自分で勝手に決めた「身分相応」に甘んじない

人間って、自分が勝手に頭のなかで構築した「秩序」を守ろうとするところがあります。
しかも、よかれと思って。

内容はさまざまなのですが、

・私は貧乏人の子供だから〜
・自分は低偏差値の学校出身だから〜
・自分は容姿が醜いから〜
・昔からクラスでは人気があるほうじゃなかったから〜

などの理由で、誰に強制されたわけでもないのに

社会で「このライン」を越えて活躍したら出しゃばり。

という境界線(というか、限界)を設けてしまうんですね。

日本ではドラえもんのジャイアンが

「のび太のくせに生意気だぞぉ〜?」

というセリフを言うので、このへんの感覚を民族単位、国家単位で共有してしまっているのかもしれませんねw

また、その秩序を守る動機もさまざまで、

「だって、目立ったら誰かから非難されそうで怖いし」

という恐怖・不安からそうしている人もいるでしょう。

また、

「自分の母親みたいに、ブサイクなくせに出しゃばる人間は最低!私はブサイクなりに、人より3歩下がって生きていく。それがマナー」

というふうに、あえて自分で自分に限界を設けてそれを守ることが、本人にとって誰かへの主張だったりあてつけだったり、とにかく「信念の表明」になってる場合もあります。

あと意外と多いのが、

「自分は学校時代、本来なら勉強して良い成績をとるべきだったのに、怠惰によってそうしなかった。だから大人になった今、学生時代に自分より成績が良かった人たち(≒頑張った人たち)より報われるようなことがあってはならない。『ああ、こんなことなら学生時代にしっかり勉強しておけばよかった』と悔いることで、まっとうな人間として成長していくのだ。

そして同時に、この無様な自分の姿を他人に晒すことで、『学生時代にはちゃんと努力しないと、悲惨なことになるのだな』と思ってもらいたい。そうして、努力は尊いのだという思想を、この世界に普及させたい。怠惰だった人間は何があっても報われるようなことがあってはならない世界こそが、秩序の保たれた状態なのだから」

という具合に、自分を罰することと人間として成長すること、自分の信念を他人に表明することと世界の秩序が保たれることが全部リンクしている場合(←真面目な人、修行系のイシューをいっぱい持ってる人、あとは『謙虚ぶってるけど実は自分の理想を社会や他人に押し付けようとするエゴイスト』にありがちかと)。

ほかにも挙げたらきりがないかもしれません。

でね。

それって、ほんとに守っていたほうがいいわけ?って話です。

それを守ることが、本当に世界の秩序を守ることになるの?その制限を破ったら(例:ブサイクなのに堂々と主張して生きるほうへシフト)、自分は酷い人間だという証明になるの?霊的な罪をおかしたことにでもなってしまうの?

……ってこと。

自分が自分に対して、勝手に設けてる制限がないかどうか、思いめぐらせてみると、何か発見があるかもしれませんよ?(なくても責任持ちませんけど)


ちなみに自分の場合は、親が教育に理解を示さない人だったし、「本当に才能があれば誰からも何も教わらなくても世の中で成功できる」という信念の持ち主だったので、反発する意味で

「ほらみなよ!いくら生まれつきの素質がなかなかのものだって、誰にも何も教われずに放置されたら、たいしたところまで行けないんだよ?」

と、自分でわざと「ここまでしか行ってはいけない」制限を設け、そこまで行くと(ほんとは全力を出せばその先にも行けるのに)

「ああー!優れた指導者にちゃんと教えてもらえないから、子供が独学でいくら頑張ってもこのくらいにしかできないよぅ!!そっかぁ、こういうとき、精神的にも物理的にも保護者や教師がサポートすることが、とても大切なんだね。教育って、大事だなぁ〜」

という主張を演技して親に見せる(が、無視されるか意味をわかってもらえず『アンタなにやってんの?』と怪訝な顔をされて終わる)に終始したわけですが。

(まぁでもようやく、宇多田ヒカルの歌じゃないけど『子供騙しさ 浮き世なんざ〜♪』と堂々と言えるところまで来たので、もうそういうわざーとらしいわけわかんない一人芝居はやめております。ほんと不毛やわ。もっとガンガン行っちゃって、いろんなことうまく成功できてる人たちと景気のいい話してたほうがなんぼ楽しいか)
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