腹黒くなりたい

私個人のクリアリング記録、という位置づけになるのかな?



私には、子供の頃から二元性でいう「光・善」のエネルギーに偏りすぎていることを気に病んでいた(というか責め続けた)ところがありました。

なので、努めて「闇・悪」側のエネルギーにも親しんで使いこなせるようになろうとするところがありました。

(どうやら天使性が強いことを『人間としては偏っている』と捉え、『せっかく人間として転生しているのだから、二元性にいう光側のエネルギーと同等に闇側のエネルギーも使いこなし、ゆくゆくはそれらを統合していかなければならない』という信念のようです)

まず、嘘や悪口が言えない。唇が震えて「それを言うべきではない」という自制心?(←ほんとは誓いによるエネルギー的呪縛)が強く働いて、言葉をちゃんと発することができないんです。
躾けや教育で嘘をついてはいけないと言われる前からその傾向は顕著でした。

なので、誰もいないところで「○○ちゃんのバーカ」「大っ嫌い」といったネガティブ言葉をちゃんと言えるように、まるで麻痺した顔の神経をリハビリするかのように必死で練習したりしていましたw

この時点で、私のなかでは「二元性にいう闇・悪・ネガティブとされる性質のエネルギーを理解して偏見も拒絶も嫌悪もせず必要に応じて使いこなす」ということと、「ただやみくもに悪行と呼ばれることを平気ですることができるようになる」ことの区別がついていませんでした。

練習の甲斐あって、平気で人の悪口や嘘を言えるようにもなり、もっと狡猾に、もっと腹黒く……とクラスメイトなど身近な人を実験台にして、あの手この手でいろんな嫌がらせや策略(例:デマをまき散らして誰かと誰かを仲違いさせたり)を講じて、「悪い人スキル」を磨いていきました。
(ただ、私のなかの悪の定義が偏っているので、単に嫌われるだけだったり、責められたときに言い逃れができないという点で、たいした悪スキルは伸ばせていなかったのです)

(もともと悪い人の才覚もないのに)小賢しい悪者ごっこで培った自信は、大学に進学して「非常にスキルの高い悪人」とでも言うべき人たちと出会って、木っ端みじんに砕け散りました。
私なんて所詮は井の中の蛙。ニコニコと一見、善良にみえる同級生や先輩・後輩たちが、裏では吐き気を催すほどおぞましい策略やら裏工作を使いこなしているのを目の当たりにして、一気に劣等感に苛まれてしまったんです。

あとから思えば、この同級生たちは二元性の善と悪に呑まれることなく、太極図にあるとおり陰と陽が分離せず混ざりあって現実が成り立つという真実を、体得できていたのだと思います。物事には表と裏があり、本音と建前があり、そのどちらかだけではうまくいかないということを、経験を通じて学習して処世術スキルに昇華するのがとてもうまかった。優秀な人間だったということなのでしょう。
善良な人間でもあり、狡猾な悪人でもある。その両面が、分離することも互いに拒絶することも裁くこともなく、調和がとれている。だから周囲ともうまく溶け込んで、善い人すぎて敬遠されるでもなく、悪人だと非難されるわけでもない。よくできた妻の在り方を「昼は淑女・夜は娼婦」と表現したりしますが、それが一般生活のなかでできている人たち。世の中の変化とニーズに応じて、どのモードにも対応しうる柔軟さを持っている。
なんだかんだいって、人間としてのレベルそのものが高い人たちだったのだと思います。

それで私は、「アンチ“要領のいい(優秀な)人間”」を掲げてグレてしまい、二元性にいう光側にあまりに偏ったほうへ逆戻り。

世間一般にいう道徳や倫理を絶対に尊重すべきものとして、風紀委員よろしく世の中の「ほんのちょっとでも悪的エネルギーを帯びた物事・状況」に対してガミガミ非難する側に立っていきました。

(これ、私だけじゃなくてほかの人もわりとそういう傾向、あるんじゃないかなぁ?あまりに過剰に、社会問題を提起して『世間一般の道徳観念でいえば文句のつけようのない正論を言っているが、正論すぎて(≒現実の『二元性でいう光側』の側面しか見ておらず不完全なので)一般的には受け入れられない』ふうになっちゃってる人。動物や自然の保護しかり、『○○反対!』的な運動しかり。根本的には本人の劣等感が原因なんだと思います。それで、自分は劣ってないと主張したくて自説を唱えたり、現実にうまくいっている人たちを否定して『そのルール(≒現実がうまくいく仕組み)はおかしい!私の考えるルールどおりに世の中のほうが動くべきだ!』と言っちゃってるだけ、という。←スピ系の人にも多いですよね? イルミナティなど『闇の世界政府』というような存在を憎んで、金持ちは敵だと非難して、自分が貧しくて不幸なのはそいつらのせいだ、という主張を正論だと信じ込んでいる。ほんとは自分が貧しくて不幸なのは自分のせいで、他人は関係ないのになw それでいて裕福な権力者たちに『弱者(である自分たち)を救済しろ』系の都合のいい要求を押し付ける。それって理不尽な恐喝だと気づかないんでしょうかw 自分では自分のことを光の存在だか波動の高い霊的に成長できた存在だかと自認する人もいるみたいですけど、ほんとにそうなんでしょうかね?スピ的に成長できて真理を体得できている“ということにして”、都合のいい自分の言い分を正当化したいだけなんじゃ……と思ってみたりw←べつにそういう人がいてもいいと思うんですけど、『イタいなー』という感想は禁じえませんw)

