「シータヒーリング=掘り下げカウンセリング」だと思ってない?

これわタイトルどおりの一言に尽きるなぁ……。

シータヒーリングの基本であり真髄というのは、それがたとえガンであろうと現代医学では治療不可能と言われるような難病であろうと、超感覚による創造主との共同創造で治せてしまう、というところですよね。

つまり、「エイヤッ!」と気合いを入れたら(←あえてシンプルに言うための表現です)、病人が治っちゃった。それがシータヒーラーの真骨頂なわけです。

ビリーフワークと呼ばれるような、いわゆる掘り下げでブロックを解消してどうのこうの、という心理カウンセリング要素は、あくまでシータヒーリングで実現可能なさまざまなことのうちの1つに過ぎないと私は捉えています。

そしてそれは、病気を癒すコマンドをいきなりかけても「病気でいたほうがいい/この病気は治らない」というような、コマンドの効きを悪くする相手の信念があると病気がなおらないから、コマンドが効くように信念を置き換えるという目的のためというのが発端でした。

もちろん、いまや霊的成長だの人間的な悟りだか気づきだか学びだかのためにシータヒーリングのビリーフワークを使う人の数が増えていますし、それはおかしいことでもいけないことでもないのでしょうが、基本を忘れてはいけないと思うのです。

たとえば、基礎DNA講座でインストラクターが

「とにかくビリーフワークのセッションを1人でちゃんとできるようになるのが、シータヒーラーとして一人前になった証」

と捉えて、ひたすらカウンセリング手法めいたビリーフワークのヒントやら知識を受講生に詰め込むとしますよね。

そして、ブロックとはなんなのか、入っていたとしてそれをどうして取らなきゃいけないのか(or取ったほうがいいのか)もわからないままに、

「はい!やって!それをやるのがこういうセミナーの場なんだから!!」

という暗黙の了解がその場を支配し、受講生はわけもわからずいつのまにか、疑いもせず、

「そっかー。こういう、心理カウンセラーみたいな対話による相手の悩み解消をちゃんとできるようになるのが、シータヒーラーになるってことなんだー」

と思い込む。

でもこれって、どうなんでしょうね。

私は、(具体的な統計をとったわけではないけれども)わりと多くのセミナー現場が、こういう傾向に少なからずなっちゃってるんじゃないかなーと残念に思っています。
(べつに、それを良しとする人たちで集まってやってんだからいいっちゃいいんですけどね←投げやり)

最近の傾向として、私が行うセミナーでは、上記のような偏った思い込みを受講生が持つことがないようにとの配慮なのか、ビリーフワークによるあの、ペアワークで心理カウンセリングみたいなことをやるアレに割く時間を減らす傾向にあります。

それこそ、守護天使との対話とか将来リーディングなどの実習と同じように

「こんなことにも使えますよー」

と「紹介」する程度にビリーフワークを教えるのです。

そして、

「ピアノをいっぱしに弾けるようになりたいと思ったら、一定以上の練習時間が必要ですよね。シータヒーリングのなかでも、ビリーフワークはその度合いが高いといえます。だから、もしビリーフワークが上手になりたいと思ったら、同期生同士などで連絡をとりあって、練習したほうがいいですね。掘り下げを上達させることを目指した実践会なども開催されているので、必要に応じてそうしたものに出てみてもいいでしょう。ただ、一番大事なことは、他人と比べないこと。上達を焦らないこと。そしてなにより、ビリーフワークだけがシータヒーリングだと思い込まないこと。ビリーフワークのとき口だけ達者になってペラペラ喋り散らすことができるようになればシータヒーラーとしていっぱしになったなんて思い込まないでください。どっちにしてもビリーフワークでは頭を使って話をすることはないんですから、体内霊視や感覚感情の呼び覚ましなど基本的な(ビリーフワーク以外の、第七層につながるチャネリングの)練習をするほうが先決です。創造主からのメッセージが瞬時にうまく言葉に変換して喋れるようになりさえすれば、『掘り下げテクニック』なんて知らなくたって、いっぱしのビリーフワークができますから。くれぐれも、自分の頭で質問内容やクライアントの言葉に対する返答を考えるようなダメダメシータヒーラーにならないでくださいね」

