2019年05月

「評価されたい」という奴隷化


承認欲求、って単語、流行ってますよねぇ。

それがあるとダサいと言われつつも、みんな持ってるじゃん、たまには出してもいいよねテヘペロ♪みたいな。

究極、承認欲求って、よっぽど精神的に成熟した大人じゃないと抜けられないし、いまどき、何歳になっても「死ぬまで精神年齢がお子ちゃま」のほうがデフォルトだから、みんな大なり小なり、欲するなり満たすなりすればいいじゃん、とは思います。

で。

それが良いか悪いか、ダサいかどうかではなく。

ここでは、

他人に評価されようと思う時点で、(どんなに世間なりですごい人扱いされていようと)人間の限りある思考の範囲内で定義されラベルを貼られるという「限界・制限を受け入れる」ことになり、それはつまり、無限の可能性を本来誰もが持っていることをわざわざ自分から放棄することにも繋がるよ

ということを言いたいです。

これもねェ〜、難しいよね。

無限の可能性、なんて手札を後生大事に持って、結局その手札を使う機会もなく一生を終えてしまうとか、ありがち。

なんだかんだいって限りある人生の中、ほっとけばどんどんトシくって「もう〜〜するには遅すぎる」と言われてしまう以上、がむしゃらにでも自暴自棄でも、たとえそれが悪魔と契約するようなことになる大いなる代償を払うことになろうとも、

他人に評価されて現世利益をしっかり確保して、できるだけ人間ヒエラルキー上位寄りに有利にリッチに偉く好き勝手に振る舞える生き方ができる地位を構築した方が勝ち!

という考えもあるんでしょう。

これはもう、うんこ味のカレーかカレー味のうんこか的な、どっち選んだところでビミョー、というそもそも理不尽な選択ともいえて、まぁだいたい人間誰しも、置かれた境遇は理不尽度合いがゼロではないですわ。

で、当然ながら、

どっちもいいとこ取り!みたいな、悪いところができるだけ少ない選択を具現化するには、いいとこ取りの度合いが高くなるほど、求められる自分側への手練手管のレベルが求められる

ということでもあります。

現実的かどうかを除外して条件だけをあえて論理で考えるなら、なんでもできる奴は、なんでも手に入れられる。何者にも負けない強さや、どんな難しい状況でも何一つ犠牲を払うことなく切り抜けられる策を思いつける知恵を持っていて、かつ、その策のとおりに完璧に行動して完遂しきるだけの技をもっていさえすれば、百点満点で誰も傷つかず誰も泣かない現実を具現化できるのでしょう。

ね? 現実味がない話になっていくでしょう?

でさ。

「現実味がないから無理。だから耐える」

という妥協はそりゃ、完璧でない分、弱くて愚かで下手くそな分だけ、必要でしょう。現実的には。

ただ、(日本人はここが顕著だと思うんですけど)

最高の選択肢を選べないからといって、すなわち、最悪な選択肢を率先して選んで、どこまでも無限に耐えて傷ついても文句言わずじっとしているというのも芸がない

とは思うんですよねェ。

これ、人に評価されようと思う話に戻して考えると、

その、評価する人が理解できる物事がせせこましければせせこましいほど、その人に評価されるということはつまりは「その人のせせこましい思考で理解可能な範囲内の在り方、パフォーマンスに自分が留まっていなければならない」ということ

ですよね?
仮にもし、全力ぶっちきりで出したら、もっとできるだけの能力なりを持っているとしても。
だって、出しちゃったら、評価を下す人が「?」となり、
「よくわかんない。0点」
と、つまり”評価されない”ことになってしまうかもしれないわけです。
実際は、その人の評価する百点満点なんかより、ずっとずっとすごくてなんでもできてウハウハに生きられる有様であなたがいたとしても。

それって奴隷化じゃないですか、ってことなんです。

「えー、でもォ、だからってこの世の誰にも評価されない生き方をしちゃったら、居場所なくなりませんか?」

そう、それも事実。

だからこそ、

自分の人生について生殺与奪権を握ることになる人がどうしても世渡り上、必要だというならば(←それさえもほんとは、どこまでほんとにそうするしかないかすら自分で選ぶわけですが。選択肢自体を自分で思いつけるかどうかからして)、

自分を殺すことができてしまうなんていう、そんな物騒な権利を誰にならどのくらい、握られざるを得ないか
(≒自分がリスクを冒すことになるマイナス要因ある選択肢を採ってでも、それでも望んで目指したいプラスの何かのためにどうしてもやむなく、取るしかない最小限・最低限のリスク算出ができているか)


ということが大事になってくるんじゃないでしょうかね。

そして。

そもそも、ある集団の中に自分の活動の場を限定(するという、本来の無限の豊かさを実現できる能力を自分からまず第一段階、捨てるということを)してしまった上で、さらにその集団の中の誰かの思考の限界という檻の中でプラスの点数をつけてもらえるように「相手の採点基準」の範囲内だけで動く一生でいいのか

