うすらぼんやりと。

シータヒーリングのセッションを受けたという人、ペアワークをやったという人が、狂喜してこう言う。

「~を~~しなければならない、というのが入ってたから苦しかった!それを取ったら、ラクになった!!シータヒーリングって、すごいね!!!」

自分はそういう人にこう言う。

「よかったですね。で、どうして『~を~~しなければならない』って思ってたんですか?何を学ぶために、そんなビリーフを抱え続けるという選択をあなたはしていたんですか?」

たいてい、こう言われた相手は、げんなりしたような顔で、あるいはまるでこちらを馬鹿にするような笑いを浮かべて

「はぁ?何言ってんですか。べつにいいでしょう、もう過去のイシューなんだから。取っちゃった今は、もうないんだから!今はラクなの!それが最高最善!それでいいじゃないですか!愛と光~♪」

そうですか、失礼しましたと形式的に頭を下げて私は引き下がる。

『~を~~しなければならない』というビリーフを通じてもたらしたかったメッセージを受け取ってもらえなかったことから、新たにそのメッセージを届けるためのエネルギー的な設定がカルマシステムを通じて出来上がりつつあるのを、うすらぼんやりと眺めながら。

シータヒーリングを覚えて、何をそこから学んだかをおざなりにして目先のイシューだけ解消するという方法でのワークを習得してしまった人には、今度は、そういうふうにシータヒーリングを使うだけでは解消できないような形をとってメッセージがもたらされるだろう。

「シータヒーリングを使っても簡単には解消できない形」って一体、、、ということを、うすらぼんやりと考えながら。

その状況がいつか訪れたとき、この人がどんなふうにその状況に対処するのかを、うすらぼんやりと考えながら。

この人はこうやって、学びのチャンスをこれまでにいったいどれくらいの回数、スルーしてきたのだろうと、そしてこれから何回、学びのチャンスをスルーしていくのだろうと、うすらぼんやりと考えながら。
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