「シータヒーリング」への嫌悪感・対抗意識に呑まれて真実を見失わないで!

タイトルのとおりの主張です。

この世界で起きている、真実そのものとは言えない様々な混沌としたドラマのなかで、人は競争意識や敵対心などに巻き込まれがちですよね。

で、本来、世界じゅうのありとあらゆる宗教や個々人の価値観・哲学・信条、ヒーリングモダリティ(現代医学や針治療、気功や整体、アロマテラピー、音楽療法などあらゆる“癒し・治療”に分類されるものを含む)は、それぞれに素晴らしさがあり、個々人の段階や状態に応じて、素晴らしい恩恵を与えてくれうるものとして存在しています。

(人は1人1人違うわけで、また1人の人間も時期によって別人のように価値観なり求めるもの、良いと思うものが変わって行くわけですから、『世界中のすべての人にとって、これが唯一、絶対に素晴らしくて正しい!』というものなんて、ないんです。だからこそ、いろんな意見や主張、価値観、美学、思想、哲学、宗教、治療法があることが、それぞれ異なる個々人のその都度の瞬間瞬間にとって、ベストマッチとなる可能性を秘めてるわけですね。それはそれでこの世の豊かさの無限のバリエーションを体現しているわけで、『誰のどんな病気でも治せる万能薬・誰にとっても信じるのが望ましい単一の宗教』といったものはないし、またそういうものがないことが、いわばこの世の豊かさが無限にあることを示唆しているともとれます。←もし、単一の何かで世界全体をまとめたいと願うとしたら、それはその人が『世界征服』を狙っているに過ぎません)

だからこそ、一見すると真逆の主張をしている宗教や治療についての理論なども、(競争意識・敵対心に呑まれた人々の間では)論争や戦争を引き起こす原因となりつつも、世界全体を見れば同じ瞬間に同時に存在しうるものとして今、あるわけですね。

で。

人って、理論でも哲学でも宗教でもヒーリングモダリティでも、もしかすると野球やサッカーのチーム、政党など、とにかくなんでも、「自分が信奉するもの」を持ち上げたがるものなんです。

それ自体は、なんらおかしいことでも悪いことでも治すべきことでもないとは思います。

が、そこで、他の存在に対して敵対心や競争意識を持っちゃうかどうか、もしいま持っていると自覚したならば、今後もそれを持ち続けるのが自分にとって最良の選択といえるのかを問いたい感じがします。

人間が、自分が良いと思わないもの、これまで見たことも聞いたこともない新しい情報や人・物などについて、怪訝な対応をするのは、ある意味では本能ともいえるので、おかしいことでも恥ずべきことでも、ましてや「罪」といったものでもないと思います。自然な反応ではあると思います。

ただ、動物として自然な、「新奇なものへの(慎重さと無知から来る)怖れ」を超えた、

「自分が良いと思わないものは、この世にあってはならない!悪者だ!成敗してやる!!」

という意識にまで発展してしまうと、ほかならぬその人の霊的成長を阻む結果を招くんですよね。

たとえばシータヒーリングは、これまでいわゆるスピリチュアルな世界や霊能者たちの間で「常識」とされてきたこと、タブーとされた物事を、

「べつにタブーじゃないよ。できるよ。やってもいいんだよ」

というふうに、肯定してしまいます。

すると、何かを「してはならない」系の規則を、とても大事なもので破ってはいけないと信じてきた人は、混乱もするでしょうし、自分の信条を否定された気がして、怒りを覚えるかもしれません。

もし自分が「ぜったいにしてはならないこと」と教わってきたことを「やってもいい、問題ない」と言ってしまうヒーリングモダリティやそれを実践する人・そのモダリティを教える人が現れたら、「けしからん!」と批判したくなってもおかしくないでしょう。

でもね。

もし、(たとえそれがシータヒーリングでなくとも別の何かであっても)自分が否定したいと感じているその教えなり情報なりが、あなたにとって今後の(霊的・精神的・肉体的なあらゆる)成長にとって有益なものであるなら、それを自分の一時期の感情によって否定してしまうのは、残念だと思いませんか。

