「就職」はその職業のグループソウル・集合意識への従属&貢献

言いたいのは、タイトルどおりなんですけど、伝わるかなぁ。

よく、「ライターは、名刺をつくって『私はライターです!』と宣言したらその瞬間からライター」みたいなこと、言われるんですよね。

で、仮にそういう形で、ビジネスライクに案件だけどこかからもらって文章書いて納品して原稿料をもらって、とやっていれば、いちおうは職業とは看做されますよね。

だけど、それだとなんというか、悶々としてしまっていたというか。

かつて、出版を手がける会社で編集者として働いていたときも、「自社で出版とゆうことをしている」という感じで、世間にいういわゆる「出版業界」の人の渦からは完全に置き去りにされている感じ。
学校の校庭でいうなら、みんながサッカーの試合をしている横で、数人でサッカーボールをパスしあって遊んでる、みたいな孤立感がありました。

広い広い意味では、それでもいちおう出版物を出しているのだから出版社のうちに入るだろう、出版業界のうちには入るだろう、となるかもしれませんけど、こじつけ感が否めなかったんですね。

この孤立感はどこから来るのか、となると、うまく表現できませんが「人との繋がりがない」ことから来てると感じました。業界全体で持っている集合意識というか、個々の会社の枠を越えてみんなで「ほかならぬ、この時代の、この国の、出版というジャンルを支えていってる感」がなかったんです。
御神輿をみんなで担いでいるそのメンバーに入れてない、みたいな。

(もちろん、自分が勤めていた会社自体が、オリジナルの御神輿をつくってそれをみんなで担いではいたけれど、それがもうあまりに独りよがりというか、業界全体や世の中に与えるインパクトなり貢献意識からかけ離れた、内輪受けしたいだけの学生サークルみたいで脱力してしまった)

事実、いわゆるメジャーどころの編集者だったり、勤め先そのものがマイナーな出版社でも他社の編集者など同業者と連絡をとりあって付き合いをもっている人たちは、連帯感や一体感といったものが出ていて、暗黙のうちに「日本の出版のこれから、どうしよう?どうしていこうか?何が問題で、それに対して僕らは何ができるだろうね?」といった意識を共有しているのが見えたんです。

そんなこんなで私自身は、編集者やライターを続けていても、その「誰かとつながっていて、自分がやることがその人たち、ひいては業界全体にどんなふうに影響を与えているのか」があまりに見えなくて、業務そのものは好きだったけれど、職業として続けていく意義を見失っていきました。

以前、とある作家さんが雑誌の取材か何かで

「小説家になるということは、『小説家たち』という、会社みたいな『集団』の仲間入りをすることだと思ってた。当時はそれがアタリマエだった。初めまして新人ですがよろしくお願いします、って先輩たちに挨拶して、いびられながらも可愛がってもらって、こっちも可愛がってもらえるように、いびりに耐えて、相手に尽くして。そうやって仲間の輪にだんだん入れてもらって、『日本の文学をもっとよくしていこう』みたいな共通認識を持っていく、という。そういうものだと思ってた。だけど最近の若い人は、そういう付き合いは鬱陶しいだけで、自分がただ書きたいことを書いてお金をもらえればそれでいいんです、という人が多いみたいで、びっくりする」

というようなことを言っていて、すごく納得したんですよね。

べつに、「作業だけを黙々と淡々とこなして1人だけで金を稼いでますけど何か?」という人が悪いわけではないんです。

だけど、もっと目にみえない、意識のうえでどこに属して、どこに貢献する一員として動くか。そのことを周囲の人間にどれだけ、認めてもらえているか。認めてもらえていることを、光栄に感じられるか。
職業って、就職って、そこらへんまで満たされてはじめて、充実してくるものだし、また他人の目から見て認められうるものだと思うんですよね。

