自分がお金について調べ始まった経緯と、現時点での顛末

自分が、「いわゆる世間一般の、しかも庶民寄りの人が漠然と信じているが実は真実ではない、お金についての知識・教養」について興味を持ったのは、新卒で金融機関(しかもデリバティブで何千億円のお金を『コンビ二でガムを買うように』動かす部署)で働き始めたのがきっかけでした。

業務で扱うお金の額はものすごいけれど、社員の給料はそれとはほど遠いミニマムなもので(苦笑)、でもなまじっか投資の世界にいるからみんな個人で株だの投資信託だのをやっていて……という環境。

普段から、会社(銀行)のカネではあるけれど、いっぱしのプロのトレーダーとしてお金を運用しているという自負・自信からなのか、わりと強気でガシガシ個人投資する人もいました。

で、みんな驚くほど儲かっていないw

私はそもそも、金融についてド素人で興味もないが仕方なく金融機関に入社してしまったのでイヤイヤでも勉強せざるを得ないという状態だったので、自分で投資をやろうorしたいなんてまったく思わなかったのですが、

「なんで仕事でプロとして投資をしてる連中が、個人の投資ではうまくいっていないんだ?」

という点は素朴に疑問……というか、信じられない心地でした。

で、先輩社員(『どうだいボクは世の中のエリートだよ?ボクみたいな優秀な人間と話せてキミは幸せだねぇ?』的なオーラ&態度&発言をする、鼻持ちならない人が大半でしたがw)に投資について質問をしても、支離滅裂な回答ばかり。
金融自体には詳しくない(というか全然知らない)私が聞いても、単純に論理的矛盾や曖昧な説明が多すぎて、マトモにわかっている人が喋っていることではないというのは、痛いほどわかりましたw

で、こういう先輩をアテにしてもきっとロクなことにはならないだろう、という結論に辿り着かざるを得ず、気が重いなか、お金について自分なりに調べたり勉強するということを開始しました。

繰り返しますが金融について興味があったわけではないので、「賢い投資方法」といった各論よりは、

「そもそも、お金ってなんなの?蓄財に成功している人とそうでない人は、どこが違うんだろう?単純に、能力の違い?就職先の会社の給与テーブルが高いか低いかで変わってくるの?ケチな人なら貯金できるってこと?性格の問題?でもそれなら、高学歴であんなに自信過剰なウチの会社の先輩社員たちが、稼げていない理由が説明できない。学歴がなくても大成功している人たちはどう説明できる?じゃあ、結局、お金持ちになれるかどうかを決めているのは、なんなの?お金とどう付き合い、どう位置づけて生きるのがいいの?」

という、大総論のほうに興味は自然と向きました。

よく考えたら、学校からも家族からも、友人たちからも、驚くほど、お金については情報なり知識なりを得たためしがない(なのにみんなお金なしでは生きられない社会構造のなかで生きている)のは、ものすごく不自然というか、不可解なことに思えました。

お金についてたいして知りもしないまま、お金がこんなにも大きな力を持っている社会でオトナとしてなんらかの経済活動を続けて生きて行くというのは、コンパスも持たずにイカダで太平洋を渡るのと同じくらい、無謀で危険なことのように感じました。

で、まぁありがちかもしれませんが、ロバートキヨサキの「金持ち父さん貧乏父さん」みたいなところに行き着くわけです。

そこから、当時、通信販売で情報商材として売られていたロバートキヨサキによる「ファイナンシャルインテリジェンス」を紐解きました。
(何万円もして高かったので買うことはせず、1週間1000円でレンタルしてくれるという人から借りて、『目を通し』ましたw)

で、目からウロコ。
どこがどう目からウロコだったか語るとものすごく長くなるので、「ようするにこの概念」をお金に対して持つことができた、というのがきっかけだったと述べるに留めます。

もちろん、私自身はなにも、投資で億万長者になりたいと願ってそれらを勉強したわけではないので、不動産投資をメインとしたキヨサキ氏の財テク話や、起業に際してのビジョン策定と業務上の手続き……といったテクニックには、そこまで大きな恩恵を感じたわけではありませんでした。

が、お金について、

「それがどういうものかはよくわからないけれど、生きるために必要で、そのためには額に汗して地道に働かなければいけない。しかも、一生懸命に働いたところで、たいしたお金は手に入らない。だけどそれに不平不満を抱かず、黙々と耐えて働き続け、そこそこの生活を維持できたら御の字とせよ。ゆめゆめ、それ以上など望むなかれ。お金は人を狂わせる……」

というような、「迷信まみれの偏見と先入観、無知に彩られた“お金観”」からは20代前半にして脱却できた、というのは大きな恩恵だったと思っています。

その後、キヨサキ氏に限らず、それこそウォーレン・バフェットやドナルド・トランプといった大富豪のマネー理論/マネー哲学といったものなどもいろいろ触れていき、やがて(陰謀論という嘘の情報に踊らされているのか自分は?というような疑念を抱きつつもおっかなびっくりで)世界のお金がどういう仕組みで、どんな人たちの思惑で、どう発展して今に至ったかという、ディープな領域にも首を突っ込むこととなりました。

