脳内プレイで終わりたくない

とあるシータ友から言われた言葉。

ぐっときましたねー。我が意を得たり!って感じ。

シータヒーリングのセッションって、肉体のヒーリングなどを除いては、その場ではほんとに効いたかどうかわからないんですよ。職場の人間関係が改善するとか、お金が入ってくるとか、そういう「起こってみないとわからない」類いの物事については特に。

でね。

ほんとにセッションの後、物事が好転したかどうかをウォッチして、もし変化がなければ「どうしてだろう?まだ、やり残していることがあるとすればそれはどこ?」というふうに、執拗に追って行くのが解消の際には有効なこともあります。
(ただ、いい意味でのこだわりと、エゴ的にそのイシューをはやく解消したいと固執することの違いの見極めが、難しいっちゃ難しいんですが)

それをしてる人なら、いいんですよ。

問題は、セッションをやって

「あなたのイシューは解消されましたよ!ブロックが取~れ~たぁ~♡ おめでとー!!」

という、あぶなっかしい多幸感の押しつけをプラクティショナーからされて、狐につままれたみたいになりながらも雰囲気に呑まれて、

「ああ、私のイシューって、もう、取れたんだ?なら嬉しい。やったー、幸せー」

とうっとりしてしまうのがアブないと思ってます。

まさに、脳内プレイ。

自分のイシューがとれたという空想に浸っちゃってるだけなんです。

もっといえば

プラクティショナーと2人で実現する、「あたかもセッションをしてイシューが解消できたかのような幻想に浸る、イメージプレイ」

をしている、といえそうですね。

でも、違うでしょ?

イシューが解消できたなら、現実が本当に物理的に、変化する

でしょ?

そうなってないってことは、まだイシューは解消できてないし、ヒーリングは効いてないんだよ、完全には。

「なんとなく、気がラクになった」

のは、イシュー解消の証には、なりません。

だってさ、誰かにたとえば自分の悩みを話したら、それだけでラクにはなるぜ?一瞬なら。そのときだけを切り取っていうならさ。

私に「脳内プレイで終わりたくない」と打ち明けてくれたシータ友もおそらく、周囲で「脳内プレイで終わってる人」をたくさん見てるからこそ、そう言ったんだと思うんですね。
(だって、周囲に誰も『脳内プレイで終わってる』と感じる人がいなかったら、わざわざ決意を込めて『脳内プレイで終わりたくない』なんて断言しないでしょう)

急速に広まっているヒーリング技法だからこそ、理解のズレや派生した独自のヘンテコな説などがわんさか出てきて、ほんとにそれで講座を修了したといえるのかよ的な人が増えてるっぽいのは現状として否めないとは思います。

ただ、大事なのは、そうした人を挙げつらって責めることじゃなくて、そういう人たちがいるなかでも、自分だけはせめて、ホンモノを掴んで体得して、それこそ「脳内プレイで終わらない」ほんまもんのヒーリングを実現することだと思うわけさ。

まぁそんなわけで例によってうだうだ書きましたが、シータ友から「脳内プレイで終わりたくない」と言われたときは、ほんとに嬉しかったなぁ。

ちゃんとしたシータヒーラーだって、着実にこうして育ってるんだ、って思えたから。

なーんて、しょせんは小規模な母集団だけをみてあれこれ考えてるだけの独りよがりかもしれませんけど。
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