しっちゃかめっちゃかに取り乱してもよい許容範囲を決める

自分の人生には、生まれる前に決めてきた神聖な計画があり、その流れは常にそこにある。
自分がそれに気づくかどうか、受け入れるかどうか、流れに身を任せ委ねられるかどうか。そうしていることを喜びと感じられるかどうかだ……。

いわゆるスピ的な話の初歩の初歩くらいで、誰もがこういうことを耳にすると思います。

でね?

そうしているにこしたことはないんですが、人間にはエゴがあり、エゴにも大切な役割があり、エゴを持っているからこそできる体験やそれによる気づき・学びもあります。

あえて流れに逆らってみたり、自分のエゴむき出しにして七転八倒してみるのも、その人の霊的成長段階によってはオツなものとして感じられます。

というか、それは「ある時期だけ」やればいいというようなものでもなくて、どちらかというと、日常的に憂さ晴らしをするかのように、上手に取り入れていったほうがいいと思うんですわ。
どちらかというと、食欲や性欲に似てるかも。いったん満たされたからハイ終わり、ではなくて、(不)定期的にムラムラしてくるタイプの衝動だと個人的には感じています。

それを満足させるのも、精神衛生上、大事よ?

ということで、自分は、1日に1~2時間くらいは、わざとエゴを開放して、好き勝手に振舞う時間を設けています。ああでもないこうでもないと、神聖な計画の流れに逆らいたくて仕方がないネガティブで支離滅裂な考え事を、あえてトコトンやったりもします。

(意外とこの、『いま、エゴが何を欲しているか』を知ることが、自分の内面の状態を把握するのに一役かってるときもあるんですよね。だから、ICレコーダーを録音状態にして、好き勝手、ベラベラとしゃべり散らしてみて、それを聞きなおすといったことをすることもあります。あるいはこうしてブログを書くみたいに、パソコンのメモ帳に好き勝手がしがし書いていくこともあります)

ちゃんと自分のエゴについてウォッチしていくと、エゴが欲するものが自分の変化に応じて変わってくるのも面白いです。

エゴが成長する

というんでしょうか。
(厳密にいえば、エゴは霊的成長を遂げるといった意味合いで『成長』することは無いんですが、そのときどきの思考パターン等に応じてエゴが快感だと思うものを声高に叫ぶわけですから、思考パターンの変化に応じて、エゴが叫ぶ内容が変わる、という仕組みです)

この

エゴのメンテナンス&子守

って、大事大事。

エゴの面倒を上手にみられない人・エゴを抑圧してしまっている人というのは、どれだけ立派なことを言えたとしてもなんだとしても、結局のところ、本質的に偏っているんです。
人間としてベストな動きが、できていないんです。

そして最高に大事かつ有用なのは、

エゴを上手に騙して利用する(何かアクションを起こすモチベーションとして機能させる)

こと。(この詳細は、また別途どこかで)

よくね、スピリチュアルに傾倒する人だと、エゴを悪者と決め付けて、「消し去る」「払拭する」「乗り越える」「撲滅する」方向性を目指したりしがちなんですよね。
でも、もし本当にエゴが不要なものだったら、そもそも人間という完璧な、神の創造物に搭載されるはずがないでしょうに。
(ここで『ハァ?この欠点だらけの人間が、“完璧な、神の創造物”だって?おいおい、どこがだよ』と思った人は、自分の観点を見直してみては?)

もし本当にエゴを、臓器摘出するみたいにその人のなかから抜き出してしまうことができたとして、エゴのない人間がどれだけ神聖ふうな有様を体現できていたとしても、それって当たり前というか、エゴを抜いてそうするんだったら誰でもできるでしょうよ的に無意味なんですよね。
(それって、脳を細工して一切の感情を感じなくしてしまった人間をもってして『何物にも動じない』と言ってるようなものですよね)

ただエゴのご乱行が、理想的かつ神聖な自分の現実の創造を妨げるほどに影響を及ぼすのもアレなので、許容範囲を決めるし、

「いまは、エゴの叫びをガス抜きしてるとこ。いま自分がしっちゃかめっちゃかになってるときの意図は、現実の創造には影響させない」

というような意図のキープが重要になってきます。



個人的な最近のエゴのトレンドをあえて述べるなら、物欲とか権力欲といった、わりと大人ならフツーに持ってそうなものにはもうほとんど反応しない(というか、できるだけそういうものに煩わされたくないとエゴからして言ってる)んですが、逆に、「ほんとは子供時代に手にしたかったけれど手に入らなかった(と感じている)ものを、手に入れたい」という、プライベート充実願望がデカくなってきました。

なんの心配もなく甘えることができて、それに自分がわかる形で応えてくれ、決して自分を傷つけることも悲しませることもせず、自分を幸せと愛情いっぱいにして心の底からの安堵を感じさせてくれる保護者。

(どうしてもうまくなれとか将来プロになれ、試験に合格しろというような)一切の義務に縛られることなく、純粋な興味と好奇心、向上心で通う、習い事・お稽古事&素晴らしい先生。

そういうものを、エゴがすごく欲しているのがわかります。

エゴは、何が欲しいかを示してはくれるのですが、「それが欲しい動機・手に入れる方法として望むこと・それが手に入ったらこんなだろうという願望達成予想図」が、真実と真逆を指すという性質があります。自分を霊的に退化させる方向性で、望むようにできています。

ここがポイント!

なので、エゴを通じて自分の欲しているものを汲み取ったら、あとはエゴをいったん横に置いておいて、理性と叡智によって何をすべきか考えていく、、、というプロセスを採るのが◎。

そして、(ほんとはエゴが望んでいるとおりの動機・方法・成果ではないものを目指すのですが)エゴの言うとおりにこれから自分が向かっていくよ、とエゴを騙すんです。
(エゴは真実を否定するので、信頼されるより疑われ騙されることを望みます。なので、エゴを騙すのは、エゴの本当の望みを叶えてあげることにもなるのです)
エゴは騙されたがりなので、コツを掴むとあっけなく騙せるようになりますよ。

そうしたらもう強いのなんの。
エゴは、幼児がはしゃぎまわるように無限にエネルギーを供給してくれます。
このエネルギーを、叡智側で選択した行動を起こす「燃料」として使う、と。

まぁそんなわけで、エゴとこんなふうに付き合っていますよという1つの事例報告がてらに書いてみました。
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