「女子のズボン姿はOKだけど男子のスカート姿が変」の社会情勢に合わせる

タイトルに挙げたことはあくまで「現状としての“常識(ぽい)感覚”」でしかなく、絶対の真実ではないことは間違いありません。

が、なんだかんだいって、よほど個性や多様性に理解ある人々・そうした人が集う場以外は、真実以外の常識がまかりとおるのも事実です。

何がいいたいかというと、(タイトルとかなり乖離した趣旨ですが)

男性に「女性性を認めたほうがいい。自分のなかの女の子らしさを大切にして。あなたはもっと、女であってもいい」系のアドバイスをするときは、よほどの注意が必要

ということです。

女性はパンツルックも普通に着こなしとして認められているのと同様、「男まさり」というような表現も、(褒め言葉ではないにせよ)許容範囲内というか、言われてもまぁOKと捉える人が多い感じがします。
自分で
「あたしってほら、男だからさぁ~」
などと冗談で人前で言っても、本人も周りも軽い笑い話としてスルーできちゃう雰囲気、あるんですよね。

でもこれが男性となると、大変なんです。

女っぽい、というのはほとんどの男性にとっては「この社会で生きていく資格がない死刑宣告」同然に感じるような重さがありますし、自分から「俺って女だからさぁ~」と人前で発言することは、本人にも周囲にもかなりの緊張が伴うであろうことは、想像に難くないのではないでしょうか。

これはおそらくですが、男性が「暗黙のヒエラルキー」を常に気にして生きている(というか、そうせずに生きることがほとんど不可能)ことに起因するのではないでしょうか。

幼稚園児たちがあどけなく戯れてみんなで楽しそうにしている様子を、大人や女性は微笑ましく見たりしますが(それも間違いではないのですが)、もうこの時点で、男は他の男に対して、

どっちのほうが立場が上か下か


ということを、24時間365日、考え続けながら動いています。一瞬一瞬が、互いの上下関係を決する勝負の連続なんです。
昨日、ついさっき、相手より自分のほうが優位だと示せたとしても、いまこの瞬間にまたそれを証明できなければ、ダメなんです。一度とったら一生通用する資格じゃないんです。一瞬一瞬、更新され続けるんです。

もちろん女性でもこうした立場の小競り合いは普通に発生すると思いますが、男性社会で特徴的なのは、それが当事者だけじゃなくて「関係するみんな」の間での共通認識となっているところでしょうかね。

A君とB君の人間関係は、よくよく考えたらAとBの、本人同士の問題です。
が、わりと男は、「みんな」と感じる面々の間で、「AとBを比べたら、Aのほうが上」といった認識を勝手に自然発生的に定義したうえで、みんなで共有するんですね。
みんながAとBの関係を「A>B」と考えていたのに、みんなに弁明するわけでもなくBがAに上の立場のような振る舞いをしてしまうと、みんなからすると「おい、何を失礼なことしてんだ」という話になるんです。たとえA自身がBの振る舞いをべつに変だと思ってないとしても、です。

「自分より目上の存在であるAに対して、Bが生意気な態度をとった。なんて奴だ。Bは、けしからん」

と、「みんな」の間でBの評価が下がっていってしまうんです。繰り返しますが、AがBの振る舞いをなんとも思っていなくても、です。

これ、「みんな」のほうが横暴なのは、冷静に考えればわかります。が、わりとそういう圧力が発生しやすいんです。
場合によっては、「みんな」の面々がBに詰め寄り、
「お前らの関係はよぉ、みんなの認識としてはA>Bってことになってるだろ?なに勝手にA<Bに変更してんだよ。B、Aに謝れ。そしてA>Bのとおりに振る舞え。どうしてもA<Bでいたいなら、ここにいる全員を納得させてみろ」
というような動きさえします。
完全に「みんな」の傲慢かつ勝手な動きなのですが、どこにいっても男性の間ではこれが起きます。
子供ならわかりやすくほんとに詰め寄るからわかりやすいかもしれませんが、大人になるとそういう直接的な接触をみんながすることは稀で、「暗黙のルール」に勝手に逆らった奴が出たらどうするかというと、

