現世利益は何のため!?

カネとか肩書き、人望や権力。そういった現世利益ってありますよね。

スピリチュアルに傾倒する人のなかには、いまだに「そういう現世利益は穢らわしいもの。魂が未熟な、エゴに踊らされた哀れな人間が追い求めるもの」と捉える人もいるようです。(べつにその論旨には肯定も否定もしませんが)

ただ、なんだかんだいって、この世で生きていくうえで、不便にならない程度に現世利益を得ていくってのは、大事だよなぁと個人的には思います。

みんながどっかしっかでカネを工面してあれこれ動いているなか、自分の勝手な思想でカネを放棄してありとあらゆるカネが絡むことを誰かの世話になり「私は霊的に拓かれた存在だからそれでいいのだ、このやり方が尊いのだ」と開き直るというのも(アリっちゃアリでしょうが)私自身がやるか?となったら、良いとは到底、思えません。

ただね。

現世利益ってのは、「手段」なんです。目的じゃないんですよ。ほとんどの人間にとって。
(場合によっては、まさに『どれだけこの人生でカネを稼げるかにチャレンジする』ということを人生の目的として設定している人もいないわけではないので一概には言えないのですが)

じゃあ目的とはなんぞや?というと、そこはやっぱり「神聖な計画」だと個人的には捉えています。

人は生まれながらにして、「今回の人生では、これを成し遂げる(のが最高最善)」という目的を、決めてきてるんですね。本人が覚えてないだけで。

で、必要最低限の衣食住といった生活必需品、世渡りをするうえでの材料となりうる属性(国籍や戸籍、性別といった先天的な属性に加えて、学歴や資格、受賞歴・大会の順位など後天的に獲得するものすべてを含む)は、神聖な計画がなんであれ、ある程度以上は必要になってきます。
(神聖な計画の遂行にあたってそれらを必要とする度合いが高いことは、ほかならぬこの時代に産まれているという時点で明白です。もしそれらが要らないなら、別の、これほど貨幣経済が重要でない時代・地域に産まれるはずなので)

だから、理想をいえば

「自分の神聖な計画が何かを知り、それに納得し、その遂行に向けて必要な行動を起こす。その結果、計画の遂行に有用な現世利益を必要十分に確保し、計画を完遂する」

方向性で生きると、その人にとってベストな人生となるわけです。

まぁこの「自分の神聖な計画が何かを知る」とか「自分の神聖な計画が何かを知った結果、それに納得する」、「行動を起こして成果を上げる(途中で投げ出さない)」などなど、つまずきポイントは無数にあるところが人生の大変でもあり面白いところでもあるわけですがw

ようするに、どんな性質の現世利益(カネ/権力/人望etc)がどのくらい必要か大事かは、人それぞれ違うわけですわ。

で、自分の神聖な計画の遂行のために有用とわかったら、手に入れるのが大変そうに感じるカネだろうと人望だろうと、ちゃんと獲得したほうがいいわけですね。

よく「(財産や社会的地位などその人が手に入れた現世利益を)他人と比べても仕方ない、意味がない」とは言いますし、文字面だけを読んだらまぁたしかにそうなんでしょうけど、

ほかならぬ自分自身の神聖な計画の遂行に有用な現世利益が手に入っていない現状への言い訳としてその台詞を使うのは違うよね

とは思います。

その台詞が有効なのは、自分の求めるものが何かが見えておらず、世間一般の価値観にエゴが踊らされたり隣の芝生が青く見えるからなんでもかんでも他人を羨ましがるという状態に自分が陥ってる場合に喝を入れるときでしょう。

偏見や無知から現世利益を過剰に悪く捉えて否定して、それを自分の人生がうまくいってないことを正当化するための言い訳にする状態からは、脱したいものです。



転生しても記憶が消えない特質を自分が持っているから思うことなのかもしれませんが、たとえばある1回の人生で財産を築くことに全力を捧げたところで、いったん死んで生まれ変わるとまたゼロからスタートなんですよ。

過去生で築いた財産や人望、手に入れた特殊技能は、生まれ変わると(ほぼ)チャラになってしまう

んです。

(幼児がなぜか天才的にピアノが上手いなど、過去生で獲得した特殊技能が幼児期(≒今回の人格のエネルギーがまだ台頭してくる10歳くらいより前)に発現する例もあるっちゃあるんですが、それも結局、一時の話だったりもして。今回の人生には今回の人生の目的があり、過去生と同じ路線で同じように成功していくのが望ましいケースは稀です)

はじめのうちは生まれ変わるたびに

「さぁ今回も!」

と、しゃかりきに学歴や財産形成、人望の獲得を目指しますが、それも何回も何回も転生を繰り返すうちに

「あー、また今回もゼロからやりなおしかぁ〜。……っていうか、財産形成とか人望やらスキルやら知識、資格、学位の獲得って、結局のところ『手段』なんだよねぇ。てことはもしかして、ただむやみやたらに莫大な財産を築いたり、万人がすごいと褒め讃えるような実績なんて、必ずしも打ち立てなくても『目的』の達成は可能だったりするワケ?」

と思う(というか、気づく)ときが来るんですよ。

そうなると、必ずしもその国や時代で最高の栄誉とされる称号だか実績だか学歴、役職といったものを手に入れなくても、目的を達成できる方法を模索するようになります。

つまり、

必要最小限の現世利益で(人生の目的の達成という観点での)最大のパフォーマンスを出せる生き方を探る

ようになるんです。

これは言い換えるならば、

「自分の(神聖な計画の遂行という)人生の目的の達成にとって不要な現世利益を手に入れるために時間や労力などのエネルギーを浪費するというムダ」を省く生き方の修得を目指す


