脳を変えれば体が変わる

ダニエル・G・エイメンの著書。
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Change Your Brain, Change Your Body: Use Your Brain to Get and Keep the Body You Have Always WantedChange Your Brain, Change Your Body: Use Your Brain to Get and Keep the Body You Have Always Wanted
(2010/12/28)
Daniel G. Amen M.D.

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医師である著者は、脳と健康、若さ、美容、精神疾患などの関わりについてたくさん本を書いており、ある種の「脳ネタをウリにした成金作家」的なイメージがあるようです。

この本も、米国amazonのレビューを見るに、あまり良い印象を持っては受け入れられていない模様。

でも、個人的には参考になることがたくさんあったので、ちょっと書いてみよう。

まず印象に残ったのは、脳の健全な発達が、人生を左右するということ。

双子でも、姉は美しく若々しく高い学歴を手にして職業でも成功し充実した幸せな人生を送っている一方、子供のときに転んで頭を打った経験のある妹は(べつに後遺症が残ったわけでもなく、本人も怪我したことを忘れていたほどなのに)肥満で老けて見えて低い学歴で職を転々として(≒人格に難アリ?)底辺をさまようかのような有様、という例が挙げられます。
(ここで、写真を掲載するでもなく、しかも仮名で……つまり嘘でもわからないという書き方で……たった1つの症例をもってして自説を唱えるという姿勢が、うさんくさいとか、信憑性が低いと判断される要因のようです。たしかになぁ、子供の頃、怪我して頭を打ったことが、妹の人生が姉と比べて低水準になった理由だと言いきるのも無理があるといえなくもないw)

そして脳の健全な発達というのは、なにも物理的に頭を怪我したかどうかだけでなく、日常の活動すべてによって決まって来るということ。

頭を怪我をした人の脳のスキャン画像(MRIなどで)を見ると、いびつで歪みがあるんですね、カタチからしてすでに。
しかし、別段、頭を怪我したわけではなくとも、問題ある日常(行動/思考などすべて)を送っている人の脳をスキャンすると、怪我した人と同じようにいびつなんです。

つまり、思考や行動に問題ある生活を送っていることは、それ自体が「頭を大怪我した人」と同じくらい、脳を損傷させてしまうんです!!

ストレスや恐怖などのネガティブに苛まれ続けたり、くよくよと悩む思考パターンを持っていつも悪いほうへ物事を考えたりするクセがついているということが時間をかけて、スキャン画像で見てわかるほどにまで脳の健全さを蝕んで行くというのはゾッとしました。


知識としては知っていたけれどあらためて言われると納得して唸ってしまうのは、「脳が健全なら肉体も健康で美しい」ということ。
(裏返すなら、外見が老け込んでいたり体格が肥満寄りだったり肌でも骨でも内臓でもどこでもいいから不調があるということは、すなわち脳が健全でない証拠というわけ)

そこでズゥーンと落ち込んだところで、救世主登場!とばかりに

脳は鍛えることで強くなる。
いったん機能が低下しても回復する。


ということが述べられる次第ですわ。

著者曰く、

脳は筋肉と同じで、鍛えることで強くしていける
脳が鍛えられれば、意思の力(Willpower)も強くなる


とのこと。

で、ためして○ッテンばりに、脳の〜〜機能を強化するにはこの栄養素を摂るとよい、などの情報がわんさか展開される、と。

そのなかで脳を健全にして強く鍛えるのに有効な物理的行動として、

・目標を立てて紙に書き出し、いつも見えるところに貼る

などの

「えー?そんなことはどこの素人に聞いても出てきそうな話だし、中身のない自己啓発本とかがどんだけ浅はかに推奨してれば気が済むんだよってレベルじゃね?」

と思わざるをえないようなことがたくさん出てきます。

が!

医師だけあって、「それをすることによって、これこれこんな効果が見込まれる。なぜなら脳のこの部分はこういう性質を持っており、こういう行動は脳の〜〜を〜〜する働きがあるとされるからだ」というように、医学的な根拠づけをしてくるんですね。

もうそうなると説得力倍倍増!!
(こういう、トントン拍子に調子よすぎる断定をホイホイ書いちゃうところが、慎重な読者から著者が批判されるポイントなのかもしれませんね)

著者の論旨の信憑性をあえて八割程度に控えめに捉えるとしても、それまでいろんな自己啓発本やら学校の先生やら友達やら先輩やら誰もが推奨していた行動各種について、

「あー、だからかー」

と納得できそうな論旨が述べられているのは、読んでいてちょっとスッキリしますw

個人的にはとりわけ、「Long Term Potentiation (LTP)」という概念は印象に残りました。
Potentiationは「補強」という意味の単語です。

人はそのときどきの意思決定を「たまたまそのとき1回限りのこと」と軽く捉えがちです。
が、それらは良くも悪くも、物理的な脳内の変化を伴う「トレーニング」になっているのです。