的に釘を刺すに留めます。

そのうえで、(場合によっては)

「べつにビリーフワークなんてやりたくなきゃやらなきゃいいんですよ。コマンド一発でどんな病気も怪我も治せる、本来の意味でのシータヒーラーとしての実力さえ身につけておけば、信念のブロックがどうたらなんて、どうでもいいでしょ?シータヒーリングは宗教じゃない。こういうふうに生きなきゃいけない、こんなふうに物事を考えなきゃいけないというような教義も教典もないんです。ついでに教祖もね」

くらいのことを言います。

なんでビリーフワークをするのかという点については、上記に書いたこと以外には

「自分自身のなかの、シータヒーリングをちゃんと行うという方向性から見ればブロックとして見えうる信念・思い込みを解消したほうが、自分がシータヒーリングのコマンドをちゃんとかけられるようになって便利だから」

と、なるべく「精神的修養」みたいな概念に寄らないよう配慮した説明を心がけています。

そのうえで、ビリーフワークをする際にも、

クライアントの要望に応えることを目的とした場合に、必要最小限(かつ必要十分)な信念の置き換え・感覚感情の呼び覚ましを行うこと

を強調します。

反面教師として、クライアントの満足度を上げたいためなのかセッションに自信がないから数うちゃ当たる式に保険をかけたいのか知らないけど

「やたらめったら、これでもかと大量に感覚感情の呼び覚ましをしまくってくるシータヒーラー」

なんかにならないよう気をつけてね、といって笑いがとれたらもうしめたもの。

上達を焦って変な方向に突っ走ってかえって取り返しがつかなくなったり(そうすると、『おかしくなった分岐点までいったん戻ってみる』のが実は最良の策なのに、基本に立ち返るのが後退のように思えて心理的に抵抗がおきたり、面倒くさくなったり、せっかくここまで来たのに〜と執着が出たりしてかえって大変)、変な方向にズレた修練を積むがゆえに上達できない悪循環に陥ったりするくらいなら、ゆっくり地道に着実に、まっとうなワークを心がけたほうがいいのかぁ〜、と受講生が思ってくれるんですね。

(ヘンテコリンシータヒーラーになってしまう主な原因は『自分の見栄だか意地だかのために“クライアントを癒そうとして”ワークする。なんとしてもクライアントを癒そうとする』こと、それに『掘り下げテクニックなどを知識として頭でっかちに仕入れてしまい、ビリーフワークを自分の頭で考えて行ってしまう』ことのような気がしています、あくまで私の経験則に過ぎませんが)

そしてなにより!!

べつにビリーフワークなんて小手先のテクニックだけちょこちょこ小賢しく巧くなるより、「創造主と繋がって共同創造する(そのプロセスを超感覚的に見届けられるようにする)」という基本を積み重ねて着実にトータルにまっとうにシータヒーラーとして成長していくのが、「急がば回れ」式に一番の近道

ということをわかってもらえるんですね。

先日おこなった基礎DNA講座でも、他のインストラクターから初受講、再受講をしたうえで私のセミナーは初めてという位置づけで再々受講してくださった方が

「感動しました。まずはちゃんと、創造主とつながるという基本だけみっちりやれば、充分なんですよね。それがシータヒーリングの真髄なんですよね。ビリーフワークなんて(シータヒーリングを学ぶ人に最初にいきなり)教える必要ないんですよ」

と感心してくださいました。

まぁ、そんな感じでーす。

注:ただし、これが中上級シータヒーラーを目指したいということになれば、ビリーフワークをいっぱしに、、、というか、上手に、、、というか、「他の人がぶったまげて『この人には逆立ちしたってかなわない』とひれ伏すほど最高に素晴らしく」できるようになるのが望ましいことは、言うまでもありません。ずっとビリーフワークができずにいることを全肯定しているわけではありませんのであしからず。むしろ、まともなビリーフワークもできないくせにアナトミー以上の中上級セミナーに申し込んでフライング受講して「空振りしちゃったー」とヘラヘラ笑う人のことは、二度と笑えないくらい顔がパンパンに腫れるまでひっぱたいてやりたいと個人的に思っています。
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