これはなにも、

「あーはいはい。シータヒーリング教の信者に寝返れってことね?こっちへ来いよ、仲間になろうよ、ってんでしょ?」

と思ってもらいたくて言ってるわけではありません。

(私はたしかにシータヒーリングと呼ばれるモダリティを修得して、時と場合によって使っていますが、シータヒーリングだけを信奉する熱狂的な『信者』でもないし、他のモダリティを否定する側に立っているわけではありません。自分自身が、あくまで『ツール(道具)』としてそのときそのときの問題を解消するのに役立つなら使っているだけです。医師の治療を受けることもあれば、アロマテラピーや他のヒーリングモダリティの力を借りることもあります。特定の宗教には属していないけれど、文学や哲学、音楽や美術なども含めた『創作』のなかで宗教的なモチーフや影響を受けたものがあったとしても、それが単に宗教的だからとか、自分の信条にそぐわないからという理由で毛嫌いしたり拒絶することもなく、ある意味ニュートラルな立場で鑑賞させてもらうことにしています。芸術でもなんでもそうですが、『自分が良いと思うかどうか/共感できるかどうか』を、鑑賞の際にあまり前面に出しすぎてしまうと、『自分の価値観からしたら良いとは判断しないけれど、確かに1つの世界観を顕せている。創作として成立している』ものを自分がきちんと受け止められないというデメリットが生じて損だと思っています

むしろ実は、(シータヒーリングのインストラクターをしているという立場上、言いにくいのですが)

「『創造主(と呼ばれる原子そのものの根本エネルギー)と繋がって共同創造する』というのは本来、特定のモダリティが専売特許を取っていいものではなく、誰にでも可能性が拓かれているもの。人が本来だれでも、本能的に持っている能力。なのに、なまじシータヒーリングがモダリティの1つとして確立されてしまっているが故に、『シータヒーリングを(その人の偏見や無知、真実を知り霊的に進化する方向性へのブロックなどが原因で)良いと思わない。嫌い』という人が、『シータヒーリングを嫌うことによって、結果的に、創造主(とシータヒーリングでは呼ばれる原子の根本エネルギー)を利用する方法を思い出す可能性・きっかけを閉ざしてしまう』とすれば、残念だなぁ」

と思っています。

シータヒーリングで創造主のエネルギーと呼んでいるエネルギーの利用法というのは、特定のモダリティが独占していいものではなく、モダリティの流派など関係なく人が本来、だれしもが著作権や知的財産権といったものとは無縁に、使いこなしていっていいはずのものです。

ですが、たとえば私が、シータヒーリングのセミナーと「称さずに」創造主との繋がり方を誰かに教えてしまうと、それはシータヒーリングインストラクターのガイドライン違反になってしまうのです(←ここが一番、解せない!)。

シータヒーリングにいう「創造主の定義による、最高の真実」というのは、なにも「シータヒーリングというモダリティを信じる連中が真実だと“信じている”、とある意見」ではないんです!!


こればっかりは、信条や主義主張といった「人の考え」という枠を超えた、「そもそものこの世の仕組み」なのです。
だから“個々人によって物事は捉え方が違う”という議論とは、そもそも話の次元が違うんです。

「あー、それがシータヒーリングにいう『創造主の定義する“喜び”』なんだ?なるほどねぇ。 でも俺は○○教だから、そうねぇ、うちの宗教でいう喜びっていうと、~~を指すかな。シータヒーリング教の連中が信じてる教えとは違うかもしれないけど」

などというふうに、議論の余地があるものではないんです。

もっと、物理的法則のようなというか、どんな人にとってもはっきりと「これ」と同じものが決まっているんです。

それこそ、「水素」という原子は、「私にとっての水素」などと1人1人、解釈が分かれるものではなく、単一の原子として万人にとって共通なものとして存在していますよね。そしてある意味、万人にとって同じ働きをします。
もちろん、水素以外の原子それぞれに、同じことがいえます。
(もしそうでなかったら、世界の構成がぐちゃぐちゃになってしまいますよねw)

それと同じように、「喜び」や「信頼」といったさまざまな概念が、創造主の定義(とでもなんとでも呼び名はいいから、とにかくこの世が創造されたとき最初から在ったもの)として、在るんです。

それを、「私はこれを水素だと思わない。私にとって水素というのは~」と、人間が各々の好き勝手な考えを述べたところで、水素が水素であるという事実は揺らがないわけですよね?

