2020年04月

ブロックも信念のうち

「その考えはあなたの(悪い)思考!ちゃんとワークしてブロックをとりなさい!」

と、あたかも改宗を迫る宣教師のように他人の思考を(心理)ブロック扱いしてくる不粋なエネルギーワーカーがいます。

どんな思考がブロックかどうかなんて、誰も絶対的な意味合いでは定義してないわけだし、個々人がそれぞれの思考をその人の生きたい方向やありように沿って選別したとき邪魔になる、妨害する働きになっているのを”その人だけが”「ブロック」と呼べばいい話。

他人に向かって誰かが

「もっとこうした方がいい」

というのはあくまでもおせっかいとしての働きかけであり、それ以上でもそれ以下でもありません。
(もちろん、そういう働きかけをしてはいけないわけでもありません。が、しょせんは他人の余計なお世話。ムッとされて石を投げられても文句言えない弱い立場で、それでもどうしても言いたいなら言う、くらいがちょうどいいのではないでしょうか)

で。

この記事で強調したいのは、ブロックというのはたまたま信念の中で人が邪魔だと感じる働きをしているものについて恣意的に使っている言葉であり、

信念と違う種類の何かとしてブロックと呼ばれる思考があるわけではない

ということです。

いわば、信念が「犬」というカテゴリ名だとすれば、ブロックというのは「汚らしい犬」みたいな。
犬の中でさらに種類や属性を問うなら、というグルーピング。
汚らしい犬、と誰かが感じる犬でも、犬なのは間違いないですし、「汚らしい」という形容詞が個々人の主観でしかないように、その犬を別の誰かは可愛いと思うことがあり得ますよね?
それと同じように、ブロックも信念のうちなんです。
(タイトルどおりですね)

なので。

「それはブロック!だから取りなさい!そんなブロックを持ち続けるべきではない!」

みたいなことを、他人がわめきたてるのは、「余計なお世話」でしかないわけです。
根本的には。

ただそこに指摘される側の人が、モデル養成やマナー講習の場に参加する生徒みたく

「その目的(プロのモデルになる、マナーが良いと世間的に言われる人になる)のために合わない部分は欠点、『悪いところ』として指摘してください」

と了承しているのであれば、そこで講師や先生とされる立場の人は、ある意味では堂々と、
「あなたのここが悪い。こうした方がいい。なので、こうしなさい」
と言える(だけな)んです。

それが宗教的、哲学的、人間修養的に先輩後輩などの関係などいろんなパターンで存在するだけ。

「あなたを師と仰ぎ、尊敬します。あなたの教えを私に」
と、言われる側が謙虚に受け取る姿勢をとっているなら、指摘する側が
「まぁこれは私の一個人の意見でしかないけれど」
というこれまた謙虚な姿勢で、意見を述べればいいのでは。

そして。

ある時点で、ブロックとされるような、ある人が何かに否定的な信念を持っているとして。

それは、その人の(たとえ幼稚で拙く愚かで知識などが充分でないから陥っている変な判断だとしても)決意表明なわけです。

れっきとした信念なんです。

動物が、たとえ喉が渇いていても、例えばお酒などその動物が本来、飲まないものが混ざった水を出されても、飲まないように。
(その動物は、混じりけなしの水を出されれば飲むでしょう)

ある人間が、何かを嫌がって拒むというのは、何かそうしたほうがいいと考える理由があるんです。
(その理由が間違っていることがあるとしても、本人がその間違いなどに気づいていない以上、その判断は、その人なりの精一杯の意思決定の結果なんです)

なので、人間の場合、

・誤った知識、あるいは無知によって何かを嫌がって怖れているのであれば、正しい知識(あるいは『これは正しい知識だぞ』と嘘をついてそう信じ込ませようとする策略)を伝えることで、怖れる必要がないと理解し(あるいは思い込まされ)、それまで避けていたことに取り組むようになる

とか

・本人がなぜそれを嫌がるのかという原因を探り、(心理的な?)問題を解消することで、その恐怖や嫌悪感を乗り越える
 (例:子供のころに大人の男性に性的ないやがらせを受けた女性が、大人になってもなお男性を毛嫌いするのを心理カウンセリングなどで原因を見つめ、解消する)