そこからさらに、だんだんスピリチュアルな領域にも興味なりが及ぶようになるにつれて、「富を「引き寄せる」科学的法則」を原点とする、スピ系マネー理論も齧るようになりました。

(我ながら、最初の段階でまっとうな入門の仕方をしたおかげで、その後「ザ・シークレット」がブームになったときにその欠陥(←というか、意図的に出版時に“改悪/削除”された部分があること)を見抜いて踊らされずに済んだという恩恵も被りましたw
富の引き寄せって、人間のエゴにとっても魅力的なので、99%真実を述べて説得力を持たせ、もっとも致命的かつ根本的な1%を悪意のもとに歪めて嘘を混ぜるだけで、大半の人はやすやすと騙されて、効かない方法をあたかも効くと勘違いして迷走していってしまうんです)

で。

数年に及ぶインプットの時期を経て、いよいよそれらを消化してアウトプットに結びつけるという段になって、私はヒーラーとしての独立開業というプロセスのなかで、実際に自分がお金の引き寄せなりをちゃんとできるかどうかを現実的に、物理的に立証していくこととなりました。

会社員時代と比べるとそれこそ「年収10倍」(←どっかの自己啓発おばさんみたいですがw)を実現できたし、かといって何億円も転がして生きている富裕層と比べたら全然、という規模に過ぎませんが、個人的には、お金について足掛け10年、模索してきて、ようやっと知識・技能ともに満足のいくものが手に入ったかなという印象です。
(ロバートキヨサキの理論でいうと、自分はまだE→Sへのシフトという第一段階を経たに過ぎませんが、この先、S→B、B→Iへシフトしたいかどうかは検討中、、、というか、ぶっちゃけ興味が未だに湧かないのですw)

ただ、冒頭から再三述べているとおり、私はいわゆる「億万長者になること」に全くといっていいほど関心が湧きませんでした。
それはある程度のお金を手にした後でも同じでした。

年収500万円のうちは昼飯に500円を使い、年収1000万円になったら昼飯に1000円を使う。それって結局、稼いだり使ったりする金額が増減してるだけで、得ている実利メリット(昼飯から摂取するカロリーや栄養など)は同じじゃん!
もしそんな馬鹿馬鹿しいっぽいことに価値を見い出して、自分が豊かになったと感じるとしたら、
「俺は500円しか昼飯に使えないアイツより凄いぜ、恵まれてるぜ、成功してるぜ」
という、これまた真実とはかけ離れた思い込みの思考パターンを持ってるかどうかの違いじゃね?
うわー、無理。そういうことを考えたり実践したりする人がいること自体にはノーコメントで、まあやりたかったらそうすればいいじゃん的傍観スタンスだけど、自分がそんなみみっちい枠組みに付き合って一喜一憂するゲームを続ける気にはなれない……。


という心境になったんですよね。

大それた生意気なことを言っていると思う人もいるのかもしれませんが、私が習得して確かに有益だったお金についての哲学なり理論なりテクニックなりのすべてが、確かに有益で有効性もあるとはいえ、究極をいえば

金持ち崇拝という、一過性の時代のトレンドに(その理論を提唱している人すら気づかないところで)呑まれているだけ。なんとなく漠然と、「現金に換算しうる資産をできるだけ多く持っているほうが、そうでないよりもいいんだ」という「思い込み」を土台にしてる

ように感じられて、ちょっとウケるというか、

「女子高生がルーズソックスを履くとお洒落で可愛いと看做される」

という現象&風潮を、時間軸の枠を超えた観点から見てる(要は、後の時代からその現象を見たらもうなんていうか、こっぱずかしー!とも、健気で可愛い!とも、『あー、あの時代はそうだったねー』みたいなしみじみした気持ちみたいなものとも、そんなような感慨が総合的にないまぜになった感じの)心地に至ってるんです。

まあそんなわけで、

「必要と思える金額を適宜、その場でチャチャっと用意して何不自由なく生きる。しかも、高級なら高級なほど洗練されていて素晴らしい、というような外部の価値観にも呑まれたり影響されたりされず、自分で「誰が何と言おうと自分はこれがいい」という領域で」

という感じで、これまた商売っ気もヤマっ気もない、世間一般からいえばのらりくらりとした平凡で面白みのない野心の欠片も見つからない退屈な男、みたいなスタンスで飄々と生きてるというのが現時点での顛末です。

P.S
そういえばトルストイの民話で、こんなのがありましたね。

一文無しで魚釣りをしてた男が、神様と遭遇して、願いを叶えてもらう。

「こんな生活はもうたくさんだ。もっとマトモな暮らしがしたい」

男はより豊かな生活を望む。最初は金銭的豊かさを願い始める。それがどんどんエスカレートして、

「こんな生活はもうたくさんだ。今度はもっと、王様みたいな暮らしがしたい」

と願うに至る。

いざ王様みたいな豪華絢爛な暮らしを手に入れると、それでも現状に満足できなかった男は、

「こんな生活はもうたくさんだ。今度はもっと、神様みたいな暮らしがしたい。アンタみたいになりたいよ!!」

と願う。

その瞬間、男は一文無しで魚釣りをしている状態に戻る、とw
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