「これは私(の意見・主義主張・言動・行動)じゃない」

ヒーリング、特にシータヒーリングをやっていると、その人の発言や行動がその人本来のありのままの意識から出たものではなくて、その人についている

・ウィルス
・細菌
・寄生虫
・菌
・浮遊霊
・重金属
・アルコールやコカインなどの麻薬
・食べた動物/植物
・集合意識
etc

の意識体がそうさせている場合があることがわかってきますよね。

つまり、

思考・言動・行動が、それら外部の存在によって侵略され乗っ取られている

状態といえます。

こう書くとなにかとても異常な、珍しいケースのように見えますが、私たちは意識しないだけで毎日、十数回〜数十回は、こうなっている状態が訪れるほうが普通とさえいえます。

ただ、多少あるのが普通とはいえ、自分本来の自分でいられなくなるのは考えようによっては避けるべき危険でしょうし、事実、乗っ取られているときに取り返しのつかない発言や行動をとって後々の自分の人生(&関わった人々、物事、状況etc)に禍根を残すのもベストな生き方とはいえないのでは。

だからこそ、特にシータヒーラーは、食べるものに気をつけたり解毒をしたり、霊や集合意識に呑まれないように&ウィルスや細菌などにとりつかれないように、思考パターンのワークをする人が多いわけです。

できうる限り、望ましい限り、自分本来の人格・意識体で生きて行動したい

と思うからです。



ただ。

この、

「こう 考えている/言っている/やっている のは、自分ではない」という点を、責任転嫁の理由として使っている


シータヒーラーが少なからずいるようだ、という点は、残念です。

「あー、私こんな酷いこと言ったりやったりしてたけど、それは私の思考じゃなくて、私が[ウィルス/細菌/寄生虫/重金属/浮遊霊etcのどれか]に乗っ取られてたからなんだー。私は悪くないんだー。悪いのは乗っ取ったもののほうで、私はむしろ被害者。だから私が問題行動や問題発言をしたときに責任があるのは私ではなくて、乗っ取った存在のほう。そのときの私の発言や行動で傷ついたり迷惑・損害を被った人がいたとしても、私はぜんぜん悪くない。私のせいじゃない」

という論旨。

仮にそれが事実だとしても、それでとばっちりを受けたほうはたまったもんじゃないし、また上記の「」の中のような言葉を言う人というのは、

「酒を飲んで酔っぱらったときにしたこと・言ったことで傷ついたからって、俺のせいにするなよ。悪いのは酒のほう。俺は被害者。つか、酔っぱらいの言動や行動にとばっちりを食うほうが悪いんだって」

という開き直りにほぼ等しい実感w

たしかにそうだけど、世間一般の生活をするうえでのマナーとしては、どうなのかなぁと思います。



また、ことあるごとに

「あー、今度はウィルスにやられてた。その前は寄生虫だったし。さらにその前は細菌で……」

と、自分の人生のトラブルを「自分の思考を乗っ取った他者」のせいにするクセがついてしまうと、けっこう大変。

言い訳の達人になり、自分の(理想とする現実を生きるうえでの)欠点を顕在意識の心がけも含めて修正して、主体的に人生の舵取りをしようという意識がどんどんうすれます。

人間は、奴隷のように、誰かのいいなりになっていたほうがラクだと感じるように創られた生き物なので、そうしていたほうがラクだし、そうあるのが自然なように感じられるのも確かです。

ですが、そういう生き方をいま、多少なりともしてしまっているなぁと感じるとして、今後もそうありたいと思えるかどうかは、考えてみる価値があるかもしれません。

(『うん!私はずっとそうやって、ことあるごとに誰かのせいにして、自分の出したゴミは道ばたにポイ捨てするような人生を送るのがイイ!と思ってる。自分を省みるなんて気まずいこと、一生に一度たりともしたくない。何かあったら他人のせい。悪いのはこの世界のほう。私じゃない。被害者意識を武器に、行く先々でみんなに迷惑をかけてしたたかに生き延びてみせる。それで何か文句ある?』という人はどうぞどうぞそのままで)
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