2021年07月

太っちょのオバサマというキリストを想って生きればOK牧場!!

Franny and Zooey。

   英語版      野崎孝 訳    村上春樹 訳


これほど「甘酸っぱい宝石のような黒歴史」感を呼び覚ましてくれる本も珍しいでしょう。

この本の著者サリンジャーの作品としては、

ライ麦畑でつかまえて

  野崎孝 訳     村上春樹 訳


の方が有名なのかもしれませんが。

フラニー〜の方がマイナー?な分、「それ読んじゃうのかよw」という”そういう界隈のしがらみから抜けきれない”感がドM的にンギモッチィ!?

これを「引き当てちゃう」性(さが)というか、ね。

嫌いじゃないんでしょ?

わざとらしいまでに重い宿命を背負って生まれてきた的な。
(わかる)

ツンデレというかの原点にして極致。

今の子はこういうの読むほど牧歌的でもヒマでもないのかしら……。

フラニーとゾーイの「知ったか」になれるシーン



全部を丁寧に読むのは正直、難解で退屈な筆運びというかでいろいろ「削られる」。

ので、ハイライトだけ「知ったか(ぶり)」。

・ゾーイが(兄であるバディのふりをして)フラニーに声をかえて電話をかけるシーン

前後関係は飛ばし読みででも、あらすじ解説のWebサイトなどででも仕入れておいて、ここだけ読めばもう。

あと、あえていうとゾーイと母親の浴室の会話(←私は個人的にこのシーンが大好き)。

いちおう、あらすじ


大学生にもなってフラニーが「みんなみんな(アタシ自身も含めて)大っ嫌い!」と厨二病を発症して失神→鬱。

プロの俳優である兄ゾーイが電話で神トークし、フラニー回復してめでたしめでたし。

まぁ、なんてシンプル。
(どうしてあんな冗長な文章になってしまうんだろう)

この(ありきたりの青春小説ふうの)作品がなぜ傑作なのか



それはゾーイのいう

太っちょのオバサマ

に尽きる(と私は独断と偏見で思っている)。

そういう登場人物がほんとに出てくるのではなくて、想像上の普遍的存在として、例え話というか、ゾーイがいつも胸に想っている存在として出てくる。

俳優であるゾーイは、いつも「太っちょのオバサマ」に見せる、見てもらうつもりで演技をしている、と言う。

もし、世間の(つまらない、くだらない)人を「俗物」とするなら、太ったオバサマは「超俗物」とでもいうべき存在で、この”超”は「超える」という意味。
つまり、俗物をはるかに超えた存在である、ということ。

❌ ものすごくつまらない、くだらない俗物
⭕️  俗物をはるかに超えた、すごい存在

というニュアンス。

つまり、

イエス=キリスト

である。

心にいつも太っちょのオバサマを抱いて生きれば大丈夫、と。

それを聞いたフラニーは厨二病から回復して物語はおしまい。

「は? なにそれ?」

と思うかもしれませんが、興味をもったら本読んでみてくださいな。

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