波動帯域のコンフォートゾーンを上げるカンタンな?方法

波動って、単語の定義も曖昧だし、それを高いとか低いとか論じるのって差別的な偏狭さがある気がしてあえて話題にしないところが自分にはあります。

でも、わかる人にしかわからない?オーラの周波数の違いみたいなものは、確かにあるんですよね。
そこまでサイキックだなんだと言わなくても、雰囲気を感じ取ることは誰でもできると思います。

暗くしみったれた、ずぅんと沈み込むような雰囲気の人や場もあれば、いるだけで心地よく満たされて嫌な気持ちが消えていくようなのもある。

ここではわざと、そういう曖昧な定義で「波動」と言ってみたいと思います。

で、波動を高くすることって、霊的な進化のため(もしくは『金持ちになりたい』というような現世利益追求のため)、重要だと捉える人がスピリチュアルに傾倒する人のなかには多いですよね。

でも、波動の高さを「努力目標」として掲げる一方で、自分が慣れ親しんだ波動帯域が低いものだと、そこからわざわざ離れる未練や苦労、慣れ親しんだものを手放すとき特有の怖れ、波動の高い領域だかが本当に良いものかわからないからこそ感じる不安……などがこみ上げて、二の足を踏んでしまうことも。
(これがつまり『コンフォートゾーン=快適に感じる領域』で、コンフォートゾーンから離れると人は落ち着きません。なので、コンフォートゾーンのほうを、次の自分にふさわしいものに変えるのが大事なのです)

自分の場合は、どこかで「ものすごく高い波動」とはどういうものかをわかっているし体現もできてたと感じているところがあり、

「せっかく波動の低いものがうごめく(珍しい)場所に来たんだから、わざわざいつもみたいに波動を高くする必要ないじゃない?波動の低さを楽しめばいいじゃない?」

という立場でした。

でも、いわゆる波動の低いしみったれた感情や状況というのは、もうあらかた見きった印象があり、「いいかげん、波動が低いものを見続けるのも飽きたなァ」と思い始めたのがここ1〜2年くらいかなぁ。

それでも。

いつもいつもずっとわざわざ波動を常に高い状態にしてなくてもいいじゃん、波動の高い場とか人と接するときだけ、服を着替えるみたいに波動を一時的に上げていさえすれば、という考えは根強くありました。
(問題なのは、いざ波動の高い物事や人、場に行く際に、その波動の高さにつりあうまで自分が波動を上げられないこと)

それは間違いではなく、個々人の信条の問題だとは思います。

ただ。

個人的な趣味ゆえなのですが、ここ1〜2ヶ月は、観劇強化月間と称して、最低1日1回は舞台を観ようと決めてチケットをとりまくりました。(実際は、昼と夜、1日2回舞台を観る日のほうが多かったですが)

観る舞台も、一流スターと呼ばれる人たちが出るものから、世間では無名な小劇場の役者がやるものまで、多岐にわたりました。

いずれにせよ、スターになるだけある個人の波動の高さや、個々人は一般レベルでもみんなが集うことで生まれる波動の高さの相乗効果といったもの、人間が真剣に何かに打ち込むときに生まれるきらめきのような高い波動……そうしたものに、毎日毎日、1ヶ月以上もずっと包まれ続けることになったわけです。

そしたら!

いつのまにか自分のなかで「だいたいこのくらいが、普通の波動でしょう?」という認識(←まさに自分にとっての波動のコンフォートゾーン)が、思いっきり上がっていたんです。

「いつのまにか上がっていた」ことに気づいたのは、誰か波動の低い人に会って、その雰囲気や話す内容など総合的に放たれる波動のあまりの低さに

「低っ!?」

とびっくりしたのがきっかけです。

他人の波動の低さにびっくりするなんていう体験を自分がしたこと自体が、びっくりでした。

こちらにまったく相手への蔑みや差別意識はなかったのですが、ただただ

「うわー、世の中に、こんなに波動が低い人っているんだ!?」

という驚き。しかもその人の波動がとりわけ低いというわけでもなかったんです。普通、一般人ってこんなもんじゃね?という帯域の波動だったんです。

それを低いと感じるようになっていた自分に驚きでした。

で。

いったん上げた生活水準を下げるのが大変なように、いったん上げた波動のコンフォートゾーンは、わざわざ下げるメリットすら感じないですね。

これは不思議!

波動を上げようと躍起になってもなかなか難しいものだったりするのに、いざ上がると下げるのが難しいなんて!!

そうなると、それまで

「こういうどよ〜んとした想念が、出来事が、しみったれたこの状況や場、人が、ネガティブで波動が低いことくらい、わかってる。でも、それもあってこその人生でしょう?ネガティブな物事がそこそこある人生のほうが、偏りがなくていいじゃない」

と思ってた気持ちがスパーン!と消えたんですね。

「いや、さすがにここまでのネガティブは、わざわざ自分の人生に登場させる必要がもはやないわ。過去にじゅうぶん経験したし、これ以上、似たり寄ったりのネガティブを味わいたいとは、到底思えない」

というふうに。

極端な例えですが、世の中にはいろんな汚いものがあるとはいえ、わざわざ自分の部屋のなかに、犬の糞やら産業廃棄物やらをちりばめておく必要は、さすがにないわけじゃないですか。

それと同じように、ネガティブで波動が低いものは世の中にはいくらでもあるだろうし、それはそれ固有の何らかの意義なり価値なりがあってこの世にあるんだろうけれど、それを自分の目に入るところになんとしてでも置き続ける必要はないよね、という心境に至ったというか。



さんざん前置きしましたが、タイトルに挙げた方法というのは

波動の高いものに日常的に触れ続ける

ことです。

(家庭があったりお金に制限がある人、多忙で時間の捻出が難しい人は、カンタンに感じないだろうとの思いで、タイトルの「カンタンな」のあとに「?」を置いた次第)

意識を高めて気を張りつめて「波動を上げるぞ!」と努力するんじゃなくて、無意識にいつのまにかそれがフツー、と思えるような境遇に自分を置くことで、「いつのまにかそれに慣れてしまっている」状態にしてしまうという方法ですわ。

あとは、低い波動だとわかりきっている人や場、状況、物事には、よほど接しなきゃいけない理由があるとき以外は関わらないことかな。
(会社員をしていて、会社の波動が低いとこれがすごく難しいんでしょうけど)

嫌なもののことはわざわざ考えないで、求めるもの、いいと思えるものを手にすることだけを考えて生きてったほうが、ラクだし結果的にうまくいくという基本原則に勝るものなし!という感じです。

波動の高いものにはいろいろあるし、なにも観劇という手段をとらなければいけない、ということはないでしょう。

が、芸能関係の人のほうが、まず自分の側で「その人を知っている」し、公演という形をとって「その人に会う」のがやりやすいと思うんですね。
一般の業界で、もし仮にすごい人がいたとして、会ってもらうの大変じゃないですか。よほどの共通項があるとか、相手へのメリットを自分が提供できるとかでない限りは。
なので私の場合は芸能方面のすごい人各種を目の当たりにする機会を増やしたという次第です。
(ただ、当初の目的は、波動を上げることではなくて、芸を観ることでしたが)

なんかだらだら書いたけど、そんな感じ。
今日から35歳ですが、波動のコンフォートゾーンを上げてスタートを切れたのはよかったかな!!
関連記事
スポンサーサイト