2021年08月

私がヒーリング(セッション、セミナーいずれの場合も)で、「一方的に話す」のをやめた理由

人は基本的に、他人の話を聴けないからです。

はじめのうちは、私も一方的に喋ってました&それだと全然受講生がついてきてくれませんでした



私は独立当初、チャネリングしたメッセージや霊視で観えたものを忠実に伝える(べきである)というスタンスから、初心者あるある的に、

バババババババーーーーーーーーーーーーーーーーーッと、ひたすら一方的に、観えたものを伝えきる

というスタイルでのセッションやセミナー教授をしていました。

が。

クライアントとなるお客様や、セミナーの受講生たちは、基本的に馬耳東風。

しかも、日本で生まれ育って日本語を母国語とする日本人であっても、びっくりするほど言葉を知らない。

「◯◯ってなんですかぁ?」

と、幼稚園児のように聞き返してくる。

実年齢は大人……というか中高年でも、小学校低学年生に話すみたいに、ゆっくりと、簡単な言葉で、噛み砕いて言わないと、わからないものなんです、たいてい。
(しかもそれが、東大京大など難関大学卒の人や、職業として医者・弁護士など知的であろうとされる仕事をしている人たちにも言えるのが驚愕でした)

赤ちゃんに食事をスプーンなどで与えるように、相手の方から自主的に口を開いたときに、口に入るだけ食べ物を運び、咀嚼して飲み込んで一息つく。それを待ってから、次まだ食べるかを動作や目線、言葉がけで確認し、相手が欲しがったらあげる……ふうに話さないとダメなんだなと学習しました。

また、セミナーで特に顕著ですが、

自分の頭で考えたことしか人は理解しない

ものなんですね。

最悪なのは、紙に印刷したテキストを渡して「ここにすべてが書いてあるので、読んでおいてください」で済ませること。
まず受講生は読まないです。面倒くさがって。
見るとしても、パッと眺める程度。
文字として認識するのは、タイトルと見出しくらいのもの。
(それすら、そこまでできたらよほど真面目で頭がよく集中してセミナーに臨んでいるほうです)
一番多いのはおそらく、渡された紙を読みもせずにカバンにしまうなどして
「後で読もう」
といって一生、読まないパターンw

続いて学習効果が低いのが、一方的に講師が長々と喋って説明すること。
これはもう、なぜなのか、どんな有様になるのか、説明不要ですよねw
校長先生の話と同じ「うざい」扱いで、聞き流している人がほとんどです。
面白い話をできてない講師側が悪いといえばそうかもしれませんが、教えるカリキュラムがエンタメ的に面白いものではない場合、またエンタメ的な盛り上げ方が(よくいる、解説系YouTuberみたいに)できる人だとしても、なんていうか、「だからいちいちそうしてあげる(そうしてあげないと受講生がついてこない)」図式に講師がどこまでもボランティア精神で芸人スキルを発揮するというのもいかがなものか。
(それやると、受講生はどんどんふんぞりかえって、まさにテレビを全然アタマを働かせずにボケーッと見ながら「この芸人、つまんない」と感想だけ言うあのスタンスになっていっちゃうんですよ。
どういう講座をどういう流れや動機で受講するかにもよるかもしれませんが、受講生側は、ある意味では退屈だったり面倒な局面を強いられる『学習(という労務・作業)』というものを継続して習慣化していくために、自分から食らいついてどうにかしていくというセルフマネジメントを培うことが、学びの中では大事です。
その意味で私は、過度に面白おかしく講師側が盛り上げて、受講生がほんの少しも退屈したり面倒がったりするストレスを感じないように配慮するのは、やりすぎだし、かえって受講生のためになるとも思えません)


ある時期から、受講生が自発的に考えたり、教える役目を担ったり、場の進行役を務める「ワークショップ形式」にしました



ワークショップにも厳密な定義だかがあるといえばあるようで、私がやっているスタンスが果たしてそうした定義に照らしてワークショップと言えるものかはわからないので「ワークショップふう」でしかないのかもしれませんが。

ある時期から私は、講師としての自分が一切合切をなんでもやってあげるスタンスをやめました。

自分オリジナルで創始したヒーリングモダリティを整備するようになってからは特に、テキストの内容やセミナーの進め方自体を自分で好きなように決められるのも幸いして、受講生が主体、主役!というセミナーのスタイルを確立していったのです。

学級会のように、議事の進行役をパートごとに割り振り、全体を通して受講生の誰もが1パート以上は議事進行を担当する司会者となったり、模擬インストラクター実習であるかのようにテキストを読んで他の受講生に(ほんとは本人も初めてそれを学びにきた受講生ではあるのだけれど)教える・質問に答える役目を担ってもらったり。

こういう自発的な学習スタイルには、受講生側での慣れや習熟も関わってくるので、

「え? こんなスタイルでセミナーを学ぶのは、初めて。えー、やったことない。どうしよ」

という人ばかりが集まってしまうとモタつくのかもしれません。

し、ある程度、常連さんとしての受講生が出る私が主催のセミナーでも、最初のうちはそうでした。

で、当然、受講生は、いつまでもわざとモタついてみせて、講師が助け舟を出すのを待ったり小狡いテクニックも繰り出してくるのですが、容赦ない塩対応でサバイバル精神を培ってもらったり、場合によっては助け舟を出したり。
(自転車を補助輪なしで乗れるように練習する子どもに『ちゃんと手で支えてるから!』と嘘をついて、途中から実は手を離している、というアレも当然やりますよ)

