面倒な子供時代を振り返る。

自分は、勉強の仕方でもなんでも、自分なりに納得のいくやり方でないと能率が上がらない。 だから、形式を重んじる先生からは、ウケが悪かった。実際にテストで満点をとる(=学習できている)より、言われた通りに綺麗にノートをとるほうが大事、的な価値観の先生からは特に。

それで、俺が毎回のようにテストで満点をとって学年トップとかになるのが、忌々しかったらしい。 そういう先生からの(素晴らしい教師がすることとは到底思えない)サイキックアタック的な念を全スルーして育ってきてるんだよね、それこそ幼稚園の頃から。

大人の言うこと、他人の言うことをなんでも聞きさえすれば良いとは、思わなかった。良い子ちゃん扱いされることに価値を見出してなかった。先生だのといった肩書きがあっても、信用できなかったり意地悪だったり間違いを言うことがあると、早くから見抜いてた。

他人に好かれるか嫌われるか、褒められるか貶されるかそのものは重要ではなくて、それが自分の生きたい人生の実現に繋がるかどうかで取捨選択してた。 いま思うと全く可愛げのない子供だったけれど、幼い年齢のわりにはいいセン突いてたと思う。

親や先生の間違いを指摘して俺の言うことのほうが正しいとみんなの前で証明してしまったときの、親や先生の憎悪に満ちた目(やその後の虐待)から、物事はなんでも道理を通せばそれでいいというものでもないといった処世術的なノウハウも培っていった。 嘘も方便、みたいな。

愛情とお金には恵まれなかった子供時代だけど、田舎の貧乏人の家の子供なりに、この世で生きていくためのスキルやノウハウは、我ながら培えてたように思う。 あ、ちなみに角が立ったのは大人との関係が多くて、同級生など子供同士の繋がり面では、うまくいってたほう。

昔の田舎の公立学校だから(?)べつにイジメみたいなのもなく、無邪気によろしくやれてた感じ。 学校が楽しくて、放課後、家に帰りたくなくて夜まで校庭の隅で体育座りしてた(&友達も付き合って座っててくれた)日もあったなぁ。 家庭と、大人との関係だけが問題だった。

(出典:2011/6/28のツイートより)
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