シータヒーリングは生き甲斐を得にくい?

と思うのは、私だけでしょうか。

いやね、回りくどい笑い話だと思って読んでください。

シータヒーリングを習って、そこそこ以上にできるようになってきて、クライアントさんから喜ばれることもあったりして、お金も入ってくるようになって、ある意味では良いことずくしでヒーラーとして独立できてるわけですけれども、自分のなかに、

シータヒーリングってさぁ、カンタンすぎじゃね?だって、自分の意見を一切、言わなくていいんだもん。たーだ、ガキの使いみたいに、創造主が言うことを次から次へとポンポン無責任に言ってくだけで、勝手にクライアントが手応え感じてくれて感謝してくれるんだもんな。ヒーラー本人がどんな出来損ないの性悪な馬鹿だって、誰にだってできちゃうじゃんかよ?」

という感覚がどんどん強くなっていったんです。

そしていつのまにか、

「俺、こうやって毎日毎日、創造主の言うことなりエネルギーなりを人に伝えるだけのパシリで一生、終わっていっていいんだろうか?」

「ほかのみんなは、『他人にはできない、自分にしかできない仕事のスキル』なりを手に入れてどんどん生きた実感を味わっていけているだろうに、なんで自分は、誰にでもできる単純作業をただ繰り返すだけで何もスキルアップに繋がらない毎日を続けているんだ?」

という虚しさ、自分らしさを発揮できていないような閉塞感に陥っていきました。

たしかに、生活に困らないだけのお金は、入ってくる。
それはとてもありがたいことなのだ、というのは、頭では理解できます。
自分を信頼して、セッションを依頼したりセミナーに参加してくださる方がいるのも、本当にありがたい。
それも嘘では、ないんです。

でも、

自分が「生きてる!」という実感がどんどん薄れていく

ことから、目を背けきれませんでした。

シータヒーリングを習って、シータヒーラーとして独立しようとしてもお客さんが来なくて断念なり廃業なりする人が続出するなか、自分は恵まれているほうなのだな、ということも頭ではわかります。でもそれも、あまりの日々の虚しさに、

「どうせならいっそ、誰からも相手にされなくなって廃業に追い込まれればいいのに」

と自分のうまくいっている現状を呪うことさえあって。

一方で、シータヒーラーとして活動する方々のなかに「これぞ自分の生き甲斐!」とキラキラ輝いている方もいて、自分としては

「どうして自分が絶望しかかっているこの仕事に、そんなに前向きな充実感を持って臨めるの?」

という、信じられない気持ちと羨ましいような、呆れて卑屈な半笑いを浮かべたくなるような心地にさえなって。



いま思い返してみても、これはあながち、単に私がひねくれていたからとか、ブロックがあってシータヒーリングの良さを理解できずにいたというのとは根本的に違う実感があります。

やはり、人は

ほかならぬ、自分なりの信念を発露して生きていきたい

ものなんですね。

いやもちろん、シータヒーリングは何も、個々人の信念を抑圧することを良しとしているなんてことはまったくなくて、むしろ創始者ヴァイアナ・スタイバルからして

「人間にとってもっとも重要なのは、その人個人のオリジナルな信念よ」

と断言しています。
べつに、ありとあらゆる概念を創造主の定義&観点と一致させて、創造主のコピーロボットのように生きよとは、言ってないんです。

ただ私の場合は、あまりにも自分の日常がヒーリング、とりわけシータヒーリング一辺倒になりすぎて、実質的に創造主とクライアントの仲介人として動く時間がほとんどで、

自分のオリジナルな信念って何?

という問いへの答えを見いだすことも、もし見いだしたとして

自分の信念を発揮する行動を起こす余裕が無い
(≒行動による実績で『これぞ自分の信念!それを発揮できて生き甲斐を感じる!』と思える瞬間がない)


という点に溜め息をつくばかりでした。

(そして、どうしてそんなことになっていったのかの要因の1つとして、私が良くも悪くも『なんのためにシータヒーリングの仕事をするのか』について、自分の信念を抱くことをあえて避けてきたからでもあります。あえて自分はシータヒーリングを仕事として発揮することに何の信念も持たず、『もし私が応対するのが最高最善なクライアントorセミナー受講生がいるなら、応じましょう』という極端な受け身をとっていたためでしょう。もしそこに個人的な信念があれば、シータの仕事をすること自体が、もっと自分にとってヤリ甲斐なり生き甲斐なりになったのかもしれません)

そして、私は、私個人の生き甲斐につながるような信念は、やはりどうやっても、シータヒーリングを仕事として行うことに対しては、見いだせませんでした。

思えば今年は、

「じゃあ、自分の生き甲斐って何?生き甲斐を生み出す源泉となる、信念って何?」

ということを、ひたすら暗中模索した年でした。
(創造主に聞けばいんじゃね?と思った方へ。実際そうしてみると、『今年1年かけて、自分で手探りでなんのヒントも手がかりもないところで探し続けるというプロセスを経ることが最高最善』という答えが返ってきたので、事実そうしたのです)

あてもなく 彷徨っていた
手がかりもなく 探し続けた


そんな1年でした。

もう年が終わって来年になっちゃうよ!という頃になってようやく、答えを奇跡的に探し出すことができて、今はひとまずホッと安堵の溜め息をつくことができましたが。
(見つけた信念に沿って行動していく来年以降は、さらにタフになりそうだけどw)



この話が、誰かこのエントリーを読んだ人の助けになるかどうかは皆目見当もつきませんが、

シータヒーリングをやっていて、かえって虚しくなる

状態に陥っている(おそらく超少数であろう奇特な)人には何かしらの気づきの促しとして作用するのかなぁ、と漠然と思いながら終わり。

もし虚しさがあるとしたら、ある意味では答えは単純。
あなたが一番やりたいことは、生き甲斐を感じられることは、シータヒーリングじゃないんだよ。
(じゃあ何?ってのは各自で見いだすしかないけどね←それは非常に大変だったりもするけどね!)
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