言い訳に便利な正論

中華料理の教室に習いにきて、先生から言われたことがうまく呑み込めなかったり、作業をしてみてどうもうまくいかないとなったとき、

「そもそも料理は、食べたいものを自由につくっていいはず!枠にとらわれないで、伸び伸びと自分らしくつくってみよう」

といって勝手に「自称・創作料理」みたいなものをつくる生徒がいたとしたらどう感じますか。

そりゃ、そうするのは勝手だけど、だったらなんでここに来るの、とツッコミ入れたくなりませんかね。

第一、中華料理の先生にわけのわからない創作料理を見せても、役に立つコメントは期待できないでしょう。先生のほうだって、中華一筋に料理人をやってきた場合、勝手な料理をつくる生徒にどうコメントしていいか戸惑うはずです。

そもそもそういう生徒って、教室の他の生徒たちや先生に対して失礼だし、迷惑ですよね。

そして料理の腕そのものも、上達は見込めないはずです。

いまできることだけを好き勝手にやって、できないことや難しく感じることを避け、ダメ出しのコメントやアドバイスを鬱陶しく思って聞く耳をもたない。……その範囲内で動いている限り、変化や成長は見込めません。

あくまでも、出された課題のルールや制限、条件といった「ちょっと抵抗ある/難しい/スムーズにできない」という不快感を感じることに挑むから、成長があるのだと私は思います。

一見、正論にみえる(そして実際に正論でもある)、権利や自由を主張したり、出された課題や条件に不平不満を言うのって、やるのは勝手なんだけど、それ使って言い訳する味を知ってしまうと、結果的に後々、大変になるんじゃないかなぁと思うんだよね……。万能な分だけ、いつでもどこでも使いたくなってしまう。正論という名の言い訳を、ドラえもんのひみつ道具みたいに重宝して頼ってしまう。肝心ののび太は一向に成長も変化もない……みたいな?


なんでこんなことを書いたかというと、私が資格予備校や演劇関係のセミナー、楽器の教室などに顔を出すようになって、わりとこの状態に陥ってる人って少なくないなと感じたからです。

これがまだ、(基本的なレベルの)数学のように問答無用に答えが決まっていて、それ以外は間違いだということが誰の目にも明らかというジャンルなら事情が違うのかもしれません。
生徒は、答えが違っていたら自分が間違っていることを認めざるを得ないでしょうし、万人にとって正解が1つだとわかっているからこそ、おとなしく「正解に至るためのプロセス」を先生から教わる気にもなるでしょう。

ただ、芸事や創作など答えが決まっているわけでもない類いだと、生徒側のエゴやこだわり(という名の固執)、好き嫌いがすごいことすごいこと。

それに生徒がオトナともなると、もう個々人の価値観が成立しまくりで、「私の生き方には誰にも文句を言わせない!」くらいのプライド(という名の意固地さ)を持っちゃってるんですよねー。

小説や劇作、作詞・作曲、絵画やイラスト、デザインなど「ゼロから何かを生み出す」系のだと、それが顕著。
そもそもクリエイター気質の人間というのはある程度、頑固だったりこだわりがあったり、自分が一番じゃないと気が済まなかったり、人と違っているところがあってアタリマエっちゃアタリマエなんですが、自分の作品にほんの少しでも気に食わないコメントやダメ出し、酷い人になると単なる「質問」をされただけで、ブチ切れてとんでもない反論(つか、反撃)をしてきたりするんですわ。

そりゃたしかにね、数学ほどには答えは1つには決まっていないでしょうよ。
でもさ、好き勝手に好きなもんつくって、他人からの批評は一切、聞き入れずに「これが私の芸術だ!」とほざきたいなら、無理してセミナーとか教室とか来んなって話よ。
冒頭で挙げた「中華料理教室に来て先生の課題を無視して創作料理をつくる生徒」そのものだよね。

でもさ、いくら答えが1つに決まっているわけじゃないジャンルにだって、演劇なり音楽なりデザインなり小説なり、これまでその分野に関わってきた人たちが編み出した「お作法」とか「タブー」とか、「うっかりすると陥りがちな悪いカタチ」とかが、いろいろあるわけでしょ。
美術にだってデッサンがあって、将来的に自分が彫刻やるにせよ抽象画やるにせよ、誰もが通る道じゃない。その「誰もが通る道」を通っているからこそ、同業者の話が呑み込めたり、先人の作品を見た時に「どこをどう参考にしうるか」が素人より具体的に理解できるわけでしょ。

そういう「このジャンルでのお約束(とされて整備されてきた理論や様式)」は必ずしも「自分の自由な発想を妨げる足枷」になるとは限らなくて、自分の発想をよりわかりやすく形に起こしてくれる骨組みやテンプレートとして働いてくれることだって多い。

そういうのがもし全く必要ないとすれば、それは自分が好き勝手やった作品を芸術としてチヤホヤしてもらえるところまで行けてる人だけじゃないかなぁ。
草間彌生センセとか?←でもセンセだって、若い頃はニューヨークまで武者修行にいったり、既存の枠組みをいかに修得するかに専念した時期もあったわけだし)

