仕事がない日にこそ職業意識が問われる

なんか物々しいタイトル。

べつに厳しいこと言おうってほうじゃないです。

よくありますよね、プロの音楽家なら、仕事があるかないかを問わず、1日○時間の練習をするのは当然だ……的な。

あっちじゃないんだよなァ。

私はスピリチュアルヒーラーということもあり、どちらかというと、心身のメンテのことですね。

よく「数十秒間、怒っただけで、カラダはもとに戻るのに7〜8時間かかる」的なことって言われるじゃないですか。

それと同じで、普段の私たちの心身の様子というのは、洗面器に水を張って常に持ち歩いているようなものなんです。

肉体を動かせば、あるいは心が大きく動けば、洗面器の水面は波立ち、それが著しければ中の水がばっちゃんばっちゃんこぼれ放題なわけですわ。

洗面器の水はせいぜい数十秒じっとしていればしぃんとなりますけど、上記に挙げた怒りの例のように、私たちの心身は回復して「いい意味で±0」な状態になるために、数時間〜数日、場合によっては数週間以上を要しますよね。
(骨折をして自然回復に委ねたら数ヶ月かかるわけだし)

幸い、アチューンメントやセッションに要する「心身の整いっぷりの最低ライン」というのは、そこまであらゆる方面が完璧でなくともいいわけですが(なんなら骨折後にギプスはめたままでアチューンメントやセッションするというのも、サイキック能力のコンディションさえ良ければ不可能ではないし)、日常の煩雑さに呑まれたり副業(複業?)をしてそちらが慌ただしいと、肝心のサイキック能力のコンディションがうまく整わない、という事態が考えられます。
……うーん、でもそれも「すごく器用な人(だか凄腕の人だか)」なら、問題ないのかなァ。。。



自分の場合はそこまで器用じゃないので、別の案件でそれこそ原稿の〆切に追われていたり、芝居の役づくりがうまくいってなかったり、資格試験が間近なのにうまく勉強がすすんでない……などのことがあると、落ち着いてセッションやアチューンメントに臨みにくいです。

なんていうか、「妊婦が仕事する」「病み上がりの人が仕事する」というと少しニュアンス近くなるのかなぁ?
必要なだけ動いたら、あとの時間はなるべく静養にあてる、的な?

一時期は、そんな自分の暮らしぶりを「情けない」とも「怠惰すぎる」とも感じていました。

ただダラダラしてる人と見た感じは変わらないし、同世代のサラリーマンたちはそれこそがむしゃらにバリバリ働いているのだろうし……と思うと、自分が人生の落伍者のようにも思えてきて。体力と気力がそこまでない自分を不甲斐なく思ったり。
(でも同業種の人たち曰く、『よく昼間にあんだけエネルギーワークばりばりのセミナーやって、夜は別の仕事入れたり遊びに行ったりできますね!?』と驚かれるので、そこまで自分は弱いほうでもないのかな、と思ってみたり)

で、休んでる時間がそこまで長いのなら!と、わざと「スキマ時間を最大活用!」とばかりに、ヒーリングの仕事が入ってないときを猛勉強にあててみたり、過酷なトレーニングメニューを組んだり、副業的な別の仕事案件を詰め込んだりしてみたんです。

ら!

精神力のほうはどうにか持ちこたえるんですが、頭とカラダの活動が限界、というふうになって、いざ仕事となったときに「(ヤル気はあるのに)これ以上、もうなんにもできませんえん」状態になっちゃったんですよね。
(エヴァンゲリオンでいうと、アスカがシンクロ率下がりすぎて『動いてよォ……』と力なくうなだれる的な?←マニアックすぎ)

つまり、仕事の直前まで、水を張った洗面器もったまま全力疾走してるようなもんですから、そこでいきなり仕事!となったところで、自分は立ち止まって「はい、やりましょう」と言ってみたところで洗面器の水面はバチャバチャして全然ダメ、となっているわけです。

それを痛感して、

「ああ、自分は人一倍、休んで何もしていない(かのような)時間が長いけれど、それは怠けたりダラけてるわけでもなく、必要なことなのだなぁ」

と思い至りました。



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のなかで、夜にコンサートが控えた当日の過ごし方について書かれているんですが、午前中〜午後いっぱいを、その夜のコンサート2時間のために、静養して精神集中して……と過ごすんですね。

それと同じ……といったらどんだけ不遜なんだって話ですが、それと似たところは、あるのかな、と。

夜にコンサートがあるピアニストが、昼間は会社に行ってあれこれストレスにまみれてがむしゃらに仕事して、どうにか定時であがって、ドタバタと電車を乗り継いでコンビニでおにぎり買って食いながらホールの楽屋に駆け込んで急いで着替えたら本番、みたいなのって、(なかにはそういう人もいるのかもしれないですけど)ありえないじゃないですか。

自分の場合はべつに何百人もの聴衆に聴かせるような規模の大きな仕事ではないけれど、1人のクライアントだからといって大人数を相手にしたときより手抜きをしてテキトーに接していいとは思えないんですよね。
(そこが、要領よく稼いでいる同業者からは『ほんと、要領が悪いね。チャチャっとうまくちょろまかすみたいなことやらないと、ヒーリングっていったってビジネスなんだから骨折り損のくたびれ儲けになっちゃうよ』などと呆れられる要素でもあるんですがw)

いきなり話が飛躍しますけど、そんなこんなで(←どんなこんなで!?←だから話が飛躍するって言ったじゃん)

自分にとってのヒーリングって、ビジネスである以上に、アート行為なのかもなぁ……と思ったりします。
(アート行為の定義とは?と聞かれると、いちおう自分のなかでイメージはあるんだけど説明しにくいんだよなぁ)

一定時間にできるだけたくさんの作業をこなす、という意味での「効率的な時間の使い方」はできないのが残念だとも思うけど、そうすることで仕事のパフォーマンスが下がったらもっと厭だし、自分が生きてやりたいことというのはなんだかんだいってアートなんだと思うので、それをすることが許される時間のために他の時間を準備として注ぎ込む……なら、べつに「時間を無駄にしていてもったいない」とも思わないで済むのかもなぁ、、、というところに、今は落ち着いています。焦れるほうが悪影響大きいよ、という。

なんかタイトル(仰々しい)と内容(卑近すぎる)のギャップが著しいですが、ギャップは魅力の源泉とも言いますし、3ニキータくらいは狙えるかな、と。

じゃあねバイビー!!
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