そして転ぶなら転ばせる。

「痛いか? 転びたくなければ、痛い想いをしたくなければ、できるようになれ(←無慈悲な表情で冷徹に)」

というスパルタも交えて。

その直後に聖母の優しさで
「大丈夫だった?」
と助け起こす手のひら返しもすかさず入れて。

そう、ほんとに幼児を子育てするみたい。

受講生は実際は大人だし、なんなら自分より年上、自分の親より年上のこともあります。
でも、中身というか学ぶ姿勢なり学び方スキルなりが育ってない人だと、しかるべく幼児扱いが◎。
(絶対に幼児として扱えというのではなく、その人の受講生としての成熟度とつりあうのがベスト。でも9割以上の人は幼児以前に乳児です、私の経験則ですが)

そのストレスたるや!!
よっぽどお金をたくさん貰えるでもなければ、割に合わないわァ、と思いますよね?
だから貰うんです。我慢料。
(スピリチュアルなエネルギーを授けてあげますよ流してあげますよ料金は0円なんです。あくまで人間としてのヒーラーが労務を、お客様と認めたけれどしょせんは赤の他人のために、命の一部ともいえる貴重な貴重な時間を割いて、めんどくさくてストレスを感じるようなことを我慢してしてあげるための割り切りのための対価。トーゼンでしょ?血の繋がりがあるわけでもない大人同士ですもの)
あ、あくまでもスピリチュアルな仕事でお金を取るのはよくない、と言ってる人はぜひ、無料でやってくださいね。
その代わり、自分でお金を貰わないって言ったんだから、金とって労務を提供してるヒーラーと同じかそれ以上にしっかり真剣にみっちりハイクオリティでやれよ?(with目が笑ってない)。

でもそれからかなぁ、受講生が、自分の頭で考えて、主体的にセミナーに臨むから、記憶なり技能の習得や定着の度合いがグーーーンと上がったんですよ。

受講生主体のセミナー方式に切り替えて起きたデメリットふうの損失と、それにどう対処したか



受講生によっては一定数は、

「ちょっと……こういう、いろいろやらされるスタイルで学ぶのは、嫌です。こっちは客だし、お金を払ったんだから、ただ楽チンに座ってるだけで、あとは全部、講師の人がなんでもやって、それを私は好きなように学びたければ学び、つまんないと思ったら集中をやめて別のこと考えたりして不真面目に過ごす権利が欲しいです」

といって、離脱していく人もいます。

そこで私は「どうぞ?(といって出口を顎で指す)」で、一切、引き留めませんでした。
だってそんな奴、いたら邪魔じゃん。
受講生全員が真剣に、自発的に、集中して、今の自分を超えるという苦痛に耐えて、他の人に迷惑をかけるどころか共に学び合うからこそのブースト感を各自が出してパータッチ状態で、みんなでギュイーンと凄くなっていこうよ……という場じゃないと。

もぉ嫌なのよ、そこまでしっかりみっちりちゃんとした学びの場じゃないと、私自身が同席するのが。

厳しい&身勝手なことを言わせてもらうなら、

尊敬に値すると感じる能力や人格、知能、技能をすべて兼ね備えた、伸びしろ無限大の、感じの良い、ウマがあう人だけを受講生として認めてお迎えする場じゃないと、教えたくない(というか、そもそも他人と会いたくない)

んですわ。

流行り病でも事故でも災害でも、いつこの命が不意に終わってしまうのかわからない昨今。
ワガママだろうとなんだろうと、余計にそこを意識するようになりました。
わけわかんない、尊敬できない、というか「ふざけんなテメエ」という気持ちを噛み殺してまで、せいぜい数万円という、庶民がちょっとした遊びに使える程度の金額を払ったからって、ふんぞりかえった何様な態度と不真面目な姿勢でアタマも悪く技能も下手くそな、どこぞの馬の骨なんかを”お客様”と呼んで、一緒の時間を過ごすという苦行に耐えるなんて、まっぴら。

お金はいただくけど、お金儲けのために我慢してまでヒーリングやってるわけじゃない。

それを地で行くことにしてます。

それでもしヒーラー1本で食えなくなったら、べつに私はそこにこだわったるとかプライドを感じているわけじゃないので、フツーに、他の仕事でもなんでも探してしますよ。養ってくれる誰かのヒモになるでもなんでも。
もし生きていたければね。

望ましい、ふさわしいと思えない人を相手に、金を積まれたからといって、しぶしぶお客様として認めてあげて、せっかくのこんな稀代の大天才ヒーラーの持つ至宝とも言える技能や知識を、ちゃんと理解も吸収も習得もできない出来損ないのために無駄に振る舞うようなことは、しません。

受講生“主体”から、ついに受講生“自営”のセミナー形式へ昇華w



最近、導入してさらにうまくいってるのが

受講生だけの自習形式セミナー

です。

べつに、必ずしも嫌な人が受講生だから同席しないというわけではないんですけど。
(能力が高く、十分に素晴らしいとこちらで感じる方が受講する場合であっても、単純に私側のスケジュールが合わないという場合もあります)

いわば丸投げして、「このテキストに書いてあるとおりに、いつもの調子でやってね」と、この受講生たちなら丸投げしても大丈夫だろう(あるいは、全然大丈夫じゃなくても、こんな奴ともはや接触を持つのは嫌だ)という方々に、自主開催してもらう。

うまくいってます。大丈夫。
(ただ、嫌な人向けに丸投げするケースは別として、ちゃんと習得してもらいたいなぁと思う方々の自主開催については、まずは私が教えるセミナーのやり方やその密度、『なにかがちゃんとわかるとはどういうことか、できるとはどこまでやれてこそか』といった判断基準、温度感のようなものを充分に掴んでいただいたうえで、『今のこの方々が到達した水準ならば』と自信をもって思える場合にのみ、自主開催を許可してます)

いやぁ、いずれの場合にせよ、やっぱり、ヒーラーや講師が

一方的に話すスタイルで良い場合なんかひとつもない

ですね!
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