あの頃、アメリだった私。

大昔に書いた文章が出てきたので、こっぱずかしいけど公開してみましょう。

アメリというのは、これです。
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20歳の誕生日をパリで迎えるのが子供の頃からの夢だった私は、19歳のときに当時通っていた日本の大学を休学してフランスに半年ほど短期留学しました。20歳の誕生日は、パリのオランジュリー美術館でモネの「睡蓮」に囲まれて迎えました。

モンマルトルに住居を構えた私は、ろくすっぽ話せないフランス語を駆使して毎日あちこち見てまわることに生き甲斐を感じていました。どう考えても食えそうにない焼き栗を売る露店が立つオペラ座前や、びっくりするほど大きなパンやケーキを売るお菓子屋がある凱旋門近く、貧民層向けのスーパーが立ち並ぶドニや、ムーランルージュ。コンコルド広場の観覧車。…香水とコーヒー、それにパンと埃の交じったパリの匂いにすっかりラリった日々でした。小高い山のようになっているモンマルトルからパリ市内に降りて来ては帰って行く自分に、おとぎの国から遊びに来た妖精の姿を重ねていたものです(キモい)。なんたって、モンマルトルの丘からのぞくサクレクール寺院はいつだって真っ白でしたから。

ただ、いつものようにココアにチョコクロワッサンの甘い甘い朝食をとっていたある日、自分が誰にも心を開いていないことに気づきました。自分の世界が誰とも繋がっていないことを強烈に意識しました。自分勝手に街に親しんだふりをして、その実は自閉症同然の心理状態にあったのです。毎日を気楽に過ごし過ぎて気づきませんでした。私は、人と、繋がりたい。20年生きて初めて気づいた事実はあまりに単純で重く響きました。

それからは1日中市街をぶらぶらする生活を少し変えて、ちょっとした買い物をするにも店員さんと言葉をかわすようになりました。留学先が美術系の学校だったので、それまでのように黙々と一人でデッサンをするだけの行動パターンを変えて学生食堂でランチをとることから始めました。時折、話しかけてくる学生が現れ、いつしか自分から自然に会話が始められるようにもなってきました。ごく稀にひどい人種差別を受けたり(マクドナルドのトイレで小便してるときに背中から店員にバケツの水をかけられて”悪いな、しつこい汚れはこすって落とさなきゃいけない”とモップでガシガシ突かれたり)しましたが、そういうことのひとつひとつが着実に自分の世界を拡げて行ってくれた気がします。外国という慣れない土地にいるぶん、言葉が流暢には通じない分、深刻にドロドロすることもなくどこか練習めいた風情で人との交流に足を踏み入れることができたし、感性が日本にいるときよりも鋭くなっていたようで、些細な出来事のひとつひとつの意味をクリアに把握することもできました。日本にいたらずっと、自分はこんなことを考えもしなかっただろうし実行にも移さなかったかもしれません。

シャルル・ド・ゴール空港から日本に帰るときの、あのパリの夜景は今も目に焼き付いて離れません。空港に向かう途中で見た、当時(1997年)はまだ建設途中だった世界大会向けのサッカー競技場が”完成までここにいてくれよ”と言ってるような錯覚にとらわれてバスの中で涙ぐんでみたり。

自分にとってパリとは、自分がようやく人間らしい人間としての第一歩を踏み出せた大切な大切な、第二の故郷なのです。

L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature, mais un roseau pensant.

なんて独りよがりな、、、と苦笑しまくりですw
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