2019年03月

0→1に感性のアンテナ、理解できる言語を作る重要性

長いこと、アタマがいいつもりで、自分なりに語学の参考書を買って読んだり、音楽制作やプログラミングについての本を買って読んでやってみたり、しました。

だけど、悪い意味でいい加減なところを「良かれ」と思って学習してしまった自分は、本に出てくる知らない単語をいちいち調べたりせず、

なんとなく、フィーリングで読み流し、「雰囲気は掴めた」みたいなフワッとしたことを言って、わかったつもりになってた

んですよ。

これが全然ダメだった。

なんにも身についてなかった。

わかったつもり、って何がだよ、と言われて、何も言えなかった。

「じゃあ、やってみて」

と言われても、できない。

たとえ手を動かして、参考書にある練習問題を実際に語学なら発音してみたり、ノートに書いたり、音楽制作やプログラミングならコンピュータに打ち込んでみたりして「できた」となっても。

応用がきかない。

今の構文を使って、別のことを言う、ということができない。別の処理をするプログラミングが書けない。

テキストどおりの例文・練習問題を、テキスト見ながらやって、できたからと、完全に理解できたと思い込む。

この、ダメダメループに陥り、時間を無駄にしたと思うからこそ、「もっと効率的なやり方は」を模索する方に走ってしまった。

それがよくなかった。

結論としては、基本のキを、まるで小学1年生が、ひらがなを50音ぜんぶ、一文字一文字、何回も書いては読み、だんだんスラスラ書けるようになっていくみたいな、ある意味では屈辱的で、時間がもったいないとも感じる、非効率的に思える方法で、

運動を通じて基本を、カラダに刻み込んでいく
スタイルをとるしかありませんでした。

(これがこの記事のタイトルで言ってることです)

音楽理論や制作についても、ほんとに小学校低学年みたいに、手取り足取り、教わることで、テキトーに本だけ読んでできるつもりになっていて実は歯抜けだった知識や概念を、みっちり整備していくことで、ようやく上達というか、進むことができるようになりました。

愕然としました。

時間を無駄にせず、効率よく、なんて良かれと思ってしていたことが、何もかも、裏目に出ていた。

「バッカみたい」

と思わざるをえなかった。

いっそのこと、「世界で一番、才能がなくて向いていない。だから、人一倍、ゆっくり着実に、何回でも基礎的なことを繰り返して、カラダで覚えないとダメだ」と思い込んでた方がマシでした。

実年齢のことを考えると、惨めで惨めで、

「もう、ダメじゃん。遅いじゃん。間に合わないじゃん(←何にだよ)」

と思ってほんとに泣けてきたり。

ちゃんと学び直すために学校などにしっかり通い直しはじめてそう感じたのですが、同級生に、自分の子供、なんなら孫くらいの年齢の人がいる(というか、多い)と、ほんとに授業中に悔しくて涙が出そうになったり。

でも、しゃあない。

そこからやるしかない。

そうやって、無限に遠く思える階段の道のりを、一歩一歩、しかも踏み台昇降運動みたいに繰り返し、アタマで何も考えなくてもパッと知識が浮かんだり、もう間違えようがないくらい無意識に正しく手が動くところまで、やりなおした。

(収監された経験もなくこう言うのも的外れかもしれませんが)まるで囚人になったような心地でした。

そして、6歳児かよ!的な基礎的なことを、もさもさモタモタやっている自分と、同年代や年下20~30代の人が、バリバリと活躍して、実績を挙げて。
傑出した人はニュースで取り上げられたり、急に売れた若い歌手やダンサーが紅白歌合戦に出たり。

ものすごくメンタルを削られました。

ちっぽけな、「そこそこ能力があって、そこそこ年を重ねた目上な俺様」みたいなプライドが、粉々になりました。

特に、みっちり学びなおした初めのうちは、まるで何かの手術後のリハビリみたいに、手や足を動かすとか、立つ・座るみたいな簡単なはずの動作がとても大変でつらく、時間がかかるあの感じで。

どうしてこんな簡単なことを、また間違えるんだろう。できないままなんだろう。
なんでこんなに頭が悪いんだろう。
どうして自分はこんな年齢になってまで、こんな基本的なことを、時間をかけて、できるようになろうとして、延々とできないままなんだろう……。

