セミナーの受講料値下げは、いいこと?

先に結論を言うと、良いも悪いもないっちゃないんでしょうけどね。

たとえばの話をしますよ?

とあるヒーリングモダリティで、セミナーの料金が決まっていたとします。
開催人数に応じて料金が変動する制度だったとしましょう。
多い人数が集まれば料金が下がるシステムだったとして。

つまり認定ティーチャーによっては、

「いま、1人〜2人しか人数が集まらないから、1人あたりの受講料金が割高にならざるを得ない。そうなると、他の認定ティーチャーで人数が集まっているところに、『割安料金』を目的に受講生が流れてしまうだろうから自分のところへ集まってきてくれない」

というジレンマも抱えているかもしれないということです。
(その認定ティーチャーが豊かさに関するイシューを解消しきっていれば、こんなことそもそも感じないはずなのですが)

そこへさらに、

「ヒーリングを受けたい人たちは、貧しい。だから、セミナー料金を支払えない。どうか、値下げしてくれないか」

という要望が募ったとします。

(その要望を出すこと自体が、そしてましてや叶ってしまったら、『私は貧しいからこのくらいの金額しか払えない。そのくらいの金額しか捻出できないという現実を創造してそこに生き続ける(≒これ以上、豊かになることを諦めて、今後もずっと一生、貧しいままでいる)』という宇宙への意図の宣言になると気づいたうえで言ってるんでしょうかね?)

そのヒーリングモダリティの認定ティーチャーたちもそう思っていて、創始者に直訴したとします。

(これはつまり、『私というティーチャーのもとへ来る受講生は貧しくてセミナー料金が払えない』という意図を宇宙に対して宣言することになります)

そして創始者が根負け(?)して、値下げを了承したとします。

(これはつまり、『このヒーリングモダリティに集う人は貧乏なので高い料金が払えない』と宇宙に宣言していることになります)

要望が叶ったティーチャーたちが歓声を上げてガッツポーズをしたりハイタッチしたりして喜んだとします。

(これはつまり、『私たちは永遠に貧乏で、貧乏であることが大好きです!貧乏な自分たちを認めてもらえて嬉しい!We are 貧乏 forever!!』という宇宙への宣言になります)


さて、それってどうなんでしょうね。

値下げの金額の振れ幅にもよるんでしょうけど、たとえば数千円〜数万円といった、いわゆる一般庶民でも本気になればどうにかなる範囲内の金額での値下げだったとして。

手放しで喜んでいいのかなぁ、と思います。

なにもこれは「ティーチャーとして稼げる金が減ったからって、ブーブー不満をこぼしている」わけじゃないんですよ。

列挙するなら、

・「人数が少ないと割高な受講料金になる制度だと、自分のところには受講生が集まらない」という、豊かさについての制限ある思考をティーチャーたちが抱えたままになってしまう(ブロックのほうを肯定する形になる)

・本気になれば必要な金額を創り出せるはずの、受講したい人の願望実現能力を発揮する機会が失われてしまう
 (安いなら出せる、という、既存の願望実現能力(の低さ)のまま留まってしまう)

・マンツーマン開催でも最低料金でいいや、という受講生と認定ティーチャー双方が、自分の受講(or開催)するセミナーの価値&そのセミナーに参加する時間の価値を軽く低く見積もってしまう可能性がある

点が、個人的には残念だと思っています。

これがもし数億円というような、世間の物価の相場からいって確かに並外れた金額ともなれば、また話は別なのかもしれませんが、数千〜数万円という範囲で

「なんとなく、値引きしてくれるならラッキー」

という理由で値引きしてしまうのは、かえって「そこから受け取れる恩恵」を減らしてしまいかねないと思っています。

ある程度、チャレンジングな料金だからこそ、本気度が試される。
それだけのカネをどうにかしてやりくりすることが、願望実現能力を鍛える格好の練習材料にもなる。
それだけのカネを払うだけの感謝の念を、ティーチャーやセミナーの内容に対して表すことにもなる。
ある程度の金額を払うという決意をして体験したことだからこそ、大切にできる。印象にも強く残る。

そういう側面って、あると思います。

なんでも安くすれば、ほんとにそれって「良心的」なんでしょうかね?

実際、いわゆる日用品などでも100円ショップが台頭していますが、それ以前にある程度の金額を払って物を買っていた頃と比べて、

「壊れてもいいや、なんかあれば捨てちゃえばいいや。だって100円でまた新しいのを買えるんだから」

という気持ちがまったく増大していない、と断言できる人、どれだけいるんでしょう。

お金について「悪いものだ」「汚いものだ」「多い額の金は人を堕落させる」というような思い込みを抱えていると、とかく「無料」や「安い値段」は、素晴らしいともてはやされます。

でも、それってほんとにそうなんでしょうか。

私個人の主観を述べるならば、

「無料や『非常に安いと感じる料金』であっても、高い料金のときとまったく同じ尊さをその商品やサービスに見出せる人。つまり、値段の高い安いにまったく影響を受けることなく、物事の価値を感じ取り、表現でき、感謝できる人」

にならば、有用だと思っています。

そして、これもまた私の独りよがりな思い込みかもしれませんが、それができている人というのは、そこまで多くはない印象です。
(というか、完璧にそれができている人が、この世界に生まれてくるでしょうかね?くらいのことは、思っています)

それともみんな、貧乏が大好きなの?貧しいままでいたいの?もっともっと貧しくなっていきたいの?自分には(お金をじゅうぶんに払ってなお余裕があって幸せでいられるという)可能性があるということを否定したくて仕方ないの?神の一部として人間が持っている無限の可能性を否定することで、神の素晴らしさと偉大さを貶めたくて仕方がないのかなぁ?

あ、たとえばの話ですからね?あくまでも。
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