動物のように全力を尽くす

昔、なんかの自己啓発系の本で、こんなことが書いてありました。

「ほかのリスより自分が木の実集めの成績や能力が低いと落ち込むリスがいるだろうか? 『たったこれだけしか木の実を集められなくて、この冬は越せそうにない』と絶望して生きる気力を失うリスがいるだろうか?」

要は、いないって言いたいんでしょうね。
(もしかしたらリスも意外とそういうトコで人間と似たような心の動き、してたりして!?)

他人と比較したり、まだ起きてもいないことを心配してもロクなことがないわけです。無心に全力を尽くして木の実を集めるだけ。
他人よりパフォーマンスの面で優れていようが劣っていようが関係ない。自分ができることを最大限にやるしかないわけです。

もしかしたら、全力を尽くしても本当に木の実が足りなかったり、気候などの自然現象に耐えきれなかったり、それこそ天敵に襲われて、死んでしまうかもしれません。

でも、それはもう起きたら起きたでしょうがないわけだし、事前に工夫なり危険回避なりの策の講じようがないならば、心配するだけ時間と労力の無駄。
(むしろ、その後の近い将来にどうせ死が待っているなら、せめて生きてる間は出来る限り不安などに苛まれてないで楽しく生きてたほうがいいような気がします)

人間社会の場合は、心配することでその不安を打ち消すべく、あれこれ工夫をしたり保険をかけたり。あえて他人と比較して物を考えることで、個人ではなく集団が共有する価値観が芽生えたり、その価値観が多様化したりして社会が発展していったり……。
まぁ、心配だろうが優劣の比較だろうが、確かにしたらしたなりの恩恵はあるし、するに値する価値がそうしたネガティブふうな感情にもあるから、実際わたしたちはそういう感情も経験できるという“豊かさ”を与えられてもいるっちゃいるので、単純にリスの例を鵜呑みにしてその日暮らしの行き当たりばったり人生を送るのも芸がないといえばないんですけどねw


さすがに人間の人生に起こるすべての物事にリスの例を適用するのは無理があるにせよ、少なくとも、

「○○を目指す」

と明確に目標を決めて、そこを目指すという状況の枠組みのなかでは、案外、参考にできなくもないんじゃないでしょうか!?

勉強でも芸事でも、スポーツでも、あるいはダイエットや筋トレなどの肉体改造でも、もっといえば日々の食器洗いや掃除などの細々とした用事でも。

明確に、辿り着きたいゴールがきっちり定まっていることになら、リスの例はあてはまると思います。
(ただもう1つ、『(そのゴールに辿り着くための)方法』もベストである場合に限るかもしれません。改善の余地のある方法なのに全力を尽くして何も考えないのは、さすがに人間としてオソマツな努力の在り方だと思うのでw)



なーんて、他人に言う体裁をとってるけど、結局は自分に言い聞かせてるだけなんだけどね。

なんにも心配しないで、他人や「いわゆる世間でいう『普通』」と比べたりもせず、ネガティブにならないからといって逆にポジティブに熱くなりすぎたり結果に過度な期待を求めたりもせず、淡々とベストを尽くす。

それが中長期的な目標なら、日々の一瞬一瞬を、ベストを尽くし続ける。

それしかないやんなぁ、と思う。諦めとか妥協ではなく、単純に、「だってそうでしょ?」という感じの受け止め方。

「とにかく目標に到達するまで、これをやりさえすればいい。やり続けさえすればいい」

となったら、ほんとにやりゃあいいんだ。



そして、(何かと迷ったりあれこれ考えて一貫した行動なり思想なりを貫くのが難しい人間だからこそ)それができるってのは、それ自体が立派な能力だったり才能だったりもして。

あー、はよ寝な。
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