ネガティブへの未練、波動低い状態への愛着

クリアリングが進むといいこと三昧!みたいなことを言うヒーラーはごまんといますが、個人的には、若干の寂寥も伴うよなァ、という実感があります。

これまで歩調が合っていた面々とのノリが、合わなくなってしまう。それまで楽しいと思えていたことを、もはや楽しめない……そういった寂しさがあると感じています。

極端な例えかもしれませんが、「劇画オバQ」という漫画をご存知でしょうか。
漫画「オバケのQ太郎」で主人公たちが大人になった後でQ太郎が街に戻って来たときのエピソードを、原作者である藤子・F・不二雄氏が描いた(否、『よりによって描いてしまった』)短編です。

背筋が凍るような恐ろしい話です。

あの作品にいうQちゃんの気持ちに近いものがあります、クリアリングを進めてしまうのって。

別の例えで言うなら、海外ドラマ「セックスアンドザシティ」で、若い頃はホームパーティのたびにトップレス姿で踊るので有名だった女性が登場する回があります。
その女性はいまや結婚して子供もいる(当然、若い頃と比べて20年近く歳をとっている)わけですが、ホームパーティで久々に弾けて、あいかわらず現役バリバリなところを見せようと、トップレス姿で踊ってみせると豪語するんですね。
が、どうしてもできない。意気消沈してしまう自分への不甲斐なさにその女性が崩れ落ちるのを、主人公キャリーが優しく「無理しなくていいから。べつに勇気がなくなったんじゃない。以前のあなたとは違うの。ただ、変わっちゃっただけよ。今のあなたを大切にして。もう人前であんなことしなくていいのよ」と別室に案内して休ませるというオチ。

それに近いというか……。

なんていうか、良くも悪くも、もう戻れない。戻りようがないんですね。クリアリングをすすめる前の状態には。

もし悪びれてふざけてバカ騒ぎをして「この世に神などいない。この狂乱こそが真実だ!」と思い込んでみようとも、ステータスで差別化して優劣を競って自分より何かの基準で「下」に見える奴のことを蔑んで優越感に浸ってみても、心のどこかでそれが幻想であるとわかってしまっている。本気でのめり込んで気持ち良くなれない。

(クリアリングがすすんだ今だからこそ取り組めるようになった、何かプラスのマニフェストに向けて歩みを進めるのが億劫で逃げたくて?)人間関係のドロドロに呑まれて障壁だらけの境遇で悪戦苦闘して不幸三昧を決め込もうと思ったところで、「これってどうしても避けられない運命じゃなくて、自分が好きで選んで創り出しただけなんだよな、わざとらしい」と冷めた目線を捨てきれない。

それは時折、耐えられないほどのやるせなさ、切なさ、苦痛ともなりえます。

子供の頃、夢中になって遊んでいたロボットとかお人形を久々に取り出してきても、懐かしさは感じこそすれ、当時とまったく同じで遊べはしない……。そんな感じでしょうかね。

クリアリングをすすめるということは、本人の想像が及ぶにせよ及ばないにせよ(←及ばないことが大半です)、それに付随する人生のすべてが変わって行ってしまうということです。

そこには、決意や覚悟が求められます。
以前の状態へ戻りたい郷愁めいた気持ちや寂寥の念がこみあげたときにそれを堪(こら)える忍耐力も。

成長や変化には、そう変わった後の自分と向き合い続ける義務が伴うといえそうです。

あなたは本当に、クリアリングをすすめたいですか?

クリアリングをすすめることで手に入れるメリットは、クリアリングをすすめることで失うものがあるというデメリットを凌駕していますか?

そこまでしてあなたがクリアリングをすすめたい動機はなんですか?

え?楽になりたい?

クリアリングをすすめた結果、感じることになる寂寥や虚しさ、責任感、現れてくる現実(素晴らしすぎるものは時として自分を圧倒する)が、クリアリングをすすめる前よりも楽になることだと、どうして断言できるんですか?
もしそうでなかったとしたら、どうするつもりですか?

……なーんて、脅してみるw
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