「みんな」のなかでそいつの存在を完全に無視して世界から抹殺する

んですね。

これは意地悪なイジメとも一概にいえず、「みんな」の面々からすると、みんなの共通認識を勝手に破る人間というのは、

集団で共通して維持している暗黙の了解(という名の秩序)を破壊する、危険人物

と映るんですね。その危険を排除するのは、集団が生き延びるうえで合理的な判断だと「みんな」は思う傾向が強いです。

こうなるともう、村八分どころではないんです。その「みんな」の間でその人が認めてもらえる可能性が、0になるんです。
怖いのは、みんながわかりやすく冷たい態度をとるわけではないことです(←もちろん、そういう態度に出る場合もありますが。いきなり冷たい態度になるというよりは、『自然と疎遠になる』ような動きをする人が多いでしょう)。
それまでとなんら変わらず、挨拶や雑談には笑顔で応じるんです。が、心のなかで「こいつはもう、みんなの輪から外れた無法者だから。何があってもこいつの肩は持たないよ」と決めていて、それが揺ぎ無いんです。
ここで、個々人に対して「どうか俺の存在をもう一度、認めてくれ」と懇願したり説得しようとしても、無駄。
決定権は個々人にはなくて「みんな」にあるからです。
みんながそう認めてないうちに自分が勝手に「みんなが認めてない奴を認める」ということをしてしまうと、今度は自分がみんなに糾弾される側になってしまうから、やりたがらないのです。

男性はこのように「自分の評価が『みんな』の間で勝手に決まっていき、それが絶対的な影響力を発揮してしまっておいそれとは覆せない」ことを知っています。

だから、人前で「みんな」から低い評価を得てしまうような言動や振る舞いは、したがらないのです。

学校の先生のいうことを聞かなかったり、整理整頓をしなかったりという反抗的な態度も、場合によりますが、「周囲の男たちへの『俺は男らしいんだぞ強いんだぞ』アピール」だったりします。
(特に小学校~高校くらいまでは、『きちんとする、丁寧にする』系の行動すべてが『男らしくない、女っぽい。弱っちい』と看做される傾向がわりとどこの学校でもあるようで、ほんとは綺麗好きで整頓好きな男子であっても、わざとみんなの前では何かを散らかしたりするのです。女性からしたら理解不能なのかもしれませんが、男子がトイレの洗面所でポケットからハンカチを取り出して手を拭いたりすると『うわっ!キモっ!こいつ男のくせにハンカチなんか持って手をふいてやがる!女みてぇ!オカマだオカマ!!』と大変なdisり方をされたりします。←そういえば会社員時代に私がトイレで鉢合わせた男性社員に向かって、その人がハンカチで手を拭いていたので褒める意味で『ハンカチ持ち歩いてるんですか』と声をかけたら、その人はからかわれたと思ったらしくムキになって『なんだよ悪いかよ?男がハンカチで手を拭いて何が悪い?社会人としてのマナーだろ』と言い返してきたことがありましたw ←わりと大人の男は、子供社会では『男らしくない』と揶揄されたことをやる大義名分として『社会人としてのマナー』を引き合いに出して正当化します。よく考えたらそんな大義名分なくてもいいのに、気恥ずかしくて『自分を正当化する根拠』が欲しいんですね←しかもその根拠さえ、自分だけの考えではダメで、社会的に共通して認知されている規範でないとダメ、というw)

一方、ほかの男がみんなの前で失態をさらして「みんな」の評価が下がるようなことをやらかすと、男はヒエラルキーでできるだけ上に立ちたいと思うわけですからチャンス!とばかりに

「このオカマ野郎!」
「それでも男か!」

と揶揄して、みんなの間でそいつがヒエラルキーの最下層に追いやられるか、もしくはヒエラルキー自体から排除されるよう働きかけたりするのです。
(これも、意地悪といってしまえばそれまでですが、男はそれぞれ、いつ自分がヒエラルキーで下っ端側に落とされて惨めになったり、ヒエラルキーから外されて自分の存在が黙殺されてしまうかわからない、というプレッシャーと常に闘っているわけで、ライバルを蹴落とすチャンスが到来したときには自分が安心する意味もこめて、こうした行動をしたくなるのも道理といえます)