という選択も。

具体的に言うなら。

日本の中で、日本人がわかる有名大学を出て、日本人がすごいと思う会社で、日本人がすごいと認める肩書きを身につけ、日本人がすごいと感じる金額の財産を持ち、日本人がすごいと思う車を買って乗り、日本人が良いと認める美人だかイケメンだかハイスペックだかの要件を満たした人と結婚してetc

をしたうえで、日本のなかのさらに自分の周囲にいる「みんな」から「すごい」と思われ評価されることで、社会的出世を実現する

という方法が、はたして、賢い選択なのでしょうか、という話でもあったりして。
(例として日本、を挙げましたが、これ、別の国でも、なんなら会社や地域など範囲がもっと別だったり狭かったりなんでもしてもそのまま使えると思います)

(あと、それはなんのためなんでしょうねというのも気になるけど。冒頭にあげた承認欲求というか、もっといえば自尊心の欠如などといった心の問題を埋め合わせたつもりになる補償行為としてそんなことするんだったら、すごくもったいなくないですかという話でもあって)

そもそも、評価されるのはなんのためですか。

自分のやりたいことがあり、そのためには自分1人では無理で、人を動かす必要があるから。
だから、他人から評価されるというのが、子どもじみた承認欲求ではなく、目的の達成のための欠かせないプロセス・要件の1つだから。


……というのが、ある程度以上は大人として成熟した人が考えることでしょう。

そういう、避けて通れない最終目標があって、そのために人の評価が必要というなら、まぁそこは、どうにかするしかありませんな。
さっき言った、うんこカレーのように。
自分がやり手であればあるほど、カレー味のカレー寄りの選択肢を思いついて行動してほんとにそれをゲットできるわけですがそれも実力次第という。

でもね。

〜〜という最終目標の達成のために、他人から評価されることが必要だとして。

相手のせせこましい思考の範囲内に合わせるという形で承認・評価されようとすると、相手の思考のペースに自分のプロジェクトの進捗ペースや、プロジェクト自体の生殺与奪権をすべて握られるという不利な境遇に自分から身を置くことになる


わけですよ。

でも、気づいてもらいたいのが、評価を得る方法は、必ずしも、相手の価値観に委ねて相手の思考を通じて判断を下すというプロセスでなくてもいいということ。

たとえば、

「インド工科大学を出ています」

といえば、おそらく日本では現状、周回遅れで物を知らないダメなおっさんおばさんGGYBBAあるいはガキんちょになればなるほど

「なにそれ?w 聞いたことないw 東大のほうがすごいんでしょ」

みたいなことを言うかもしれません。

でも実際どうなんでしょうね。

(さぁ!ここですよ!東大至上主義の人がムキー!ってなるところ)

もちろん、どう〜〜〜〜しても外せない、「この人には評価されないと、どうにもならない」という人は、目指す目標の内容によっては、ゼロではないでしょう。

ただそれは、「みんな」なんでしょうかということでもあり。

雑にいえば「不要」な人物からの評価なんざ、知らんがな。そもそも、得たところで、なくても困らないような人の評価だったら、最初から得ようとすらしないという手がある。

そして、人の評価よりも強いカード(手札)を切るという手もある。
いろいろあるでしょう。権力とか、権力とか、権力とか。

人の承認や評価なんて得ずとも、怒涛の権力で上から「うるせえ黙れここは俺様が好きなようにする」といって、その目的が果たされるなら、それもアリだったりしませんか。
(それが霊的に見て『悪いこと』だったり、カルマが生まれて云々、みたいな事情もあるのかもしれないけど。そしてそんなことをいちいち気にするかどうかも人ごとの判断なわけだし)

はい、ここで

「でも権力は……」

と、権力という概念のことばっかり考えたり、権力か評価かの天秤しか思い浮かんでない人は、やり手の営業マンになんでも売りつけられちゃうアタマの弱い人かもですよー。

権力は1つの例。

評価を得ること以外に代用できれば、なんだっていいんだってばさ。

「そんな便利なもの、思いつくか? 手に入るか?」

だからさっき書いただろう!できる奴になるほど、マイナス要素の少ない選択肢を選べるものだと。
意気地なしの下手くそなバカは、そんな都合のいい動き方、できないだろうねぇ。そもそも思いつきもしないだろう。
べつに嫌味じゃなく、実際そういうもんでしょ?
(特定の誰かをさしてるわけじゃなく、一般的にいって、ってこと)

一言でいえば、

アナタが今、そんなにまでして得ようとしている、人からの評価。
ほんとに必要なの? ちょっと立ち止まって、見直してみたら?


ってこと。

「はい!見直しました。やっぱり私には、それしかありませんでした!!(究極のドヤ顔)」

ふ〜ん、あっそ。だから何?

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