天然サイキックがシータヒーリングを嫌う理由。

なんとかヒーリング、というような、いわゆるカリキュラム化されたメソッドやモダリティに則ってサイキック能力を開花させた人と異なり、生まれつき霊能力が目覚めているというような人はよく、天然サイキック(ナチュラルサイキック)と呼ばれたりしますが、そういう人って、カリキュラム化されたモダリティを嫌う傾向にあるようです。
それも、シータヒーリングについてだと、顕著みたいですね。

で、人づてに聞く「シータヒーリングを嫌うナチュラルサイキッカーの言い分」として、同じくナチュラルサイキックあがりの自分からしても、「あー、わかる!もし自分も、ナチュラルサイキックのまんま今に至ってたら、こういうポイントにこういう理由でムカついてたと思う!」というのがありまして。

それを挙げていこうかな、と。

(すべてのナチュラルサイキッカーが等しく絶対にここに挙げたポイントをここに述べた理由で嫌うとは断言しませんが、『わりとそういう話、よく聞くなぁ』ってのをまとめてみます)

■「誰でもできる」がカチンと来る

えてしてナチュラルサイキッカーは自惚れ屋で自信家で、能力や才能で人と人との間に優劣をつけたがり、自分をエリートだと思い込む傾向があります。

まず、霊能力がない人間より霊能力がある人間のほうが優れていて稀少で素晴らしい、「選ばれし存在」と思い込んでいます。
(なにより、『霊能力がない人間がいる』という思い込みがこの時点で最強なんですけどw)

とにかく、人間がみんな平等だなんて、死んでも認めたくないんです。

「自分は他人より優れている」

という自意識に、それがなくなったら生きていられないというほど依存しています。

もし、人がみんな平等で霊能力を持っている、と認めてしまうと、自分の価値観がすべて崩壊してしまうんです。

これは死守しなくては。。。ということで、シータヒーリングに限らずいわゆる「モダリティ」にありがちな、誰でもできるという原則そのものを否定しにかかるのです。

■尊敬するエンティティ(の説)を唯一、崇めて他を否定

いわゆる一神教の宗教でもいえることかもしれませんが。

自分の守護霊だか守護神だか指導霊(ガイドスピリット)というような、とあるエンティティにぞっこんで、そのエンティティの言うことを絶対視するんですね。

これは、

「崇高な○○神という偉大な存在が直々に守護霊としてついていてくれるということは、つまり私がすごい人間だということ」

という、これまたエゴエゴな自意識に直結していることもあります。

人間の世界でも、いわゆる大物とされる人の直弟子になることができたら、鼻高々になって自慢したい気持ち、わからなくもないです。

でも、エンティティが語ることがすべて真実とは限りません。

特に第4~5層のエンティティだと、「もしダイレクトに私たちがその層の存在と霊的にコンタクトをとったら従わなければいけない、層由来のルール・規則・制限」しか知らず、それを唯一絶対の真実として弟子であるナチュラルサイキッカーに伝えてくることもあります。

たしかに、直接、4~5層にコンタクトをとるならば、それは正しいのかもしれません。

が、第7層を経由したらその制限が適用されない、ということについて、エンティティ自体の理解が及ばないか、知ってはいてもそのエンティティの(弟子に自分を一番に尊敬してもらいたいというエゴ的な)意向から、黙っているのかもしれません。

ナチュラルサイキッカーは、自分がチャネルした内容についても、絶対の自信を(何の根拠もなく)抱いていることがあります。あるいは、謙虚であっても、自分の尊敬するエンティティが言ったことを一途に信じていることがあります。

だから、シータヒーリングの「7層を経由すれば、層ごとの制限をうけない」という話が、単純に信じられないのです。

「それは間違っている!そんなデタラメを平気で言うなんて信じられない!」

と、正義感で怒ったとしても、ある意味では道理といえるかもしれません。

もっというと、

「なんで優れたナチュラルサイキッカーである自分をさしおいて、シータヒーラーには、層ごとの制約を受けないなんて特権が与えられているんだ!?不公平だ。ムカつく。こっちが負けてるみたいじゃないか」

という悔しさをかかえていることもあります。

■「創造主=ナンバーワン、業界トップ」的な認識

学歴とか勤務先の企業が一流か二流かそれ以下か、、、を論じるが如く、

「どのエネルギーを使うか」

に優劣を比較する価値観を適用してモノを観ているナチュラルサイキッカーは少なくないです。
(ただ、この点については、残念ながらシータヒーラーについても少なくないのが実状のようです)

