ネガティブに巻き込まれずに見る

自分の人生しかり、社会しかり、「(ネガティブな)問題」と捉えうる物事は、いくらでもありますよね。

形としてはネガティブだけど、自分の現実に現れてきているということは「自分が受け取るのが望ましい、なんらかのメッセージ」であることには変わりがないわけで。

現れてきた問題(と思える事象)からは目を背けず現実逃避もせずに向き合うのが望ましいことは言うまでもありません。

また、直接、自分の人生に関係してくるわけではなくとも、いわゆる社会問題などに目を向けて積極的に関わっていくことが、その人の生き甲斐や世の中への貢献になるケースもあります。

よく、スピリチュアルを齧った人が

「ネガティブな現実は、それを自分が見て意識してしまうことでより強化される。だから、見ない方がいい」

みたいなことを言いがちですが、厭だと思うことからなんでもかんでも目を背けて見なかったことにしてラクなほう、気持ちいいほうに行くのが本当に望ましい生き方かどうかは考えてみる価値があるといえるでしょう。

(同時に、ネガティブなものならなんでもかんでも『自分を鍛えてくれる試練』と捉えて片っ端からブチ当たっていくのも能がないでしょうね。取り組むことがベストでないネガティブ事象は、逃げるとか避けるとかスルーしてやりすごすとかの対応をとったほうが望ましい場合も往々にしてあります。本当に取り組むに値すると“自分で選んだ”ものにだけ集中して取り組んだほうがよさそうです)

ただ。

ネガティブな現実を見て意識すればするほど、自分の意図の現実創造力によってどんどんその現実が強化されるというのも、間違いではありません。

ネガティブな現実を見たほうがよい思考パターンがまず自分にあり、それによって引き寄せられてきたネガティブな現実が実際に自分の前に登場する。それを見て「うわぁ、現実はなんてネガティブなんだ。〜〜というのは、〜〜なんだ」と(創造主の最高の真実ではない思い込みの)信念を抱いてしまう。そしてその信念がネガティブ現実をさらに強化し、よりネガティブな現実が続々と創造され引き寄せられてくる……。

この、負の現実創造スパイラルに入ってしまうと、なにかと面倒です。
(というか、このスパイラルに入る人というのはそもそも、『負の現実創造スパイラルを通じてこの世にネガティブな物事をできるだけたくさんもたらしてこの世を不幸まみれにすべきだ』という使命感でやってる人がほぼ100%なんですけどねw)

じゃあどうするか。

まず、自分のなかに、「現実がいま見えているようにネガティブであってほしい」思考を探します。
(ないです、と言う人いますけど、ほんとになかったらそんな現実は現れてこないはずです)
で、見つかったらワークする、と。

次に、いま起きている現実は自分の信念が生み出した一時的なもので、また新たに変化・消失・別の形での再創造することが可能だと確信します(シータヒーリングなどの感覚感情の呼び覚ましが有効かと)。

そして、自分1人の意図で変えられるものならば、変えます。
現実を創りかえるコマンドを発行してもいいでしょうし、どう変えればいいかを考えたり高次元なり創造主なり頼りになる人からのアドバイスを取り入れるなりして方法を探り、行動に移すわけですな。

社会問題などの場合は基本的に、集合意識由来で生み出されているので自分1人の意図だけではすぐに消えてなくなったりはしません。
だから、そういう場合は、「自分がどう関わりたいか」を明らかにします。
移民問題や貧困、飢餓、環境問題、戦争、政治的なトラブル、経済……。
とても、一朝一夕で自分1人で解決するには大きすぎる事象がたしかにこの世にはあります。
が、それを「解決すべき問題」と捉えるかどうかのところから、自分で決めるんです。

というのも、実はこの世は、たとえば「飢餓で苦しむという体験をしたい」という願いを持って生まれた人がその願いを叶えることができるという意味で“無限の豊かさ”がある場所です。
どんなネガティブな現実も創造しうる、という意味で、豊かなんです。ネガティブな現実は、それはそれで人間が浴することのできる恩恵の1つの形なのです。

屁理屈のように感じるかもしれませんし、本人も顕在意識では否定するかもしれませんが、つらいとか悲しいとか苦しいといったネガティブなものに苛まれている人は、実はそれを第一希望として望んで現実に創造し、引き寄せているのです。
この点を信じられないという人は、多いと思います。