プロにせよアマチュアにせよ、何かを創る場合、ほとんど他人(というか関係者)の要望が絡んで来るし、その要望に応えるなりしていかなきゃいけないよね。プロならお金まで絡んでくるから尚更。自分があんまり好きじゃないものでも、やらざるを得ないときもある(断れるなら無理しないで断る、という手もあるけど、『それが嫌いで不得意でできない』から『やりません』と断る人って尊敬できないかも)。
デザインにしても演劇にしても、なんでもそう。
しかもその要望が、「印刷する紙が特殊で、使える色に限りがあります」とか、「劇団員が○名いるので、劇の登場人物は○人でお願いします」というような、「なんじゃそりゃあ!」と言いたくなる理不尽な制約であることも多々。
(つか、そういう理不尽な制約がまったくない創作の現場って、見たことないです)

好き勝手にやれない場で、いかにどうにかするかが求められるからこそ、「こんなときはこうするとよいノウハウ集」みたいなものを学ぶ意味でも、セミナーとか教室に来る意義があるってもんじゃないでしょうかね。

もう少し抽象的に言うと、自分のなかに最初からある引き出しだけじゃ対応できないから、新たな引き出しをつくるために、セミナーとか教室に来るんじゃないですかね。

で、今ない引き出しを自分の中にこしらえるわけだから。穴あけて削って釘打って。痛いし大変だよね。苦労して汗もかくでしょう。でもそうやって新しい引き出しをつくっておいたからこそ、この案件に対応できてよかったと思える日が来るかもしれないわけで(ぜったいに来るとは断言できないけどさ)。

そりゃ、どんなにたくさん引き出しを痛い思いしてこしらえても対応できない事態が起きてどうにもできなくて大失敗、という可能性もないわけじゃない。
でも、よっぽど斬新で奇抜なものをやらない限り、ある程度、使う引き出しは決まってる。

そういう「業界で動く人がひととおり持ってるスタンダードな引き出し一式」を整備する程度には、こしらえてもバチはあたらないんじゃないかなぁ。
逆にいうと、みんなが持ってる引き出しを持たないままで業界をウロウロするのは、ものすごくあぶないことだと思う。

プロを目指すわけじゃなくてアマチュアだから何もそこまで、と思う人もいるかもしれないけど、ある意味、アマチュアのほうが「個々人の好き嫌い」で全面的に成り立ってる世界だから、人目に触れるところで「公開」するなら、下手したらプロよりも一層、「みんなにわかってもらえる(ものをつくるノウハウを持っている)」かどうかが問われてくるんじゃないかなぁ。
自分の創作を誰にも見せずに独りで部屋で眺めてニンマリするだけで満足できる人だってんなら何も言うことないですけど(再三いいますが、そういう人はセミナーとか教室に来ないで部屋で独りで自分の創作とやらを眺めて好きなだけニヤニヤしてればいいと思います)。



嗚呼、なんかスピリチュアルヒーラーのブログとは思えない内容に……。

強引にスピリチュアルなことに話を戻すと、ごくまれにですが、セミナーに来ておいてそのカリキュラムに不満や異論があったり、実習がうまくいかなくなると、独自な動きをしはじまる人は、います。

私はシータヒーリングのセミナーを開催することが多いですが、テキストの内容は、それまで流布していたスピ本では

「これはできない、許されない、すべきではない」

と言ってることをわりと

「実は大丈夫なんです。やっていいんです。できちゃいます」

と言うので、反発を感じる人もいるんです。
(特に、何十年もスピのセミナーに出まくって本もどんだけ読んだことか、みたいな『ベテラン』に顕著)

で、あからさまに不機嫌な表情をして態度が悪くなったりする。

ペアワークの実習だと、なおさら「できない人」がいたたまれない気持ちになって、それが本人のプライド的に許せない屈辱的なことだと感じると、

「あ、(私が得意な)レイキ流してみよっか?」

などと、ぜんぜんシータヒーリングのセミナー実習と関係ないことしはじまっちゃったりするんですよね。

あれ、困ります。インストラクターとしては。



うーん、いつになく辛口で愚痴っぽい説教めいた内容だなぁ。。。

あえてこのエントリーの趣旨を一言でいうなら、

「一人前になるまでは、自分が苦手だと思うことや嫌いだと感じることについてもひととおり以上できるようになっておくことを目指そうよ。いろいろあるだろうけど、とにかく先生の言うことに従ってみようよ。今うまくできないことに挑戦してみようよ。少なくとも、セミナーとか教室という、学びの場に来るなら。もしそれが嫌だってんなら、そういうトコに来るべきじゃないよ。途中で嫌だと思ったなら、ちゃんとそのことを表明して中退するって選択肢もあるわけだし。セミナーとか教室に来るからには、そこのルールにあえて自分をあてはめてみる、ということを練習してみても、いいんじゃないかなぁ?」

ってことでしょうか(←なら最初からそう言えよ)。

つか、一言で、、、というわりには長ぇなw
関連記事
スポンサーサイト