それで自己啓発本にどっぷり浸かってた時期があったりね(苦笑)。
(二元性でいう光側のことばっかりいう自己啓発本は、多いので。同時に、『いい意味で光と闇のバランスがとれている、一般的な感性の人』からして自己啓発や自己啓発本、自己啓発セミナーが『胡散臭い・気持ち悪い』ものに映るのも、当然だと思います。そこには闇の要素が欠けているわけで、物事の本質を半分しか捉えていないわけですから信頼できないと感じるわけですな。←もしくは光と闇がパッカリ分離してしまっている。表向きは人を元気づけると言いながら、裏ではカネ儲けしたい……という。分離しすぎててキモい、と感じる人は、いるでしょう)
(私の場合は自己啓発でしたが、これが宗教や哲学である人も多いでしょうね。何かの説を唱える反面、その説に反するものを否定して、拒絶して、排除しようとしてしまう。自分の居心地のいいものだけを認めようとする姿勢←もともとの宗教や哲学はそうしたくて発生したわけじゃないはずなのに、それらに帰依したがる人の本音はそこ、という残念)

で、社会に出てからも、「実直であれ堅実であれ愚直であれ」的な、世の中の闇側をすべて否定して拒否するような信条を抱き、二元性でいう光「だけ」でうまくいってみせると不毛なチャレンジに挑んだりw
(結果的には、『あ、どうやら世の中の闇的な側面を否定してしまうと、やっぱりうまくいかないみたいだ』ということを学習して、闇的な側面の持つ意味・意義・それらがこの世で果たしている役割・かけがえのなさ・光的なエネルギーとどう反発しつつも乖離せず融合した在り方をしているかetcを前向きに中立な立場で見ようとする傾向が強くなっていったわけですが←ここでいう『中立な立場』ってどうやるの?というところから、シータヒーリングの『創造主の観点』に行き着くわけです。それで、『あぁ!こういうことができるスピリチュアルヒーリングなら、素晴らしい!』といって、脱サラしてヒーラーとして独立したというのもアリ)

ヒーラーになってからも二元性克服は自分にとって大きな課題でした。

このブログでも、「(二元性でいうところの)光だけがすべて!愛こそすべて!……というのは、偏ってるよ!」ということを声高に強調していますが、それは他人に言うというよりは、自分のなかでの確認事項、忘れないように……という意味合いが強いのかもしれません。

特に、2011年の春のシータヒーリング:ソウルメイトインストラクター認定セミナーでのペアワークで、組んだ相手から

「二元性の光と闇が、usamimiさんのエネルギー体のなかで分離して統合しきってないですよね?そして『私は極悪人だ』という思いがあって、そのことで罪悪感がすごいことになってる」

と指摘されたのは大きかったです。

その時点では、「えー!? まだ分離してんのー?」というがっかり感と、「自分が極悪人だという罪悪感はあるけど、それってどこから来てるの?どうしたら解消できるの?」という点がまだはっきりせず(←相手の方はベストを尽くしてくださいましたが私のほうで準備ができていなかったということなのでしょう)。

そこから本格的にまた

「これまでも、悪側・闇側のエネルギーへ理解を示して自分との親和性をアップしていこうと頑張ってきたけど、自分の取り組み方がよくないみたいだ(←だって成果が出ていないので)。じゃあ、どうすればいいの?」

という探求が始まります。

で、うまく言葉では書けないんですが、以前よりはわかったようなわからないような……というところにいまなお、いますw

うーん、それでも多少は、以前と比べたら、「もしかしてこんな感じなのかも」というアタリはついてきたかな?

海外ドラマでいうと、『アグリーベティ』、『デスパレートな妻たち』は参考になるかも。
(特にアグリーベティは自分の境遇&思考パターンがまるっきりベティと似ていて、すごく親近感をおぼえました。朴訥で純情(なだけ)の女の子が、狡猾で悪どくて差別意識のカタマリといったファッション雑誌社の面々との間で磨かれ学習し、二元性の克服というんでしょうか『清濁併せ飲む』ところまで成長していくという話……だと私は捉えました)

一言でいえば、幼稚なんだよね。わかりやすい愛と光だけの世界に逃げ込んでそれを正当化して、悪や闇を忌み嫌って非難したり排除しようとするのって。未熟なの。

かといってオトナになって悪・闇の属性の意義を理解して上手に使いこなし付き合っていけるようになるのを「穢れ・汚れ」とは私は捉えていません。

人間として「より完全」に、世界と調和がとれるようになっていく成長

と捉えています。

それは素晴らしいことだという位置づけでいます。

だからね、タイトルにあるとおり、思うの。

腹黒くなりたい、って。
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