習っても上達しない人の共通項

べつになんかの分野で大家と呼ばれてるわけでもないワタクシごときが書くのも恐縮ですが。。。

学校の勉強でもスポーツでも、あるいは音楽やダンス、演劇や○○道(←華とか書とか)といった習い事でも、上達しない人には共通項があるなぁと感じています。

そういう人に共通するのは、

言われたとおりに素直にやらない

ことだと思います。

一度もやったこともないくせに、先生に言われたことをいきなりその場で分析して自分なりの好き嫌いで選り好みしたり批判的になったりして、実習の最初の1回目からして「アレンジを加える」ことをしてしまうんですね。
(演劇の分野だと、下手な俳優ほどこの傾向が顕著でした。『個性を出さなければ』というのを第一に考えすぎていて、基本を基本のままにちゃんと基本どおりにやる、ということの重要性がわかっていないんです)

これはヒーリングにもいえることで、なかなかできるようにならないという人は、話を聞いていくと

基本をおろそかにしている

ことがほとんどなんです。

私が教えさせていただいているシータヒーリングでいうと、上昇法による瞑想とか、掘り下げでいえば「最悪どうなりますか」連続質問法など、基本中の基本となることをきちんと練習してモノにして、、、というプロセスを踏まない人が「シータ難民」と自称したりしているみたいです。

なぜ基本練習をちゃんとやらないのかと聞くと、そういう人が挙げる言い訳の代表格は、

・練習なんかしてる時間の余裕がない
 (基本練習を『時間を割く価値のないもの』と判断してる)

・1人でやってもできないと開き直る
 (限界まで何時間もやってダメだったんでしょうかね?
  チャチャっと数分やってよくわかんないとそれっきり、
  にしちゃってませんかね?もしそうなら、そんなのを
  『練習をちゃんとやった』と呼べるんでしょうか?
  もし本当に独学でどんどん変な方向に行くのを困ると
  感じているなら、週1でも2週間に1度でも、先生を
  見つけて教えを乞いに&独学でズレたところを修正して
  もらいにいってますか?
  『独学で練習してズレたら困る。が、それを修正して
  もらうために先生のところに定期的に通うでもない』
  ことをしているとしたら、それって賢い選択ですか?)

・基本なんかで足踏みしてたら上達が遅くなってしまうor
 他の人たちに遅れをとってしまう。だから、基本はもう
 いいから、はやく高度なスキルを身につけたくてそっちの
 練習に時間を割きたい(←自惚れ屋に多いですw)


あたりでしょうか。

私事で恐縮ですが(←このブログほとんどお前の私事だろ)、笛を習っているときに先生から

「プロとアマチュアの違いって、どこだと思いますか?」

と聞かれました。

どこでしょうとあいまいに相槌を打つと、先生は

「基本をしっかりみっちりやるかやらないか、の違いなんですよ。プロは、基本に妥協しない」

とおっしゃいました。

これは万人にとっての絶対の真実ではなく先生の信念だと思いますが、素晴らしい信念だなと感じました。

たしかに、中途半端なアマチュアほど、たいした力量もないのに難しい曲を演奏しようとしがちです。で、こまかい粗(アラ)を無視して、なんとなく全体がそれっぽくなってれば仕上がり完了としてしまう。音楽に限らず、工芸や料理など、どんな分野でもそうなのではないでしょうか。

で、どうしても基本に忠実に練習をすることが癪に障る、という人は、どうしてそう感じるのか、ヒネくれたその性格&思考をつくりあげている土台を探して解消を試みるのも、オツなもんだと思います。



基本を忠実に、、、と書いておいてアレですが、逆に「基本にあまりに忠実すぎて次に進もうとせず、結果的に能力が伸び悩む」方も多いですね。

あれこれ試行錯誤してみたことすらないのに、最初から「自分はここまでだ」と投げている。

「試行錯誤してみない」というのは、特に日本人には、その国民性も影響していると思います。

・教わったとおりの方法でだけ、きっちりやって脱線しないのが美徳&マナー
 (ある種の倫理観、道徳観でもあるわけですが)

・もし試行錯誤というリスクをとって失敗したらどうしようという怖れ
 (こっちのほうがわりとみんなにとって強固かな~)


がないまぜになって、自由に身動きとれなくなるんですね。

で、本当に好き勝手やらかして本来のヒーリングの在り方から逸れてしまうなら本末転倒ですが、信頼できる指導者に(不)定期的にチェック&アドバイスしてもらえる環境にいるなら、多少の挑戦・チャレンジはアリではないでしょうか。

こればかりは、指導者によって

「多少であっても、勝手な挑戦をして言われたとおりにやらないのは言語道断!」

という人もいるので一概には言えないのですが、基本原則を無視したり逸脱するわけでもないことを

「これって、やってみてもいいのかな?自分ではいいと思うんだけど、やってみようかな」

と思っていることは、(特に指導者が見ている前でやるのであれば)思い切ってやってみるのも大事なのではないでしょうか。
(そして、あまりに自分の、良い意味での挑戦を抑止する指導者であれば、本当にその指導者に師事し続けることが自分にとって賢明かどうか、判断する価値があると思います)

これまた私事ですが、自分が楽器で師事している先生たちはわりと挑戦に好意的で、

「自分で何かをやってみようと思う挑戦心を自制しないで?とにかく良さそうと思ったら、やってみて。もしあまりに変で駄目だったらちゃんとダメ出しするから、怖れないでどんどんやって」

というタイプの方で、すごく助かっています。
(で、『あまりにやりすぎた挑戦をしてみてダメ出しをもらうことで、どこがちょうどいい塩梅なのか、挑戦しないで大人しくやってたときよりはっきりわかる』というメリットがあります。子猫がじゃれあいながら、じゃれて噛む強さの加減を学びあうのに似ているかも)

挑戦にもいろいろあって、

基本をふまえたうえでの挑戦(という試行錯誤)



基本を無視した挑戦(=単なる暴走)

は違う


んですよねw



と、いろいろ書いてはきたものの、上達しない人の最大の要因は、

上達する必要性なりメリットなりを把握できてない

ことだと思います。

やってもやらなくても同じで特に困らない、ということだと、上達はしません。する必要がないことは、人間は、本気でなんか、やらないものです。

「これをやれば、できるようになれば、今よりラクで楽しく、幸せで豊かになるよ」

と頭でわかっていても、別に今の状況で死ぬほどでなければ、そして多少以上苦しくても、結局、耐えてしまうことができるのであれば、人はより良くなるために変わろうとなんて、しないものなんです。

だから、上達をしないと悩む人は、才能の有無とか、自分の怠け癖がどうのこうのという点に原因を見いだす前に、

自分にとって上達することはどんな意味を持つのか

を、リアルに思い描けるところまで再確認してみることだと思います。
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