どういうことかというと、たとえば夜、体には悪いと思いつつも、夜食を食べてしまう習慣がある人がいるとしましょう。
この人はいつもついたまたま……と思って夜食を食べてしまいますが、脳内の神経では、いろんな意思決定をしうるシナプスの繋がりがたくさんあるなかで

「悪いとは思いつつも、夜食を食べる(という選択をする)」

という神経のシナプスが、何度もそれを経験することによりPotentiated(補強されている)のです。
この補強は、物理的に糖質や脂質といった物質により行われ、高性能な顕微鏡があれば見ることができます。

その人が一念発起し、夜食を食べないようにすると決意するとします。
そして実際に、夜食を食べたい衝動を抑えて就寝できると、

「夜食を食べる」
という神経シナプスの補強が弱まり、その分だけ
「夜食を食べずに寝る」
という神経シナプスの補強が強まるのです。

これを回数こなして、「夜食を食べる」という神経シナプスの補強が完全になくなる、あるいは夜食を食べるという神経シナプス自体が千切れれば、そもそもこの人は、夜食を食べたい衝動にかられなくなります。
そして「夜食を食べずに就寝する」という神経シナプスのほうが補強され、無意識に自然にしていると、こっちの意思決定をいつもするようになっていきます。

なにげない日常の行動すべてが、脳内ではいちいち、こうして補強されたりそれが弱くなったりするわけです。

補強された神経は、そうでない神経よりも電気信号の伝達効率がよく、またメインに電気信号が流れるように調整されていくようです。

ということはつまり、意思の力というとなんだか見えない漠然とした概念ですが、

補強された神経シナプスによりもたらされる、他の意思決定より優位に発現する意思決定

と捉えると、急に現実味が増してきませんかね。

ダイエットでも勉強でも運動でもなんでも、やろうと思っても続かないという人は、自分がそもそもダメとかではなくて、単に

脳内に、それをするという神経シナプスができていない。
または、シナプス自体はあるとしても補強されていない。
もしくは、「やらない」という意思決定を下す神経が補強されている。


だけともいえそうです。

自分の脳内の神経シナプスの補強され具合を、時間をかけて望ましいほうへ組み替えて行く

という視点があれば、根性論だけだと続かないことも、続けてみる気が起きそうですよね?
それこそ、植物を栽培するように、焦らず、自然に伸びて来るのを待つが如くに、日々の行動を通じて自分の神経の「配線」が変わって行く様子を、見守る。

いったん望ましいシナプスが補強されれば、今度はそれを覆すほど同じだけの時間をかけて別の行動をし続けない限り、カンタンに望ましい意思決定を下す気になるとなれば、目標達成のための努力は指数関数的に容易になるでしょう。

(それまでたくさん勉強や運動、仕事をしていた人が、なんらかの事情でそれをしなくなると、はじめのうちは体がなまるような気持ち悪さを味わうのも道理です。補強された神経シナプスどおりの行動がとれておらず、補強が弱まっていくからです。脳のなかで、物理的に、目に見える物質として、神経が衰えていくわけです。かわりに、『〜しないで1日を過ごす』という意思決定側の神経シナプスが補強され、それが確立されると今度は急に勉強や運動、仕事をするとなると『おいおい、そんなの無理だよォ』となるわけですな)



これ、子供の教育やフィクションとの触れさせ方についても、考えさせられるなぁ〜と思いました。

たとえば、人を「殺す」ということを、フィクションのお話のなかでもニュースでも知り合いの会話のなかからでも、ただの1回たりとも見聞きしたことがない人間は、思いつかないのではないでしょうか。

その人の脳内に、「人間を→殺す」という神経シナプスが形成され得ないだろうからです。
(とはいえ実際は、遺伝により先祖から神経シナプスの特性を引き継ぐのが人間なので、先祖伝来で『人間を→殺す』というシナプスを引き継いでいる場合は、思いつくかもしれませんが)

よく、フィクションなのだから残虐なシーンだろうと非人道的なシーンだろうと描いても構わない、という考え方がありますよね。
もう一方で、PTAの権化よろしくそういうものを「現実に悪影響を及ぼす」として排除しようとする人たちもいます。(現実に最近は、青少年にふさわしくないとされる漫画を規制するか否からへんが問題になってますよね)

単なる倫理や思想だけで議論してないで、こういう理系的な要素も踏まえて考えていったらいいのになぁ、と漠然と思いました。

個人的には、演劇や小説などの創作は、「ムダなもの/役に立たないもの」ではなくて、まさに観る人に新たな発想を呼び起こす(=神経シナプスを出現させる)点で有意義なのではと感じました。