それと同じで、「喜び」などの感覚感情それぞれが、「そもそもこういうもの」と電磁的な波形として、それこそ1人1人に指紋があるように、概念ごとに他の概念とは異なる、唯一の波形を持って普遍的に存在しているんです。

(人間が頭では何をどう考えようが、この世の概念には共通の波形が設定されていることを間接的に裏付ける1つの要因として、人間の『表情』などのリアクションが挙げられると思います。国籍や人種、宗教などの信条、文化、主義主張、価値観を問わず、人間の表情のリアクションって、世界共通なんですよね。驚いた時とか、悲しくなったときとか。それはつまり、万人に共通な驚きなり悲しみなりといった波形エネルギーが存在しているからこそ、その波形エネルギーを感知したときの反応としても、人間の個性とは違う、もっと動物的本能とでもいうべき領域で、反応の仕方が共通で決まっているのではないでしょうか←ごめんなさい、これ、たとえば学会でちゃんと証明しようとするともっととんでもないことになるので、このへんで私の考えのエッセンスだけ端的に示すに留めさせてください)

個々人で「私にとっての喜び」という、意見や信念という意味合いでは、たしかに十人十色。
意見や信念という意味ではたしかに、そのとおりだし、1人1人、意見が違ってもいいんです。それが悪いことでもなく、むしろ1人1人の意見として尊重しうるものなんです。

ただ、この世には、その人がどう思うかといった思考/主義主張/嗜好/志向/指向といった領域とはぜんぜん違うところで、

「そもそも『喜び』という電磁的エネルギーの波動周波数は、これ」

というエネルギーの波形が、決まっているんです。

個人個人の抱く「私にとっての喜び」が、その波形とずれていても、べつに「悪い」というわけでは、ないんです。

ただ、万人にとって共通な

この世界の「設定」としての電磁的エネルギーの波形(各種)

が、人智を超えたところで成立している
ということなんです。

シータヒーリングにいう「創造主の定義による、○○」という概念は、なにもシータヒーリング創始者ヴァイアナ・スタイバルの「意見」として採用された主義主張・信条・信念といった類いのものではありません。

たまたまヴァイアナという人が主導となってモダリティ化して広まってはいますが、そもそもヴァイアナなんて人がシータヒーリングという名前をつけてモダリティとして世の中に普及させているかどうかとも全く無関係なところで、大昔から、

「『喜び』という波動は、これ」

というものが、決まっている
んです。
そういうものが、あるということなんです。

(そして、その『創造主が定義する“喜び”』を、『私はそれを喜びとは呼ばない。そんなものを喜びだとは、思わない』といった“意見”を個々人が持つのは、自由なんです。本人が好き勝手にしていい、思想の話なので。でもここで話しているのは、そうした思想や意見の話ではなくて、『この世界では、こういう波動エネルギーが喜びとして存在する』という、世の中の仕組みの話です)

このことに気づくだけでも、(もちろんその人ごとの状態や成長の度合い、真実を受け入れる準備の度合いにもよりますが)人は現在、陥っている混迷から脱却する大きな助けを得られる場合があると思っています。

ただ、それを

「私はシータヒーリングが嫌い!だから、シータヒーリングの教えは、信じない!」

という本人の意向によって、単にシータヒーリングというモダリティではなくて、

「シータヒーリングというモダリティを通じて人間にもたらされている、万人にとっての真実・叡智」

まで受け取るきっかけを否定してしまう
のは、残念すぎ!!!!!

、、、と思っている次第です。



シータヒーリングを良いと思えない人、嫌いだと思う人へ。

「あなたが嫌っているのは、否定したいのは、批判したいのは、憎らしくてたまらないのは、

 ・シータヒーリングというモダリティ(の創始者・実践者などシータヒーリングをめぐる諸々の事象)

 ですか?

 それとも、

 ・シータヒーリングというモダリティのなかで述べられているかどうかはそもそも重要でない(が、たまたまシータヒーリングというモダリティのなかで触れられている)、この世の最高の真実&その真実を知る方法そのもの

 ですか?」

単に、自分がいま、良しとしているヒーリングモダリティなり哲学なり宗教なりと「違うことを言っている」から「疎ましい」と感じているだけなら、なにもシータヒーリングという手法を通じてでなくてもいいから、

「自分が(なんらかの手段を通じて)最高の真実を知る」ことを自分自身に許可する

くらいは、してみてもいいのではないでしょうかね。

P.S

うーん、今回のエントリーは(ほんとはすっきり書こうと思ったけど)難解ふうに感じる人もいるのかなァ。

(前提条件として『そもそもの人智を超えた、意見や主義主張というものではなく、概念が電磁的エネルギーという形をとって、この世の設定項目としてあらかじめ決まっている』というのがどういうことか、想像もつかないと、チンプンカンプンなのかも。あるいは、『ハァ?概念がどういうものかがエネルギーの波形で万人に共通なものとして成立している?そんなわけないでしょう馬鹿いってんじゃないよ』と思ってしまう人には、この記事の内容全体が『わけのわからない不愉快な、インチキ情報の羅列をしている戯言』としか見えないんだろうなァ……w)

