神とは vs 自分とは

神とか創造主とかソースとかいわれる、おおもとのアレについては、(スピな気づき初期には、ぶったまげるほどの衝撃かもしれないけど)古来から人間たちはわりとしれっと理解できてきてて、むしろ「神そのものではない、神の一部としての特質を備えつつ唯一無二な“自分”とは」でつまづくんだな。

それで、多くの宗教家がそうであったように、神そのものになろうと(=神そのものとは違う自分の形を無理に歪めようと)して、感じなくていい挫折を感じて凹んだり、他人に神そのものになるよう働きかけて喧嘩になったりしてきてるんだ。いまだにそれが続いてたりする。

神と違うところがあっても神の一部として神と対等で、神を讃えるのとまったく同じだけの真摯さと敬意と無条件の愛をもって接するに値する「自分のありのままのそのカタチ」を自分自身で知り、自分がそれを体現するというのが、人間として霊的な極みに達するということ鴨南蛮。

それはもしかしたら、(実際これまで生きた人たちにとって至難の業であることが多かったように)とても難しいことかもしれない。 でも同時に、とても素晴らしいことでもあるんだろうな。

そして、とても勇気が要ること。 「私なんてまだまだ」 と、聞こえのいい謙遜ぶった怖れの発露をしてたほうが、ラクだもんなぁ。 自分を素晴しいと思ったりして「なんだコイツ」と思われたらどうしよう、とか思いがちだよね。それか行きすぎた自信過剰のエゴイストに陥るか。

もしかしたら「神とは何か」を知るのがスピリチュアル 学びの終着点じゃなくて、むしろそれは通過地点に過ぎず、本当の終着点があるとすればそれは 「ほんとうの自分に完全になること」 だったりするの鴨!?

(出典:2011/6/11のつぶやきより)
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