勉強してないから試験に合格する資格がない?

セルフワークメモがてらに。

子どもの頃から、まったく家庭学習などをせずとも授業を流し聞きしてるだけでテストでいつも満点

大学受験まではそれでいいと思ってた
(高3の夏に志望校を決め、その時点では偏差値がたりてなかったので、『スーパーエリートの受験術』を習得して、週3時間程度の勉強を2ヶ月続けて合格確実なトコまで偏差値あげたらあとは(推薦で大学きまった連中と一緒に)遊びほうけていた)

大学では自分と学力が合う人たちばかりで居心地がもっと楽になるかと思いきや、勉強の出来という点では「普通の人がとても真面目にやって、それでも東大などの難関大学に行けない限界を持つ人がどうにかここに潜り込んだ」感じの人がほとんどで仰天。
また、(同じ大学の人だけでなく、偏差値でいえばもっともっと低い大学に通う人たちからも)なにかと
「都会の人間はね、子供の頃から塾とかにすごくお金かけて、人気講師の夏期講習なんか、予約のために親が何時間も並ぶの!そこまで努力してるの!!それに引きかえ、あなたは何?田舎の公立学校の授業だけで塾にもいかず家庭学習もしなかった?そんな人間が現役で早稲田に入るなんて、他の人たちに申し訳ないと思わないの?」
的なことを言われ、よせばいいのに真に受けた。また、
「試験には受かったかもしれないけどさ、あなたには、ラクして入れた分、勤勉さとか、不屈の闘志みたいなものがないよね。世の中にはね、苦労しないと手に入らないものがたくさんあって、これから社会人になるうえでは、試験の合否結果よりも、そういう人間性を身につけてるかどうかが問われてくるんだよ?可哀想に。努力せず何もかもがうまくいきすぎて、人間としては社会で尊敬されないロクデナシになっちゃったんだね」
と、苦労せず物事をクリアしてしまったがゆえのデメリットらしきことを指摘されることが多かった。
※この時点で、ろくすっぽ勉強せずに試験に受かるのは悪いことなのだと、後ろめたい気持ちになった。

社会人になってからも、会社から合格一時金が出る資格試験などを、業務に支障をきたさないようにしつつストレートで合格していったら、
「まともに仕事をしてたら、試験には受かるはずない。試験に受かったということは、仕事での頑張りがたりないということだ。反省しろ」
と先輩社員からネチネチ言われた(たいてい、偏差値でいうと自分が出た大学よりはるかに低いところを出た人たちが言うのが常で、どこまで参考にしていいかわからなかったけど、試験の合格が社内の人望にとってマイナスなら、受からないほうがいいともいえるのかと思いはした)。

苦労して勉強してない自分は、試験に受かる資格がないのだという思い込みが強固になっていってしまった

この思い込みを打ち破ったのが、英検準1級を(自分の子供といってもいいくらい若い、年の離れた子たちにまざってオジサンがひとり健気に)受けたとき。

試験を思いっきりナメていて、参考書は買ったがサボりまくって一度も開かずに試験当日を迎えてしまった。
で、試験中に「自分のような怠惰な人間は、試験に受かる資格がないのだ」という自責の念がこみあげてきて、頭が真っ白になってしまった。
それでも受かった。二次面接試験も、あれこれ英会話学校の直前対策講座を調べたりしたが結局どこにも行かず何もせず迎え、しどろもどろだったがやっぱり受かった。

それで、

「あぁ、べつに試験で重要なのは、合格点をとれるだけの解答ができるかどうかであって、それまでいかにどれだけ苦労したかではないんだな」

との基本をあらためて再認識。

罪悪感なく、勉強せず試験に受かってもいいのだという思考をワークして整備

また、「自分のようにたいして苦労せず、持ち前の能力の高さで受かってしまう人間が全力を発揮すると、すごく勤勉に頑張っても能率や記憶力やら理解力やらがアレなため不合格になってしまう人が可哀想。だから自分が身を引いてわざと間違えて点数を低く取り、そういう哀れな無能な(状態を選択している)人に試験を受からせてあげよう」みたいな、感じ悪い自慢みたいな思考も手放し。

要は実力がどこまで育ってるか、それを本番で出せるかだけなんだよね。ペーパーテストなんてのは。
自分がうまくいかないからとあれこれ理屈をつけて他人を妬んでいちゃもんつけてくる人の言うことなんか相手にする必要ないんだよなぁ。。。

と、いう境地に至りました。今さらかよ!!

ご参考になれば(←なるかよ!w)。
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