このエントリーで述べたのと同じことを、とある人(で、その人なりのスピ的な理解を『絶対に正しいもの』として固執して意地を張ってしまう人)に話したら、

「そもそも人間なんて生き物は、欠点だらけのロクでなしの失敗作。だから苦労に苦労を重ねて、少しでも今より馬鹿じゃない状態になれるように、必死で我慢して学ぶの。それでも、真実なんてものには出会えない。どこまでも彷徨い続ける哀れな弱い存在。それが何? 誰にでもカンタンな方法で、この世の創造主とチャネリングで話して最高の真実を教えてもらえる? 寝ぼけたこと言うのもたいがいにしな!ただの思い込み。そう思ってるだけ。できてると信じ込んでるだけ。ほんとはできてない。創造主となんかチャネリングできてないし、最高の真実なんてちっともわかっちゃいないって」

と鼻で笑われたからなぁ。。。

それから、

「最高の真実というのは、これのこと!この私の言っていることだけが、唯一の最高の真実である! シータヒーリングが教えている情報は、最高の真実ではない!」

と、“私の言っていることのほうが、本当だ(そして他はニセモノだ)”の立ち位置にいる人だと、やっぱりシータヒーリングってのは、単純に(自分の主張を否定してくる)『“最高の真実”という、1つしかない椅子とりゲームのライバル』として映るんだろうから、絶対に何があっても、認めたくないだろうなァ……。

もしくは、真実に気づいて神の一部としての本来の力を人間が取り戻して行く方向性自体を否定する信念なり(悪魔などとの)契約が入っちゃってる人だと、もう何を言ってもぜったいにこの記事の趣旨を受け入れようとしないんだろうしw

ま、いいけど。

俺はさ、究極的には、べつに誰かがシータヒーリングを良いと思うか悪いと思うかなんて、どうでもいいの!
自分自身が、シータヒーリングというモダリティを習ったことで修得した知識とスキルを使って、この現実を好きなように創っていければ、それで。

でね、誰かと「議論」して、どっちが正しいとか、どれが間違ってると言い争うことになんか、興味ないの!!

(カルマ的な負債などあらゆる悪影響やツケを生み出すことなく)現実を自分の思うように創造することが可能になるなら、人間の思考という箱庭みたいな枠のなかで何が正しくて何が間違ってる(と思う)かなんて、知ったこっちゃないし、関係ないね。

(だから、『あなたはシータヒーリングの擁護派?否定派?』みたいに、特定の立場を表明せよと要求してくる質問をする人には、ヘラヘラ笑って鼻クソほじってスルーしたいです。ノンポリで結構)

ただ、あえて自分の感慨をまとめて言うなら、

「あー、なんだかんだいってこの世には、個々人の『考え』を超えたところで成立してる仕組みというのがあって、それに沿って意図を放つなり行動するなりしてエネルギーを変化させたり生み出したり(不都合なエネルギー周波数ならそれを)消し去ったりしていけば、うまくいくんだなぁ。その『うまくいく方法』が、わりと世間で美徳とされたり宗教や道徳・哲学なんかでもてはやされる類いの話とカブるところが多いってだけなんだ。だから俺がクリアリングとされる行為を通じてカルマ的な負債を生み出すことなく望む現実を生み出して行く過程において、たまたま他人から見て『善行』とされるような在り方をしてるように見えることもあるってだけなんだろうな。でも俺からしたら、自分が行っている生き方というのは、あくまで望む現実を創出するための“作業”としてベストだと思うやり方をしているだけであって、何か特定の宗教なり哲学なり倫理観なりからして推奨される善行だからやってるわけでも、なんでもないんだよねぇ」

みたいなところでしょうかね。

(だから、俺が毒舌みたいなこと言ったり、道徳的には『お行儀が悪い』とされるようなことをやったりしたときに『あなた、ヒーラーでしょう? なのにそんな振る舞いや言動をして、バチが当たらないんですか? 恥ずかしいと思わないんですか?(だってヒーラーというのは、道徳的・倫理的に見て『善い人』を指すのでしょう?)』みたいなこと言われると、ゲラゲラ笑いながらツバ吐きかけてやりたくなる。『目ェ覚ませや色ボケがァ!』っつってw)
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