グダグダ悩んじゃいけないの?

これ、スピリチュアルとかヒーリングと普段、あまり関わりがない人が読むと

「なにをアタリマエのこと言ってんの?」

となるかもしれませんね。

何かっていうと、

「いろいろ悩んだり苦しんだりすると、したなりの成果は得られる」

ってことです。

最初から苦しむことが目的で、やたらと苦しみ続ける必要はないとも思っています。

が、今現在、答えが観えていないことで、ああでもないこうだろうかと試行錯誤して思い悩んで考え抜いて、東奔西走するのは、必ずしも馬鹿げた無駄なことではないということです。
(逆に、わからないことをなんでもかんでもとことん動きまくって調べまくる義務もないとは思いますが)

ああ、なんだかものすごくアタリマエっぽいこと書いてるなぁ。



なんでこんなこと書いたかというと、自分はわりと、大人になっても世の中のいろんなことに対して

「なんでこれって、こうなってるの?」

ということを、子供みたいに問い続ける傾向が強かったんですね。

ところが、周囲の人にうっかりそういうことを言うと、鬱陶しそうに

「あのさぁ、世の中、わけのわからない仕組みで回ってるんだよ。その答えなんか探したって見つからないって」

「そういうことで悩んでたって、時間の無駄だよ。もっと素直に人生を楽しみな?」

といった答えが返ってくることが多かったんです。

スピリチュアルと関わってる人にうっかりこういうことを言うと、その傾向はさらに顕著。

「ダメ!そんなネガティブなこと考えちゃ!笑って?笑顔。そして生きていることに喜びを感じて。それだけで充分。ね?小さな悩みなんて、気にすることなかったでしょう?」

と、こちらの探究心を踏みにじるような脅迫めいたゴリ押しをされることもあって。

で、そうやって、今の現実をよりよくしうる物事に問題意識(というか、解決・克服意欲)を持たずに目先の快楽でスルーして、「なんとなく幸せっぽい、不快でない状態のパッチワーク」みたいなことの連続で生きてる人が、何年経っても同じところから抜け出せていないのを見たりすると、

「だよねぇ?」

と思ってしまうんですわ。
(もちろん、その人がそういう在り方をして、ずっと同じところでグルグル回って状況を打破できず、ただかりそめの笑顔で人生の時間をどうにかやりすごすような生き方をするのは自由ですが)

で。

少なくとも自分の場合、何年も、もしくは何十年も、

「どうしてだろう?」

と思っていた物事の答えが、いまこうしてスピリチュアルな真実を使いこなせるようになった今、続々と出揃ってきています。

それはもうメリットデメリットの枠を超えた喜びで。
答えを知ったから何が得するのかなんて考える必要がないほどに。

しかも、どうしてだろうと思っていた答えが得られたことで、今後その問題で悩むことがなくなり、より安心して自分のやりたいことに意識をフォーカスできるようになったという恩恵もコミだったりして。
ちゃっかりメリットもたっぷりありましたとさ。

これまでおそらく何年も考えてる最中に答えが見つからなかったのは、

「○○という答えを知ってはいけない」

というようなブロックがあったからなんだということも、今ではよく理解できます。

また、自分の場合は答えを探してウダウダしてましたが、最初から「ウダウダ思い悩むことが目的でわざとグルグルする」のだと答えは見つからないと思います(←答えが見つかることを望んでないので)。

人生で欲しいものは、(それを受け取ることを拒否するブロックを取ったうえで)望んで、適切な行動を充分になるまで継続すれば、必ず手に入る

んですね。

傍からみればウダウダ思い悩んでつらそうにしているだけに見えてたのかもしれませんが、当の本人としては、一歩ずつでもヒントが見つかって解決に向けて視界が拓けていくプロセスそのものが感動的で、わりと充実してたんですよ。答えが見つかるまでの道のりもすべて。

べつに後悔もしてないし、それこそエネルギーのダウンロードか何かで一瞬でわかる方法があると知ったとしても、モノによってはあえて自分で探求する道を選ぶと思います。
つらい修行に生き甲斐を感じるから、ではなくて、その答えを手にするまでの糧すべてが欲しいから。
(その糧すべてをもし、ダウンロードだかで呼び覚ませるとしても、いざ自分が『いかにして私は~~という答えを得たか』というような体験談を人に語る時、『自分であれこれやるより、ダウンロードしたほうが早かった。それで、一瞬でわかっちゃった』と言うことを考えると、エピソードとしてはあんまり魅力的じゃないんですよね)

まあそんなわけで、物事は、やったらやっただけ、いいことがあるよね。
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