また、世間一般にいう正義を過信している人だと、貧困や戦争、暴力、病気などの社会問題を「撲滅」すべきだという結論に、早合点しがち。
しかし、この世に存在する事象はすべて、誰かが願って生み出したもの。他人が現実を創造するのを一方的に撲滅する権利も能力も、人間は持ち合わせていません。

とても変な理屈のように思えるかもしれませんが、貧困で苦しむ人や理不尽と人間の目には映る犯罪や暴力、戦争に巻き込まれて「犠牲者」のような図式で傷ついたり略奪されたり幽閉されたり殺されたりする人は、それを自分の心からの願いとしてその願いを叶えています。その人が夢を叶える行為を、邪魔してはならないのです。

こうしたネガティブにしか見えないような事象に、その事象ならではのかけがえのない価値・存在意義を見出せるかどうかが鍵となります。
(二元性に呑まれている人は、これがとても難しく感じられるようです)

そのうえで、

「貧困にあえいでいたい人の自由を私は奪わない。戦争で略奪しあいたい人たちや、それを望む権力者の言いなりになるという図式で否応無く戦場に送られ殺しあいをさせられ命を落とすという体験をしたい人が、それをするのを邪魔しない」

といった「他人がネガティブ創造するのをありのままに受け入れ、それに支配的に干渉しない」信念を、無理なく持てるところまで思考をワークします。

それと同時に、

「自分の現実には、○○という社会問題は直接的には影響を与えてこない。○○という問題から無影響で生きていられる」

という信念+感覚を盤石なものにしていきます。

そして、あえて関わりを持ちたいというならば、自分を虐待することになっていたり、ネガティブな現実をさらにこの世にもたらす手伝いをしていないかどうかをチェックしたうえで、

「自分はこの問題に、こういう立場で、これを目指して、こういう関わり方を、こういう範囲内で行う」

と決めて信念を持ちます。

ポイントは、「私がこういう関わり方をすることを望んで受け入れる人がいる。その人たちから自分の奉仕した事を受け取ってもらえる」という思考を成立させることです。

これはどういうことか、例を挙げて説明してみます。
貧困で苦しむ人は大勢いて、その全員が「自分は貧困で苦しむべきだ」という思考があるからこそ今現在はそうなっているわけですよね。
しかしそういう人の全員が「一生、なにがなんでも絶対に貧困で苦しみ続ける」と決めているわけでもないんです。

個々人により条件などが異なりますが、
「これこれこういう状況/物事/人/タイミングで、こういう形で手を差し伸べて助けてくれる人のサポートなら受け取って、良いほうへ変わっていってもよい」
という思考を持っている人がいるのです。
(実は、ほぼ全員が、条件は異なるとはいえ、変化を受け入れる思考を何らかの形でちゃんと持っているものです)

だから、自分が関わるその関わり方でのサポートなり奉仕なり手助けなりを、受け取ることを思考パターンのなかで了承している人たちに自分の行動結果が届くように、受け入れてもらえるようにするのです。



あくまでこれは一般則にすぎず、すべての人のすべてのケースにそのまますぐあてはめて一件落着、とはいかないとは思います。

が、

「ネガティブな現実を見ることでそれをさらにこの世に生み出してしまうことには加担したくない。けれど、かといって今起きている問題に対して無視を決め込んでいるのもどうよ。どうにかしたいけど、スピリチュアルなエネルギーの流れで思いもよらない不都合を生む事なく、どうにか関わる方法はないものか」

と思っている人(←なにより私自身なのですがw)が、少しでも参考になればなぁと思って書いてみました。

P.S
っつってもなー、いくら言ったって、いわゆるそういう社会問題と取り組む人たちというのは、「まさか私自身が問題に目を向けることで、解決ではなくて問題そのものが大きくなることに加担しているなんて。ましてや自分が、問題が起きていたほうがいいという思考を持っているなんて」という点でまず認めてくれないものなんですよね。
言い訳としての詭弁に詭弁を重ねてものすごい数の言葉を紡いで自分も他人も煙に巻いて、自分がいましていることを正当化して美化して譲らなかったりするw

もちろん、そうしていたい人たちが好きなように生きるのを私が邪魔するメリットも動機もないっちゃないので、やりたいならどうぞどうぞ、です。

なのでこの記事は、

「これまではよかれと思って、こういう問題に取り組んできたが、出口の見えない迷路のようなこの活動を延々と続けることが自分にとって今後もいいと思えることなのかわからなくなってきた。関わり続けるにしても、今と同じスタンスでいいのだろうか?」

と思っている人向けということになりますね。

参考に……なるのか?
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