時間差でも納得してもらえるセッションを。

ヒーリングセッションの感想をいただいたので掲載しますね。

前回のセッションの感想です。

見えない聴こえないのテーマだと分かってもらえない事が多かったり、セッションを断られたこともあったので凄く心配していました。
セッションOKの返事をいただけた時は嬉しかったです。

usamimiさんは、私の言葉をひとつひとつ丁寧に拾って創造主に繋げ、気付きや解決をしてくださり、説明も分かりやすくとても勉強になりました。
嫌な記憶を無理やり掘り起こさせられて泣くといった事もなく、前向きにセッションを進めてもらえてありがたいです。

厳しい言葉も出ましたが、誰も言ってくれないことだったし、本当にその通りだったのできちんと受け止めようと思いました。
また、受難の誓いを解除した時はなんとも言えない懐かしい感じでいっぱいになりました。

セッション後、しばらくの間は毎日セッション内容を思い出していました。
頭が拒否してどうしても思い出せなかった言葉が、ふとした瞬間に出てきたりして
『あ、この時のアレってこういうことだったのかも』 と納得しながら少しずつ定着できました。


とても内容の濃いセッションでした。
ありがとうございました。


この方は、シータヒーリングの講座に出席したけれど創造主とのチャネリングができるようにならない(少なくとも、自分にはできていないと感じている)ことがテーマでした。

が、感想をもらってまず驚いたのは、見えない聴こえないのテーマだと断られることがある、ということ。

個々のヒーラーによって営業スタイルなり断った理由も様々なのだと思いますが、もし「めんどくさそうだからやめとくか」という理由でヒーラーが断ってるとしたら、なんだか残念だなぁと他人事ながら思ってしまいました。
(私自身、セッションの依頼を断る確率は決して低くないのですが、好き嫌いで決めているわけではありません。依頼があると、自分がこれを引き受けることが私とクライアントの双方にとって最高最善かどうかを尋ねて判断しています)

私の取り越し苦労に過ぎないことを祈りますが……。

さてピンクの太字にさせていただいた部分、私のもとへ寄せられる感想で、ここ最近(というかここ1年半くらい特に)多く寄せられる内容なんですよ。

セッションを受けたときには、私が何を言っているのかクライアント本人は、よくわからないという感想を持つそうなんです。

で、よくわからない内容だったら忘れてしまってもおかしくないのに、なぜか皆さん、私がなんと言ったかをずっと覚えていて、あるいは忘れたつもりになっていたのにふとした瞬間に鮮明に文言が記憶から蘇ってきて、

「あ、そういうことか!」

と合点するらしいんです。

これってまさに、ヒーラー冥利に尽きるんですよね。

特にシータヒーリングの場合、ヒーラー本人は創造主から告げられることをただ通訳者のように代弁するだけなので、自分で何を言っているのかわからないことも往々にしてあります。

だから、創造主から聴こえた言葉の意味が私自身にもわからず、それを伝えてみてもクライアント側でもさっぱり……という場合、ひそかに

「え、俺のチャネリングって全然できてないってこと?できてるつもりで、全然ダメだったりしたら?」

という不安がよぎらなくもないんですね。
(でも慣れとか、ここに挙げたような『後付けで正しいことがわかった』経験を積むにつれ、神経が図太くなってきて『まぁ、なんか意味があんだんべぇなぁ』というような楽観性、もっといえば無責任さで鮮やかにそうした不安は心から拭い去ります)

だから時間差、期間差があろうとも、

「あのとき、あなたから聴いた創造主のメッセージは私にしっくりくるものだった(私がセッションを受けた時点ですぐ理解できなかったのは、私側に原因があった)」

というフィードバックがクライアントからあると、ほっとするんです。

また、ヒーリングセッションと称して、キャバクラの営業よろしく甘い言葉でおだてて慰めて褒めて優しくして、クライアントを「精神面でのフーゾクでイかせる」みたいなセッションをするヒーラーが反面教師的にいるよなぁという実感があります。
もしくは、言葉巧みにクライアントを自分というヒーラーに依存させて、

「何かあったら○○先生に相談しよう!」

と(ヒーラー本人が自覚してやってるかそうでないか私は知りませんが)信者化させ、帰依させ、自分というヒーラーの中毒患者に仕立て上げて半永久的に金を巻き上げる図式を結果的に形成するようなスタイルのヒーラーもいます。

「私はそういうスタイルなの!食っていかなきゃいけないんだから、仕方ないでしょう?どこが悪いの?」

と言われても、まぁそうですよねぇとしか言えないのですが、個人的信条として、そういうスタイルの営業はしたくないなぁと思っています。

(たいていの場合『ええっ?私の営業スタイルのどこが、そう見えるっていうの?』とおどけたり傷ついたような演技をして、内心は身に覚えありまくりなのをあくまでも否定、って路線でしょうけどw)

だから……といって無理矢理スパルタふうな厳しさを演出しているわけではありませんが、結果的に、常識的に考えたら

「はぁ?なんでこっちが金を払ってんのに、初対面のアンタにそんなことまで言われなきゃならないのよ!」

と激怒してもおかしくないようなことをズバズバ言います。
(だって、創造主から告げられた言葉を橋渡しするだけだから、私には創造主からもたらされたメッセージを言う言わないの決定権はないわけですがw)

そういうスタイルのセッションであっても、クライアントから「よかった、ありがとう」と言ってもらえるということは、そこそこ以上にちゃんとやれてるのかもなぁ、という目安になるんですね。

なおかつ!

