にわりと不条理ぽいことや正論が通用しないことが起きるのなんか、みんな知ってるわけじゃない?
それを、「ただ(通用しない)正論を吐いて、善い人を気取るだけで、結局、現実では何もできずにいる」みたいなことしてごまかしちゃう痛い人には、なってもらいたくないなぁ、と若い人には特に願っています。
ましてや、現実の流れに対処できないから
「今の世の中は(私の都合のいい妄想で描いた理想からすれば、それが叶っていないし、これからも思い通りになる見込みもないので)よくない!だから、世の中のほうを変える!!」
と言っちゃうような弱い人にもなってほしくないなぁ。
(どうせ世の中を変えるなら変えるで、ちゃんと現実に対処して何不自由なくやりたいことができたうえで言えるようであってほしい)



まぁそんなこんなでテキトーに好き勝手かいてきましたが、クリアリング適齢期というものがあるとすれば、(その時期が訪れたときが最高のタイミングなんだよ!という正論は置いておくとしてあえて大雑把にでも傾向を述べるなら)

20代後半〜30代

くらいかなーと思います。
(これは私の私見であり、創造主からの真実とか、絶対にこれ以外にないと明言しているとかでは、ないですので注意!)

若気の至りみたいな「あら熱」もとれて、かといって「新しいことを学ぶのが億劫」なほど脳なり心なりがまだ固まりきっていない頃。
(そして人生のリセットをすることがまだ可能に思えるような状況)

で、そのクリアリング行為も、一生続くといえば続くけれど、それこそピアノを習ったら一生練習して上達は無限に続く、みたいな話と同じで、「ある程度、形になってサクサクできる」テクニックは、3〜5年くらいの間で自信が持てるようにしておくに越したことはないかと。
それで仕事や結婚、住む場所などライフスタイルなどの大幅な模様替えをやるならやって、そのあとは「自分の思い通りの人生」を続けていけるようにするとスムーズなんじゃないかなぁ。

(クリアリング中毒とかクリアリング行為への依存症にならないでほしい。ある程度のイシューを解消して、願いをちゃんとすぐ現実化できる程度の技を身につけたら、そのあとは、その場その場、そのときそのときに必要があればチャチャっとクリアリングする、という程度でいいんじゃないかな。ダイエットに例えるなら、いまが肥満なら一時期はがっつり減量が必要だけど、理想の体重になったらあとはキープするだけでいいという感じ?)



まぁ、こう書いちゃうと、

「適齢期を過ぎて、心がかたくなったり頭が新しい考えを取り入れられなくなった私は、手遅れですか?」

みたいに感じる人も出るんだろうけど、「そんなことはない」とだけ書いておこう(しかも嘘じゃないし)。

ただ、冒頭で述べた声優養成所の講師の言葉にもあったように、まずは自分自身で、そのかたく閉ざされた心なり、新しいものを受け付けなくなった頭をやわらかくするなりは、しないとね。それがどれだけ大変でも、なかなか思うようにいかなくても、逃げ出さないことね。そして、「継続して努力してるから良し」ではなくて、「実際、どのくらい成果が出たか」で評価することね。
その方法も、どうやればいいかわからないというなら、死に物狂いで探して、試して、あれこれ試行錯誤してみることね。
なんでもかんでも、ちゃちゃっとすぐにうまくいくと都合よく思わないことね。

で、それが嫌だというなら、

自分で自分のクリアリングすることをあきらめた

わけだから、嫌でもつらくても、今のまんまの路線で生きていくことを受け入れることだろうね。
(まやかしでも一時の気休めでも、クリアリングなんてしなくたってどうにか人生をやりきるのに必要な安らぎや快感を与えてくれるものなら、いくらでもあるでしょ。酒やタバコ、セックス、必要に迫られてじゃなくスリルと現実の憂さ晴らしのためにする万引き、麻薬、ゴシップ談義、人へのいやがらせや中傷、インターネット、ホストクラブなど自分を持ち上げて尽くして気持ち良くしてくれるサービス業、ギャンブル、(自分のエゴを押し付けるだけの独りよがりな)子供への過度の干渉、家族とわざと起こすいざこざや八つ当たりetc そういうもので気を紛らわせて、寿命が尽きるまでやりすごすのも、アリでしょお?)
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