ヒーリングモダリティのガイドラインは、邪魔者?

シータヒーリングをはじめ、モダリティとして確立されたヒーリングには、遵守すべきガイドラインが定められていますよね。

で、慣れてくると、そういうガイドラインを

「面倒くさい。どうしても守らなきゃダメなの?」

と、鬱陶しく感じることが、でてきます。

たとえばシータヒーリングの場合、いちいちコマンドをかける際に口頭で許可をとるとか、創造主からのメッセージを伝える際に自分の意見を決して言ってはいけない、などがあります。

で、

「めんどくさいから、規則を破っちゃえ!」

とやりたくなるわけですわ。

でね。

倫理や道徳の観点からすれば、規則を破るのは「いけないこと」なのだろうし、守るのは「いいこと」なのだろうけれど、私はあえてここで、その観点を捨てて、「実際、役に立つかどうか」で見ていこうと思います。

ようするに、ガイドラインって、

破ったら破ったなりの実害がある

場合もあるんですよ。

いやね、それが単純にマナーとして定められているガイドラインで、マナーを破ったところで実有効性に変化がないなら、それでもいいんです。

でも、上記のシータヒーリングの例でいえば、クライアントがコマンドを自由意思で受け入れることを表明していないのに勝手にヒーラーがコマンドをかけたところで、効かないんですよね。
単純に、マナー面でそのほうがいいからというような理由ではないんです。

それからまた上の例で言うならば、創造主のメッセージと称して自分の意見を言うのは勝手だけど、クライアントだって馬鹿じゃないわけで、

「このヒーラー、創造主のメッセージと言いつつ本当は自分の意見を言ってる、信用できない」

と評判を損ねることだってありえます。

つまり、

ガイドラインを破るという「リスクを負う」覚悟があるかどうか
(実際に発生した損害を受け止める度量があるかどうか)


にかかってくるんですわ。

私は昨年の夏に、「あえて創造主とのチャネリングを使わず、あくまで自分の意見を言いながらスピリチュアルカウンセリングをする」という実験をやってみたことがあります(無料でモニターを募集しました)。

が、(私自身がたいした人間じゃないので)まともな受け答えは、できませんでした。
到底、カネを貰えるようなことは、言えてなかったんです。

その意味で、こんな頼りない若造がそれでもちゃんとお金をもらって信頼を得られるようなことを言ったりできるように、というニュアンスでは

ガイドラインの遵守は恩恵

とも働くことが身をもってわかったんです。

これまた私見ですが、

中途半端なヒーリング学習者ほど、
なにかとガイドラインを破りたがる


傾向がある気がしています。

それこそ、美術のデッサンでも演劇でも音楽でも料理でも他の仕事でもなんでもそうでしょうけれど、言われたとおりにやるのが「できない」からといって

「このやり方は自分に合わない。本当に自分はやりたいのは、こうじゃない」

みたいな反骨精神?個性アピール根性?が働いて、いきなりオリジナルで枠やルールを破っていろいろしがちなんです。

型にはめられてしまうと持ってうまれた個性が潰れるだの、センスがあれば既存の枠に囚われない動きができるだの、自分だけにできる全く新しい何かがあるはずだの、なんのかんのと言い訳をして、基本をないがしろにするんですね。

(この動機で、あれこれ『自分の理想と完全に合致するヒーリングモダリティ』を模索してセミナージプシー化している人は、たぶん永遠に彷徨うのでしょう。だったらお前が創始者になってオリジナルのヒーリングモダリティでもなんでも確立してみせろよと言ったところで、ウジウジして『できない』とかほざいたりするし)

そんなこんなで、ガイドラインが鬱陶しいとか、守るのが面倒とか、うだうだ言ってる人には、

「べつに守りたくなかったら守らなきゃいいじゃない。いくらでも破って好き勝手しなよ。それでうまくいくなら、それでいいと思うよ? ガイドラインがないってことは、レシピもなく料理をつくるようなもので、それでも美味い料理がつくれると自信があるなら、ガンガンやればいいよ。皮肉じゃなくて。でもほんとに、いい料理つくれんの?レシピなしで?自分で食うならそれでもいいけど、他人にお金とって提供できる料理になってる?出した後でお客さんからクレーム来ないレベルの料理だって言える?まぁ、アンタの勝手だけど」

と笑顔で言ってあげたいです。
(そしてあわよくば、『その結果どうなったか』をじっくり見物したい。案外うまくいってカリスマ料理研究家みたいになっていく姿を見るのも面白いだろうし、逆に鍋を焦がして火傷して包丁で指切って大変!みたいになってる姿もそれはそれで面白いだろうから^^)
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