厳しい言葉をズバズバ言うこともあるとはいえ、いたずらに心の傷を必要もないのにほじくり返して、クライアントの心をさらに痛めつけるような、本末転倒なセッションにもしたくないという意向があります。

で、私がそもそもそういう意向を持ったうえで創造主に尋ねているからなのか、創造主からもたらされた言葉で展開される私の掘り下げは、意外にも?厳しくありません。
(というか、厳密にいえば私が掘り下げているのではなく、創造主が掘り下げのヒントをくれて、私はそれを告げ、クライアント本人が自分自身を掘り下げるお手伝いをしているに過ぎないのですが)

抽象的なヒントをさらっと言ったら、あとは「あなたは今の言葉を聞いて、どう思いますか」というふうに促すだけなんです。
(これ、心理カウンセラーがやったら『手抜きだ、詐欺だ、サボタージュだ』とか言われるんでしょうかね?w)

自分で納得のいったことだけを、自分自身で掘り下げて自分の口から認めて言うから、クライアントも苦しくないというか、むしろ自分の欠点を素直に認めたり、自分が苦しんでいた原因を見つけてそれのどこをどう変えれば苦しみがなくなるかを自分で発見するので、嬉しくてワクワクしてスッキリするんです。

だから、苦しんだ記憶を思い出して(癒しに直結せず、セッションのプロセスのなかでも必要とはいえないのに)号泣したり、胸が痛くなることもなく、問題が解消することが往々にしてあります。

これは余談ですが、ヒーラーが自分の力量を「クライアントを泣かせることができたかどうか」で判断する傾向が、一部にはあるようです。
もしくは、「クライアントが号泣すればするほど、効果的な良いセッションだという目安」という思い込み。

そういう思い込みをヒーラー側が持っていると、とにかくもう、クライアントをいかにどれだけ激しく泣かせるか、泣かないなら泣かせてみせようクライアントとばかりに「クライアントを泣かせにかかる」ヒーラーになっちゃうんですね。
で、いざクライアントが泣いたら「どうよ?私のヒーラーとしての力量は凄いもんでしょう?」とドヤ顔、みたいな。
そういうの、嫌なんですよ、私。
客から金をもらっておいて自己満足に浸るのって最低、とか思えて。(←現実には、そこまで酷いセッションをやる人がいるかといったらそうそういないような気もするのですが、まぁ1つの極端な例として)

まぁ例によっていろいろだらだら書きましたが、ヒーラーとして、クライアントの満足を置き去りにして自己満足に陥ることなく、またかといってクライアントのために自分を犠牲にしてしまうこともなく、うまいことセッションできたなぁと思える打率がここ1〜2年は特に高い気がしてるので、驕らず怠けずこの調子で精進していきたいと思いました。
P.S
ひととおりクリアリングがすすんだ人のセッションになると、わかりやすい掘り下げのプロセスとか土台の発見→置き換え、という流れになることが少なくなり、終始、禅問答のような、

「なんだこれ金もらってやっていいのかよそれでもヒーリングセッションかよ!」

という内容のセッションになる確率が高くなってきます。

そこでクライアントが

「は?わけわかんねぇ。いまの自分の問題と、今いった抽象的な詩のような言葉のどこが繋がるわけ?」

と考えることを放棄してしまうと、(言っている私にもどこでどうその人の問題と自分が創造主から聞いた言葉がつながるのかが頭で考えるとわからないので)

「うん……。なんか……すごーく、わけのわからないことばっかり言っちゃってたよね……(ごめんね)」

というふうにこちらも恐縮せざるをえなくなります。

でも、実際そうなることは稀、、、というか、無い、、、と言っちゃっていいのかな?

まずもってないです。

それが数日後なのか数週間後なのか数ヶ月後なのか数年後なのかわかりませんが、それでも(創造主を通じて降りてきた)私の言葉をクライアントは覚えているもので、あるタイミングで

「あぁ!そういうことか!やっとわかった!!」

と言ってくださることがほとんどです。

もちろん、クライアントにその瞬間が訪れるまでは

「なんだったんだろ、あの人にお願いしたセッションの意義は」

とクライアント側で私に対して不信感なり嫌悪感なりを持ち続けることも可能性としては捨てきれません。

でも、ただ単に人から(というか客から)好かれたいから聞こえのいい言葉をぺらぺら喋ってご機嫌をとってゴマをすって、というようなセッションにはしたくないのですなぁ。

って、まーた蘊蓄語ってやんの。

まぁ、たまにはさせてよ、都合のいい自画自賛。(←注:酒飲んでません。素面でこの記事書いてます)
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