自分が師事する守護霊とか指導霊とかが、創造主より格下、と認識して恥じるナチュラルサイキッカーもいるということです。

それが気に食わないみたい。完全なやっかみだね。

あるいは、

「優れた選ばれし人間だけが授かる霊能力、それを持つ自分でさえ、守護霊と話すのがやっと。なのに、超エリートなイメージのある創造主だかといきなりそのへんの、霊能力さえあるんだかないんだか、、、みたいな奴がチャネリングできるわけがない」

という疑念。

ほか、

「シータヒーラーは第7層を使うから、他のモダリティのヒーラーやナチュラルサイキッカーよりもすごい!」

という認識で、何様な態度をとる論外なシータヒーラー(←そんな奴は本来、シータヒーラーを名乗る資格さえないと思いますが)の、あまりに傲慢な態度や言動から、単純に傷つけられた感じがあって

「シータヒーラーってのは、なんて失礼で感じ悪い、不遜な連中なんだ!」

と怒り・呆れた心地を抱いている場合もあります。

この場合は可哀想っちゃ可哀想だけど、でも、そんな「感じ悪い論外なシータヒーラー(崩れ)」に遭遇したのも、そのナチュラルサイキッカーが類友的に現実に意図でマニフェストして招いたことなんですけどねw

■短期間でカンタンにいろんな霊能力スキルが身に付くというのが癪に障る

ナチュラルサイキッカーのなかには、チャネリングなり念動力なりを、何年も、あるいは何十年も、つらく厳しい修行を積んで霊能力を獲得した人もあります。

なのに、シータヒーリングではたった3日間で、チャンリングやら除霊やら願望実現やら、とんでもなくいろんなことができるようになってしまう(というふれこみ)になっています。

それが信じられないのでしょうし、もし本当だとしたら自分の苦労は一体、、、的な悔しさもあるのでしょう。



……なんか、書いてみて思ったけど、文字数を費やしてわざわざ述べるほどの内容でもなかったかも。

要は、偏見と見栄のカクテルに由来する、ガキの喧嘩レベルの他愛も無い戯れ言だね。

似たような話は、霊能力の世界だけじゃなくて、たとえば芸術(ダンス/楽器/歌/演技etc)の分野でも、スポーツの分野でも、勉強の分野でも、なんでもあるよなぁ。自分が通ってるところを持ち上げて、そこ以外の学校や塾、おけいこ教室やそこで教えてる先生たちのことを、よく知りもしないのに悪く言うっていう図式。

それ以前に、「自分だけがすごい!あとは全部クズ!」という、中学生みたいな勘違い自意識(←まさに中二病だw)。

不毛やね。

ほんまに、不毛。

P.S
自分の周囲には、20代前半のころ、まさにここに挙げたような「勘違い 井の中の蛙ふう お山の大将的 アマチュア ナチュラルサイキッカー」という、スピリチュアル界のワースト寄りロイヤルストレートフラッシュな人たちがわんさか登場しました。
(たいてい、場末な飲み屋とかにいる←そゆとこ行ってんじゃねえよオメーもよ←ゴールデン街を根城にするリーマン、ってのに憧れてた←なれなかったがw)

ほんと、無責任に、わかったような口をきくんだよね。
お金をもらわない分、責任感もねえよ的に、好き勝手に失礼なことをズバズバ言いたい放題の細木数子気取り。
あんたはここが悪いだのなんだの。

そうやってさんざんけちょんけちょんに貶した挙げ句、

「俺(orあたし)なら、なんとかできるかもしれない」

なんてほざいてきたり(ちゃんちゃらおかしいわ、誰がお前なんかにすがるかアホ)。

こっちを「口撃」してこないときの会話内容は、全部、自分の自慢だし。

「本当はね、この世には、私ほどの力を持った人間は4人までしか、同時期に生まれて存在してはいけない規則なの。だけどほら、私って、、、桁違いにすごい、でしょう?だから、4人も同時期に存在できなくて、いまは3人が限度みたい。もしその規則が破られたら、どうなると思う?この宇宙なんて、木っ端微塵よ?」

みたいな、真実とは到底思えない、都合のいい作り話を延々と聞かせようとしてきたりw

なんでそんな体験を自分の意図でマニフェストしたのかというと、当時はそれでドン引きして、

「俺、こんな連中と『同類』と看做されちゃうくらいなら、霊能力なんか発揮しないようにしよう」

と思ってサイキックを隠す方向に行くことにメリットを見いだしてたみたいだからなんだけれども。

あと、率直に言って自分自身がそういう連中と事実上、「類友」だった、ってのもあるんだろうけどw

なんにせよ、昔の話ですわ。懐かしい。苦々しい。ちょい胸キュン(←うっせえよ)
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