逆にいうと、

「私はこの仕事がしたい!やった!その業種の会社に入れた!嬉しい!でも、周囲の人と仲良くしたり、業界全体の動きだかに加わるなんて面倒。私は私で、誰にも邪魔されずに、やりたい仕事をやって金がもらえればそれでいいの」

というスタンスだと、(もちろん、それでもその人がやってる仕事を周囲がものすごく認めてくれてるなら話は別でしょうが)本人もだんだん、やりがいを感じられなくなるだろうし、周囲からも浮いてしまって、うまくいかなくなる可能性が高いと感じます。

私のもとへいらっしゃるクライアントさんも、就職についての相談はそこそこ以上にありますが、わりとみんな、自分がやりたいということばかり考えていて、「他人や既存の集団の仲間入りをする、志を同じくしてみんなである方向を向いて進んでいく。その集団のみんなと歩調を合わせることに同意する」という点を拒絶してる人が、少なくないんです。

もしくはそれが個人事業主なり会社なりの独立開業系の場合、

「世の中の、こんな人たちに向けて、こんなサービスを提供することで、これこれこういう貢献をしていきたい」

というビジョンがどうしたって大事になってくるものですが、そこを抜かして、

「自分が○○という職業で独立するのが、昔からの夢だったんです」

という点だけ、鼻息荒く主張する人のなんと多いこと。

これね、べつにお説教で言ってるんじゃないんです。

現実は意図がつくるものだから、他者やお客さん、同僚といったものとどんな関係を築いて、何を提供し、何を受け取りたいかの意図を本人が持っていないと、その部分の「現実を創造する材料」の補給がうすれていくという、物理的なデメリットが生じるんです。

仕事を頑張っていて業績も悪くないのにリストラされてしまった、というような人は、まさにこのケースです。
業務で自分が何を提供して何を得るか、は明確に継続的に意図を放ち続けてマニフェストできていたけれど、いまの企業に属して、一企業人としてカイシャに何を提供するか。このカイシャの一員であることが、自分にとってどんな意義を持つか。同僚や上司、部下とどんな関係を育んでいくかの意図がうすく、意図がうすいのでたとえばコミュニケーションが希薄になって人望が得られず、結果的に「誰をリストラするか」を考えたときにみんなにとって「要らない人(≒好きじゃないから、いなくなっても不都合がない)」と判断されてしまうわけです。

個人事業主や会社設立で独立する場合も同様で、具体的に顧客をどこにターゲッティングして意図するかが経営者にないと、顧客は現れてきません。
また、独りよがりな顧客のターゲット設定で、提供するサービスも独りよがりで他人からしたらそんなサービスなくてもいいよ!というものだった場合は、いくら意図が強かろうと現実は成立しません。

それらはいわば、壮大な自業自得。

仕事について言うなら、こういった、目に見えないところまで意図を成立させて現実化して、はじめて本当にやりがいを感じられるといえるのではないでしょうかね。

(もちろん、『やる気のない人が、最悪なサービスを提供する』というコンセプトの企業に、やる気がないことでウマが合い、かつ『最悪なサービスの会社を無意識に選んで泣きを見る』という思考パターンが入っているお客さんから支持されて会社は潰れずに存続、などのケースもあるにはあるので、一概には言えませんが)

うーん、やっぱり最後までお説教くさくなるのかなぁ。
でもさ、実質、そこをちゃんとやらないとうまく就職ができないし、できたとしても不幸な就労経験になる確率が高い。
裏を返せば、そこをちゃんと押さえるだけで、そこそこ以上にやりがいが得られる、いい会社に入れたり独立を実現できたりするもんだと思うんですが。

まぁそんな感じです。

「その先」を見ようよ。見えにくいだろうし、想像もつきにくいだろうけど。

「この会社に入って、自分が何をすることが、どんな人たちにとって、どんな貢献となりうるのか。その貢献を、なぜ自分はしたいのか」

ここが肝心。99%の人は、この肝心ポイントを全スルーして就職するばかりに、ブーブー言ってるのも確かかもしれないけどw
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