守護霊・ハイヤーセルフが病気にすることもある

思考のイシューや呪い・契約の類いにも原因がないのに、ヒーリングコマンドが効かない場合があります。

そういうときの可能性の1つとして、守護霊やハイヤーセルフが、メッセージの一環として病気や怪我(の治りが遅い)などの現象を引き起こしている場合があります。

シータヒーリングの応用講座のテキストで、ハイヤーセルフが、休むことを知らない人に呼吸器系の不調をもたらしている件が紹介されますよね。あれがまさにそう。

どういう場合がそれなのかはもう、創造主とのチャネリングや、エネルギーの構造を霊視で読み解くしかない(はじめは『?』だけど、慣れるとすぐピンとくる)んですけどね。

「え?知らなかった」
「あー、見落としてた」

という人が気づく・再認識するきっかけになればと。

で、そういうときは、自分に不調をもたらしている守護霊やハイヤーセルフと話し合うのが手っ取り早いですね。

何かしら気づいてほしいこと、このまま元気で突っ走り続けるとヤバいと思ってるからこそ、守護霊やハイヤーセルフはそういうことをしてくるんです。
だから、

「あのさ、風邪とか怪我とか、治りの遅さみたいなまだるっこしい方法で伝えてこないで、ちゃんと言ってくれる?」

と問いただせばいいんです。

それは思いもよらないことであったり、頭ではうすうす感じていたけれど日々の雑事などを優先して放置していたことをやれというメッセージだったりします。

オススメは、そこで

「えー?アンタの言いたいこともわかるけどさぁ、いま忙しいのね?だからそんなことしてるヒマないわけ。わかる?」

と反発して相手(=自分に不調という形でメッセージをもたらしてくる守護霊やハイヤーセルフ)を説き伏せようとするのではなく、双方が納得あるいは妥協するところまで条件を交渉すること。

で、相手が納得したら

「わかった。この条件でいきましょう。この条件どおりに私が行動している限り、もう風邪とか怪我とか不調をもたらすの、やめてくれる?」

と念押しして話し合いを終了し、決めた条件をきっちり守って生活すること。

……だと、個人的には思っています。

まぁ、あくまでも対抗するという手もあるとは思いますが、個人的にはおすすめしません。
(注:守護霊のなかには、善かれと思ってスパルタだったり本人が望まないような厳しい試練を与えてくる者もいるので、その場合は守護霊をリストラするのがベストなケースもある印象です)

ご参考になれば。


個人的には2日ほど前からがまさにそうで、世にもくだらない(というのはあくまで私の価値観による決めつけだと自覚しつつ言ってますが)細菌性の風邪にやられてました。

それも、朝方に胸が苦しくてだるくてつらく、精油を塗ったり水分補給や食事をすると多少はラクになり日中は普通に動ける(それでも風邪のとき特有の体力のなさは感じる)。それでいて夜は早々に疲れてしまい、寝るとまた翌朝は胸が重苦しくてつらい……の繰り返し。

「これは病院で抗生物質もらって飲むほうが早いな」
と思っても、なぜかうまいこと時間が合わなくて行けない始末。
あるいは、精油などでにわかに回復して
「あ、もう病院いかなくていいや」
と思ったら次の日また調子が悪くて、ああ行っとけばよかった、というw

ヒーリングをかけても、コマンドが「遮断される」感じがして(ドラクエをやってる人なら、ルーラやリレミトが特定の状況だと『不思議な力でかきけされた!』となるのを知ってると思いますが、まさにそんな感じ)、効かず。

なんだろう、と原因を探ると、ハイヤーセルフからのメッセージとしての風邪(の治らなさ)でした。

それはよりによって

「いい加減、ピアノから目を背けるのをやめにしろ」

というメッセージ。

私はもともとピアノを仕事にまでできたらいいなと思ってたクチなのですが、いろいろあってそういう流れになるでもなく、また今さら自分がクラシックの大曲・難曲をなんでも弾けるようになったところで、どこからお呼びがかかる?誰が価値を信じて聴いてくれる?とやさぐれて、一切、ピアノを弾かないようにしていました。それが20代の頃から何年も続いて。
それで、ピアノがモノにならなかった腹いせ?逃げ?代わりの欲望実現?として、フルートやチェロ、ハープをやって

「ピアノとは違って、楽しく、趣味の一環として」

なんてつもりで自分の本音を誤摩化してるようなところもありました。
(もちろんフルートにせよチェロにせよハープにせよ、逃げ以外の『だからこそこれをやる理由』というのはちゃんと、あるにはあるのですが……)

でも、昨日は高畑淳子さんのコンサートに行くことになり(なぜか急に膝が痛んで歩くのが遅くなり電車の乗り継ぎがことごとくうまくいかなくてコンサートの開始に間に合わないというブロック発動まで起きて←ということは、つまりはコンサートに行くことが私の霊的成長にとって何か衝撃的なほどのプラス刺激があるということの裏返し)、そこでピアノを担当していた岩間南平さんが音大卒ではなく、私と同じ早稲田大学法学部卒ということが演奏者紹介のときに触れられてハッとしたりして……。
(演奏のスキルの高さ(なのに音大出の人じゃない)もさることながら、年金生活に突入するお年ながら40代くらいにしか見えない若々しさにハッとしました。そこで高畑淳子さんが『ピアノは指を使うから、脳に刺激がいって老けないのよね』なんてコメントを挟まれるものだから二重にハッ。自分にとってピアノは、芸術というほかに、脳の老化防止&活性化のためのエクササイズとしても重要視していたなぁということを思い出して)

それで今日はついに観念したかのように、実に数年ぶり(下手したら10年ぶり?)くらいに、マトモにピアノを弾いてみました。

それで、自分が今後もしピアノと付き合うとしたら、どんな付き合い方かということがすごく見えたんですね。

いわゆる伝統的なクラシック一辺倒で超絶技巧を獲得するというよりは、ポピュラーやジャズ、もしくは劇中音楽のようなBGM的なものを必要に応じて奏でられる程度には問題ない腕前を持ち、柔軟にいろんな人と音楽を楽しめるようでいること。できれば即興や音楽理論なども、他のミュージシャンとの「会話(合奏などの音楽的会話も含む)」に困らない程度に身につけると望ましい。
またなにより、自分が弾いた音色を聴くことで、自分自身の波動の状態を把握する自己内観としても重要。
そして単純に指の運動というエクササイズとしても重要。

……そういう、自分がピアノを弾く理由のようなものが(もしかしたらようやく人生で初めて)クリアに見えました。

ようするに、「再度ピアノを弾く」という行為そしてそうすることによって得られる気づきは、ハイヤーセルフが私に風邪をひかせでもしないと、現実として起こり得なかったということなのでしょう。

不思議なもんだなぁ、と思いつつ、やることやったら風邪はあっという間に治りました。

まぁ、そういうようなこともあるよという1つの事例として。
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