とか、まぁ、いろいろ方法がありますわな。

と考えていくと、根性論で

「うるさい!黙れ!嫌がるな!恐怖を乗り越えろ!いいからやれ!」

の押し付けって、どうなんでしょうね。。。って話。


ちなみに。

私はマルチプルアバンダンスというヒーリングモダリティの中で「銭ビバ!」という講座を創始しました。

これは、(今からすればすでに数年前の)スピリチュアルな講座というか思想でわりとメジャーに言われていた

「お金は汚いものじゃない!お金儲けは悪いことじゃないよ!だから、お金をたくさん手に入れて金持ちになることにブロックがあるなら手放そう!」

という風潮に疑問を持っていたことに起因します。

当時、私自身、私なりの定義の捉え方でそう教える側でした。
「べつにお金を稼いでもいいんだよ」
と。

で、それ自体は今も変わってはいないんですが、あまりにも多くの人が

「でもォ……」

としり込みするので、はじめのうちはじれったく感じましたが、だんだん

「これだけ大勢の人が、頭ではわからないけどこんなに何か本能的に、直観的に?、お金について否定的なのは、何かそこには霊的な理由があるのでは」

と考えをシフトしていくようになりました。

「お金に否定的なのはブロック!癒して解放して、ジャンジャンお金を稼いでも平気!っていうかそれが幸せで楽しい!って思えるようになろうよ!」

一辺倒の(そこで思考停止している)他のヒーリングインストラクターたちに相談しようとしても

「それはアンタのブロックwww」

と一蹴されるのがオチで、話にならない。

「あんたのその、お金に対する懐疑的な思考はブロックなんだから、早く取っちゃいな?」

と、それこそが絶対の正解であり、むしろヒーリングをプロとしてやったり教えたりするなら、できていて当然のマナーだろ、くらいに言われたものです。

違う、そうじゃない。

その思いの方を、(誰かに相談しようとしても埒があかないので)一人で黙々と探究して、ようやくわかったのが、「銭ビバ!」の講座の中で述べられていることです。
(ただ、それまで『お金を稼ぐのはちょっと』と、ほんとにその人がショボくてズルい怠け者な卑怯だから言ってるだけの人は、この講座を受講して『そっかぁ!だからこれまでお金に対して否定的だったんだ!その理由がわかった!もうお金は怖くない!』と、思考自体は変わるものの、行動というかお金の稼ぎ方と得る金額が変わらないままだと、捉え方は変わったところで相変わらずべつにお金がたっぷり、というふうになっていくわけじゃないのが案の定でもありましたけど←でもべつにそれでいいと思います。今、マスクやトイレットペーパーの買い占めなどが再び(まさかまさかで)起きて物がなくなったり、物の一形態としてのお金も実質、どこかに偏りすぎていると他の人がお金なくて困ることが起きると改めて庶民ですら実感する情勢になっているといえます。一部の、スピリチュアルなワークを通じてお金のブロックだかを解消した人たちが、だからといって世界中のありとあらゆるお金をスピリチュアルパワーで好き放題、手にしてしまうようなことが起きるとしたら、それはそれで世界は破綻しますよね。ブロックは解消したけど必要以上のお金は不要ならべつに今すぐ稼いで貯めこんだりしないというのは、ある意味では賢人ともいえる判断&行動だと私は思います)

この一件以来、私は、人々が何かを怖れている場合、それを

「ブロックまみれでダメダメwww」

というふうに見なすことがなくなりました。
(といっても、べつにその前から、わざわざ他の人の考え方に対してやれブロックだの素晴らしい信念だの、霊的に見た真実だので裁くようなスタンスを全面的に持って発揮しちゃうPTA会長か学級委員か的なキャラでもなかったと思うんですけどね)


最終的に(どこが最終なんだって話でもありますが)、それがその人の勘違い、あるいは勇気の欠如など本人の資質的な問題に基づく誤謬であれ、霊的な真理を部分的に内なる神が感じ取っていたからこそ手を出さずにいた実は賢明な判断だったことであれ、

ヒーラーの仕事は、「なぜこの人はそう考えて(そう行動して、あるいは行動をしないという行動に出て)いるのか」を、相手に耳を傾けて聴き、(霊視も含め)観て、つきとめること。
(つきとめるだけで、責めたりもしない)

そして、クライアントが望むなら、その方向で癒す手伝いをすること。
(クライアントが頭で考えて望む方向が果たして霊的にみて癒しとなり得るものなのかについても、自分の主義主張としての意見ではなく、霊的な摂理とその人が生まれる際に設定してきた神聖な計画など諸々の事象を可能なかぎり客観的に観たうえで専門家としてコメントを述べる(にすぎない)スタンスでアドバイスを(クライアントから求められたら)する、どうしても手伝えない、手伝いたくないと感じたら率直に断るなど諸々の対応もコミコミで)

だなぁ、と思います。

「それはブロックだよ!さっさと取っちゃいな!」

なぁんて、口が裂けても言えないセリフですわね。

つぅか、そんなことを言いたくなる衝動が起きえなくない?

まぁ、人それぞれなんですかね。(無難な〆)
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