ヒーラーとしてのスタンスをつぶやいてみた。

自分がヒーラーとして、すごくこぢんまりというか、活動の幅を広げようとしないのは、(それがブロック由来のものだとしても)変わりたくない、ヒーリングで悩みの解消をするなんていけないことだor不可能だ、超能力なんていんちきだという人の声を尊重して、働きかけることをしないからなんだな。

確かに、自分のやってるヒーリングに自信を持って、「これはとてもいいものですよ!来てください」と宣伝すれば客は増える。意図したとおりの客層も現れて変な人は来ない。それは体験で俺自身、ある程度は実証できた。
ただ、いまの自分は、単に今のルーチン業務を回して利益を拡大するのに興味ない。

なんていうか、「べつに俺じゃなくても、シータヒーリングとかセラフィムブループリントとか、教えることはできるでしょ?だったら他の人がやればいいじゃん」みたいな感じ。
俺の中で、ただ単に多くの人にヒーリングの技法を伝えるということには重点を置いてない印象。ピンときたらやる。それだけ。

ヒーラーがこういうこと言うのもどうかと思うけど、他人が喜ぶ顔を見るのは素直に嬉しいとはいえ、
「他人の喜ぶ顔が見たくてヒーリングをやる&教える」
というのが、しっくり来ない。
なんかすごく、独りよがりな気がする。そこに、ヒーラーに癒されたいという独りよがりな客がつく、的なしらけ。

下世話な例えで恐縮なんだけど、相互オナニー見せ合いみたいでわけわかんないのね、そういうの。 べつに相互オナニー見せ合いが好きで、やりたい人たち同士で集まってそういうことやるのは全然いいんだけど、俺はパス、みたいな感じ。

じゃあ、相互オナニー見せ合いとそうでないヒーリングサービスの実現のどこが違うんだ、ってなったとき、いま思い当たるのは「神聖な計画の遂行に則っているかどうか」なんだよね。双方のディバインタイミングに該当するならやりますよ、という。

それ以外のアクションは、カルマ的な貸し借りを生じさせる「余計なこと」だと捉えてるんだな、いまの俺は。
これ、昔から自覚あって、だから学校の勉強でもなんでも、必要最低限のことしかせず、自主的なプラスαは、やりたくなかった&やらないようにした。

でもそれを親や先生やらに否定されて、「そうなの?神聖な計画遂行につながらないこともガシガシやるのが尊いの?」と修行系の考えを押し付けられ、そんなにいうならとやってみたけど、やっぱり無駄なものは無駄で、自分を必要以上に疲労困憊させて消耗し傷つくだけだった。

いよいよ自分の考えに自信を持って、必要最低限のことしかしない生き方を思う存分やっていこう、ってのがイマココ。 だって、それでも必要最低限のことは、やってるんだから、いいじゃんね? と開き直り中w

(出典:2011/7/4のツイートより)
関連記事
スポンサーサイト