ヒーリング・アクション

タイトルは勝手につくった単語ですけどw

自分が力を入れて取り組んでいることの1つに、アチューンメントなりをして受け取ったヒーリングエネルギーを、「日常の動作のなかで自然に発揮する」ようにする、というのがあります。

目を閉じて精神集中してエネルギーが流れ出すのを感じて……という、いわゆる正当派なやつもいいんですけど、

「笑顔を見せたときに自然と、自分が受け取ったヒーリングエネルギーの○○が発動して効力を発揮する」

というような、日常の動作で自然に発揮できちゃうというところを目指しています。

これといって特別なメソッドがあるというわけでもないのですが、なんていうんだろう。。。

とりわけ念じたりするでもなくエネルギーを流す訓練を意図的にやってみるというんでしょうかね。

私の場合、とっかかりはシータヒーリングで、慣れてくると目を開いたままシータヒーリングが使えるようになるんですよ。
それをさらにさらに応用していって、普通に誰かとおしゃべりしながらも霊視したりコマンドかけたりをマルチタスクでやる、というところを目指して、ある程度の手応えは得られるようになったんですね。

それを、他のいわゆる高次元エネルギーアチューンメント各種にも応用してみたんです。

で、そこからさらに応用して、特定のヒーリングエネルギーに限らず、喜怒哀楽といった感情の想念や、他人の思考パターン・集合意識と「共鳴・共振」する波動のエネルギーを自分が放つとか、枠をどんどん拡げていきました。

最終目標は、日常生活がそのまんま、高度なエネルギーワークと化している


というところでしょうかね。

これは日常生活だけではなくて、芸術の分野にも応用ができると思っています。

役者とか演奏家をやっていると、悲しみや歓びといったものを、演技や音を通じて表現するわけじゃないですか。
その表現に、サイキックなスキルを使ったエネルギーを意図的にコントロールしたうえで放つ(演技や踊り、演奏といった表現に『上乗せ』する)、というところを目標にしています。

なにも霊能者や超能力者としての訓練を積まなくとも、優れた役者や演奏家、舞踏家etcは自然とこの「エネルギーのイタコ」状態、いわば天然のチャネラーとしてのスキルを培っているものなんですけどね。
(私の尊敬する大御所声優の方が『あたしさぁ、ほんとに演技にのめり込むと、自分が幽体離脱して自分の体のちょっと後ろに立ってるみたいになるのね。で、アテレコで演技してる自分を他人事みたいに見て“あー、あたし今、喋ってんなー”とか思うわけ。じゃあいま喋ってんのは誰なんだよwって話なんだけどさぁ。そういうときは自分がやったとは思えないほど良い芝居してんのよねぇ、不思議とこれが』と笑いながら仰ったことがありました。これはまさにその役を演じるうえで表現するにふさわしい感情の周波数のエネルギーなりを無意識にチャネリングして声に乗せているということではないかと思っています)

それをもっともっと主体的に、自分が何をやっているのかを明確に把握しながら、やれるようにする。

……そもそもそんな大それたことを思いついて実行に移す前に、演技そのもの・演奏そのものを超一流のところまで引き上げろよ100年早いわこのたわけが!……ってツッコミもあるんですけどねw

P.S
「自然な日常の動作の際にエネルギーが自然と発生して流れる」
というエネルギーアチューンメントも、あるにはあります。

サンクス・ブースター

はその典型でしょうね。

このように、「これこれの条件を満たしたときにエネルギー発動」という、エネルギーのプログラムを組むという方法も、アリなことはアリだなぁ、とは思っています。

ただそれも、自転車の補助輪というか、自在にエネルギーを使いこなせるようになるまでのサポート的な意味合いが強いんですね。
自転車に乗れるようになった人が今度は補助輪つきの自転車を鬱陶しく思うように、エネルギープログラミングで条件設定されたエネルギーアチューンメントというのは、かえって邪魔に感じることもあります。

なので、私の場合、「あー、もうこのエネルギーアチューンメントの『エネルギー発動条件』は邪魔なだけだなー」と思ったら、シータヒーリングを使ってアチューンメントされたエネルギーの発動条件の部分に手を入れて、自分が使いやすいようにカスタマイズするということをやっています。

P.S
うん。
自分はやっぱり、ヒーラーとかスピリチュアルリーダーといった立場よりは、

スピリチュアル・エンジニア

という位置づけが一番しっくりくるなぁ。

あくまでテクニックだけに活動領域を絞り、人が今後どうあるべきかという「教えを諭す」ようなマネはしない、という。

今後はもっとこのへんに注力していくことになりそうです。
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