ことでもあります。

実際、世間ですごいすごいと褒め讃えられてはいるが自分の人生にとってはたいして役に立たないことというのは、無数にあります。

それは財産の額もしかり、学歴しかり、スポーツや芸術の分野での受賞歴しかり。

もちろん完全にムダというわけでもなくて、「この時期、このことに打ち込んで、これだけの成果を出す(ことに挑戦する)」というのが部分的に神聖な計画の一部に組み込まれている人も一定数以上いるので、べつに学業やスポーツ、芸事に励むのが万人にとってぜったいにムダに終わるという意味でもないんですけどね。

(また、神聖な計画にないことを体験する自由も、それらを体験した結果、喜びを感じる権利も人間にはあります)

ほか、事実上、手に入れた学歴などの経歴そのものは最終的にはその人の神聖な計画の遂行そのものとは関係がなくとも、特に10代といった人格形成期に「何かを目指して、努力して、見事その目標を達成する」という“成功体験”をどれだけ積み重ねられたかそうでなかったかは、その人の人生観や性格、人生への取り組み方といったものに大きな影響を与えるのも事実です。
(だから、訪れた機会には何事もめんどくさがらず手を抜かずいちいちムリのない範囲内で全力を出して事にあたり、可能な限り良い成果を叩き出すという生き方が普通〜に望ましいのは、言うまでもありません)

「どうせ自分なんて、全力だしたってこれっぽっち。世の中うまくいくわけない」

という負け犬根性が人生の前半に経験を通じて確立されてしまうと、厄介なのは間違いないですw


いろいろ書いてきちゃいましたがまとめると、

どれが自分にとって大事なものかそうでないかの見極め

ができるかどうかが、人生の幸福度・充実度にダイレクトに効いてくるよということです。(←うわ、めっちゃ当たり前やん)

その判断基準はいろいろあるでしょうが、最終的には内なる神聖な直観ということになりそうですけど。

いい感じ、やな感じ

というシンプルな判断基準に立ち返ると意外とうまくいきます。

(ただ、『やな感じ』を、『成功していきたくないというようなネガティブなブロックに由来』して感じているか、本当に神聖な直観として自分にとってふさわしくない・不要であるとの判断でそう感じるかの切り分け&見極めが、これまた大切になってくるんですが)

すでに過ぎ去ってしまった時期にできれば手に入れたかったが手に入らなかったことはまぁ、置いておくとして(もし後悔などを引きずっているならワークして解消して)、少なくともこれからの自分がより幸せに成功していきたいと感じるならば、そしてサイキックなトレーニングを多少なりとも積んだならば、このへんを意識して現世利益との付き合い方を自分なりに確立していくのが大事なんじゃないかなぁ、と思います。

「ただ無尽蔵に無限になんでもかんでも手に入れていけばそれでいい」というのは野暮

だと感じます。

たとえばあなたがお金が欲しいとしますよね。

それはなんでですか?

他人に自慢したいため?
生活への不安を払拭して安心したいため?
自分が神から愛された人間だと実感したいため?
他人と比べて特別だとか優れているという実感を得たいため?
エゴ的な物欲を満たしたいから?

そして、「なんのために」「いつまでに」「いくら必要」なんでしょうか?


「べつにいつまでにいくらなんてないよ。多けりゃ多いほどいい。カネはいくらあったって、あるに越したことはないからね」

って言いきりますか?

あなたにとって、どんな現世利益が、いつ、どれくらい、何のために必要かを把握していますか?

それができていないとして、「べつにできてなくてもいいや」と思いますか?

自分にとって必要な現世利益を、どういう方法で、どんな行動を通じて手に入れるか、目処が立っていますか?その目処は、妥当なものだといえますか?


方法が見えたとして、

目指す現世利益を手に入れるために日々、行動を起こしていますか?その行動の内容&ペース配分は、順当なものですか?

これまでに起こした行動の成果は、予定どおりですか? 最終目標の達成のために途中でスタミナ切れ(もしくはやる気の燃え尽き)になる危険はありませんか?

途中で投げ出す事態に陥らないために、どんな対策をとっていますか?

投げ出しかかったとき、どう建て直せばいいか見当がついていますか?

途中で目指すべき方向性を見誤っていると感じたとき、見誤っているかどうかをどうやって認識しますか?

自分の目指すべき方向性が違ったことに気づいた場合、どのように軌道修正しますか?


挙げたらきりがないっちゃないけど、最低限、このくらいのことは毎日の生活を通じて、心と頭と体のどっかしっかには置いておきたい概念です。

「えー、そんなめんどくさい。そこまで考えて生きてるのなんか大変だし窮屈で疲れちゃう」

と思いますか?

極端な例ですけど、ちょっと思い浮かべてみてください。

電車に乗っている人がいるとします。

「あなたはどこで降りるんですか?どこに行って何をするために、いまこうして電車に乗っているんですか?」

とあなたがその人に質問したとします。

そしてその人が

「さぁ?どこで降りるかなんて、決めていません。何をするためにいつどこの駅で降りるかを考えて電車に乗るなんて、大変だし窮屈で疲れちゃいますよ」

こう答えたら、どう思うでしょうかね。


「うんうん、みんなそうだよねー。私も〜♪」

と思うのも自由ですけど。
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