いま、有用とされて役に立つとされることだけしか考えられない人間は、時代の変化に伴う「新たな云々」を思いつけないのですね。
(そう考えると、iPhoneを思いついたのはすごいことだなァと思います。他の誰も構築できていなかった神経シナプスを、まず脳内で構築できたということですよね。それは、『すでにあるもの、役に立つと評価されたもの』だけを吸収して学んでそれに従ういわゆる秀才クンには、できない芸当だと感じます)



それと気になったのは、依存症との関連。

何度、立ち直りかけても、悪いクセを改めようと思っても、いつのまにか元に戻ってしまうというのは、やめたい行動の神経シナプスの補強が弱化されないこと、代わりの行動についての神経シナプスの補強がすすまないこと……あたりにあるのかな、と。

(ちょっと思い切った発言になりますが、自称・同性愛者のほとんどは、厳密には同性愛者ではなくて、『(きっかけはなんだったにせよ)同性との性行為を経験して快感とリンクする神経シナプスが形成された人が、同じ行為を繰り返すうちにどんどん補強されて、別の行動をもはや取り得なくなっているだけ』に私には見えます)



あとは、「休暇」の意義。
あまりにも同じことの繰り返しで、特定の神経だけが補強されすぎて、その行動をさらに繰り返すようになる……というのが極まってしまうと、人はそれはそれで悲鳴を上げるみたいですね。

休暇をとって、いつも行かないところへ旅行して、いつもしないように時間を過ごすというのは、特定の神経ばかりに偏って強化された神経を和らげて脳内のバランスをとる、という効果があるのかもしれません(←あくまで素人推理で申し訳ないですが)

そう考えると、休暇って、侮れないのかもしれませんね。
(私は機械的に物事を捉えがちなので、休暇なんて非生産的でするだけ無駄、という考えにすぐ行ってしまいがちなので反省……)



若干、話を戻すと、目標を紙に書いていつも見えるところに貼っておくとか、どれだけ実際に「やるぞ!」と決めたことをできたか記録するというのは、自分の脳内の神経シナプスのどこがどれくらい補強されているかを把握する行為だといえそうです。

やると決めたことができていれば、その行動をとる決定を下す神経が補強されているという証拠。
以前はできなかったけれど、徐々にできるようになってきたとすれば、神経が徐々に補強されていっているという推測が成り立ちます。
一向にできていないなら、「できる」側の意思決定を下す神経シナプスが一向に補強されていっていない(すなわち、いまの行動パターンが、自分の目標達成をする行動をするうえで有用な神経シナプスの補強に貢献していない)ということ。

そうやって、脳の神経シナプスをあたかも盆栽のように、自分好みにデザインしていくわけですね。
ほんとに盆栽を育てるみたいに、日々、見守って、どこがどうなっているかチェックして、おかしければ伸びすぎた枝を切るなどの処置をしていく。

この、「定期的にチェックする」というのが、望ましい神経シナプスの強化具合を構築するうえで重要だと感じます。

これは自分も経験あるのですが、「ジムで体を鍛えるぞ!」「毎日ピアノを練習するぞ!」などと決めても、それがまだ習慣化しておらず、鍛える意義もあいまいだと、続かないですよね。(神経シナプスが補強されていないから当然ですが)
で、しばらく経って、そういえば最後にジム行ったのは(orピアノ弾いたのは)いつだろう?と思って調べると、もう何週間も前だったりするわけです。
そうならないよう、記録をとって、1週間ごとなど定期的に「目標を達成できているかどうか」を振り返るのが重要になってくるといえそうです。

最後、これまた主観でしかないのですが、勉強でもスポーツでも仕事でも、あらかじめ何かに打ち込んで実績を出した人というのは、「自分の望ましい神経シナプスを補強する名人」といえそうです。
別の神経シナプスを補強する(=ある意味、スタート地点から始める)場合でも、以前の補強プロセスを経験として知っているので、まだ神経シナプスが強化されきっていないためサボりたくなる初期の怠け心も上手に制御するし、いったん望ましい神経シナプスが強化されたらどんどんラクになるとわかっているから、補強初期のいちばん『投げ出したくなる時期』を乗り切ってコツコツやれるわけですな。

となると、

言ってることとやってることが一致してる人は、脳を自分好みにカスタマイズできている人

とも言えるわけで。
(逆も然りだな)

我が身を振り返るに、まだ「理想(の神経シナプスの補強具合)と現実(の神経シナプスの補強具合)」にギャップがあるなーと感じるので、そのギャップをなくすところまでどうにか脳トレしていきたいところです。

脳トレって、脳のどこを、何を目標にしてトレーニングするかによって、千差万別だね。
DSやるだけが脳トレじゃないし、よりによって古典的かつ王道すぎる精神論の気がする「目標を紙に書いて見えるところに貼り、実績を記録して反省して改善」なんて行為がある意味、大脳生理学的に効果が認められる有用な脳トレだなんて意外だったっすわー!!!
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