空気が読めないフリをしてた理由

回想みたいな戯れ言です。

自分の親はなにかと怒鳴る殴るをする人だったのですが、子供としてはそれは躾けとか教育という受け止め方ができるような余裕あるものではなく、単純に「死活問題(≒生存の危機)」でした。

特に、何か質問をしてきてこちらに回答を求め、その内容が気に食わなかったら殴る怒鳴るの嵐、というパターンが多かったので、こちらは瞬時に、動物的直感やら何やらを総動員して

「どう答えれば殴られずに済むか、怒鳴られずに済むか」

を全身全霊で考えるようになります。
(特に父親は、『子供というのは親の分身なのだから、親と違う考えを持つべきでない。親に絶対服従すべき存在である』という信念を強く持っており、子供の自由意思を一切、認めない人でした。完璧な『自分のコピー』であることを求めました。それどころか、自分のありのままでは体現できていない、『理想像』を子供こそは体現してくれ!と期待し、少しでも自分の理想にそぐわない有様をしようものなら、容赦なく鉄拳制裁が下るのでした)

もうね、自分の考えとか見つめてるヒマないの。

それで、(虐待を受けて育った人は往々にしてそうですが)空気を読むエキスパートになっていったんですね。
(ある意味、その『ずば抜けて空気を読むのがうまい能力』が、今の仕事で役だってるから面白いw)

で、今のように「KY(空気が読めない)」というような単語もまだない頃で、しかも自分が子供とされる年齢だったこともあり、周囲の

「ぜんぜん空気を読まず(それどころかぶち壊し)、好き勝手に振る舞う」

みんなへの劣等感のようなものを募らせていってしまっていました。

ぜんぜん子供らしく振る舞えない。オトナびているといえば少しは格好がつくかもしれないけど、しょせんは虐待の日々に負けて気持ちが萎えて、おとなしく周囲の顔色を伺って危害を加えられないようにコソコソ立ち回る卑怯者じゃないか……。そう思えて悔しかったんですね。

それで。

自分は虐待なんかされてない!虐待になんか負けてない!と言いたくて、わざと空気が読めないキャラを演じました。

わざーと、破天荒な振る舞いをしてみせたり、周知徹底された連絡事項を(ほんとは聞いてるのに)聞いていないフリをして間違えてみせたり。

そうやって、自分自身では虐待(によって自分の精神が卑小に歪められてしまったこと)を克服した気になったような、なかったことにできたような気になっていました。同時にそういうパフォーマンスは、他人から「コイツ、虐待されて育ったな」と見抜かれないためのカモフラージュのつもりでもありました。

虚しいったらありゃしない。
(でもこれ、わりとよくある現象で、わざと親の影響を受けていないと主張しようとしてグレてみたり、本心でもしようと思っていないルール違反などをしてみせるというのはどこにでも誰にでも多かれ少なかれあるのでは?)

でもそんなこと続けるのナンセンスだよねー。
傷があるなら癒してトラウマとか歪んだ思考パターン手放して、普通に気配りができる良識的な人に(なりたければ)なればいいじゃん、という。

まぁ、それだけの内容なんですけど。

「へぇー、そういう人っているんだー」

とか

「あ、自分にも心当たりあるかも。ちょっとワークしてみよ」

とかの契機になれば。
関連記事
スポンサーサイト