「お前は男じゃない。男らしくない」
という言葉が、男性にとって死刑宣告同然
な理由が、おわかりいただけたでしょうかね。

女性から見て、男性がウジウジして見えるのはここなのではないでしょうか。

「ねえ、C君。もしD君が気に入らないっていうなら、どこが気に入らないか、直接本人に堂々と言えば?」
と女性が男性であるC君に感じるとします。
ここでC君が気にしているのは、もちろんD君に何か言ったときにD本人がどんな反応を返すだろう、という怖れもあるにはあるのかもしれません。が、それ以上に(C君自身も顕在意識ではわかっていない可能性さえありますが)「みんなの共通認識が『C<D』になっているのに、みんなから見て自分より目上の存在であるD君に言いがかりをつけることで、『みんな』が自分のことを非常識で不埒な、集団の秩序を乱す危険人物として看做すのではないか。自分が仲間はずれにされやしないか(←それはC君にとってその集団のなかでの死を意味します)」ということだったりします。
そこに気づかない女性って、わりといるみたいです。
それか、「ばっかばかしい。そんなの気にしなきゃいいじゃない」と、男同士の「みんな」のなかでの暗黙の了解がどれだけ絶対的な権力を持っているか知らずに言ってしまうとか。
(女性にこのことをどれだけ説明しても、あきれたような哀れむような小馬鹿にするような顔で『ほんっと、男って小心者よね』と言うだけだったりして伝わりません)

「私、みんながそんな暗黙の了解で動いてるなんて感じたことないよ?」
と女性が言うこともありますが、ある意味、当然です。
男は、上記のような「みんな」のルールを、女性には適用しないからです。
(その意味では、男が女を対等な、、、というか、人間として看做していないということになるのかもしれません。男性社会で女性であっても活躍していける人というのは、『私は女ですが、男たちのルールを適用してくださいな。男として見てください』と暗黙のうちに表明していることが多いように私には見受けられます。←これはある意味、女性としての私からすると、残念ではあります。結局、女は男社会のルールに自分のほうから迎合されに行かないとダメなの?そうしないでも男社会で女が男と対等に活躍することって、できないの?という疑問は、私の頭についてまわります)



ここに書かれたことは、女性はもとより、場合にとっては男性からしても

「うーん、必ずしも常にそう、とは言えないんじゃ?ただの気にしすぎじゃない?」

と映るかもしれません。事実、その男性が気にしすぎてる場合なだけもあります。

が、ポイントは、それが真実かどうかではなくて、(もしセッションでクライアントとして向き合う男性がそうなっているなら)

クライアントが、「男らしくない」と解釈しうるような言葉をかけられることを、気に病んでいる


ことだと思います。

耳が痛くても不愉快でも、どうしても言って伝えるべきなら、言うという選択もアリでしょう。

が、特にプラクティショナーが女性で、男性特有のこうした在り方――どんなに軽いニュアンスで、微塵も侮蔑やからかいのニュアンスがなくても「男らしくない」と言われることが社会での死刑宣告同然にまで重く捉えられてしまう――を理解できない(あるいは『そんなの気にしなくてもいいじゃん♪』とあくまでも理解しようとしない)と、男性に対して甚大な精神的苦痛を与えることになります。

(物騒な物言いですが、『男に向かって男らしくないと言い放つ女・男らしさにケチをつける女は、それだけで殺してもOK!』というほどの認識を男性は持っています←顕在意識でそう思ってなくても、いざそういう場面になると殺意を覚える男性はほぼ100%なのではないかと←これ、女性が男性に『本当?』と確認しても、男性はぜったいに認めないでしょう。『えー?そんなことないよ』と言うはずです。イメージダウンにつながるような不利な発言、男性ならまずもってするはずありませんからw)

こういう前提を踏まえたうえで、それでも「男性性と女性性の統合」という、スピリチュアルな成長においては外せないテーマを、女性プラクティショナーが男性クライアントにどう伝えるかは、プラクティショナーにとっては、非常に高度な(コミュニケーション)スキルへのチャレンジになるといえるでしょうね。

(私の場合は、『体の性別が男性でも、女性ホルモンが少しはないと体がおかしくなるじゃないですか?あれと同じで、男性のエネルギーも女性性エネルギーがうまく回っていないと、おかしくなるという理屈なんです。あなたが男らしくないと言っているわけじゃないのでご理解ください。で~』と前置きします。男は普段は用心深いわりに、『それは理屈が通っている』と感じたり、『コイツは俺に対して敬意を払っているな、傷つけないな、評判を貶めないな』と感じると、とたんに上下関係バトルの緊張を解いて心をいきなり全開に開いて信頼してくれたりします。その『心全開&信頼度MAX』な状態に、セッションの開始後すみやかに移行できると、とてもスムーズにセッションが進行するのです)
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