自宅で誰もいないときは、ほんとにボロボロ泣きながら、学校の宿題をやったりしていました。

ある意味、努力が報われない経験なら何十年と積み重ねてきており、ベテランの達人なので、そうやって号泣しながらでも手を止めずにメンタルも最終的なところは破壊されずに機械人形のように続けることはできました(笑)。

そしたら。

絶望視していたよりは早くだんだん、できるようになるんですよね。
そして、以前はものすごく時間がかかっていた作業などが、最初にかかった時間の何十分の一とかでできる。
しかも、精度というか、上手さも上がって。

集中して、緻密に黙々と、単純作業のような学習を続けると、5〜10分といった時間がとても長く感じます。
それを毎日何時間も、それも何週間、何ヶ月と続けると、もう10年くらい収監されている囚人のような心地になります。

が。

実際は、数週間。

大人が、ちょっと気を緩めて、だら〜っと過ごしたらあっという間の時間しか経っていないんです。

そして、

「もう、こんなトシをとって、自分の孫みたいな年齢の子より出来が悪くて、どんだけやっても全然無理なんじゃん?」

とボロボロ泣きながら、最初歩のところでコケて、わからなくて、焦れて、うあー!!となってたのも遠い過去に。

「あ、もうこんな短期間で、ここまでできるようになるものなの?」

という方の感慨にシフトしました。

そして。

基本を100点満点で、知識のあやふやなところもなく、正確に理解できるようになると、そこでようやく

自習が可能になる

んですね。

これは、特に音楽制作で顕著でした。

ミキシングのコツや、EQ、コンプ、リバーブやディレイの上手い使い方、やってはいけないダメな調整あるあるなどは、学校の授業だけだとそこまで詳しくやらなかったこともあり、世間で売られている参考書をあたることに。

「また、わかるつもりで自分で本を買ったわりに、できないままなのでは」

とヒヤッとしつつ、立ち読みなどで様子を見てみて。

「……わかる!!書いてあることがわかる!!」

と驚きました。

それも、パッと速読した程度で、「わかったつもり」ではなく、ほんとに「できる」ところまで理解できるようになっていました。

基本知識が網羅されているので、本の記述内容がまず単語や概念としてちゃんと正しくイメージしたうえで理解できるし、だから本が提唱する(自分にとっての)新しい知識や概念も、スッとわかることができました。

本ごとの、著者の意向というかまで汲み取れるようになり。
本というのは良くも悪くも、ある分野を網羅しようとすると、分厚くなるし、そうなると売れにくいし、などで、伝えたい情報の方向性をコンセプト的に決めて、取捨選択する必要が出てきます。
その、「やむなく削ったけどほんとはこういうことも言いたかったのでは」みたいな著者の思い、編集の中で軽く触れる程度にとどめた裏事情なども、温度や匂いまで含めて、読解していけるようになりました。
(そして意外と、著者さんと直接、会う機会も、東京で業界の末端でもウロウロしてるとわりとあるのですが、自分が感じたことを話すと『そう!分かる?わかってくれたんだ?』と驚かれ、喜ばれたりします。著者冥利と言う感じなのかな)

それで今度は、先に自分が知りたい内容を中心に据えて、そのために役立つ本はどれかを取捨選択して、(ある本1冊をご丁寧に最初のページから愚直に読んだりせず、目次を見てざっと全体を眺めて、どこらへんに何が書いてあるかまで把握したら)必要な部分だけをピックアップする、という学習の仕方が可能になりました。
ある意味、愚直にまずは基本を網羅した後でないと、こういう、効率的にいいとこ取りみたいな学習はできないものなんだ、ということも痛感しました。

急がば回れ、は本当でした。

ここでいきなりヒーリングの話になるんですが。

いま、私が教授を担当しているヒーリングモダリティを含め、現在提供されている何かしらのエネルギーワークの講座といったものは、わりと前提となる知識というかを「わかるでしょ?」と割愛していることが多いです。

だってまず、テキストがあるという時点で、「文字は読めるでしょ?」という点はクリアした人向けなわけですよね。
これ、ふざけてるわけじゃなくて。実際、文字が読めない、言葉がまったくわからないと、講座に出ても何も学べないですよね?
それを極端な例として述べたまでです。
これが、徐々に高度になっていって、たとえば「口から入った食べ物を胃や腸など消化器官で分解、栄養を吸収して排泄器官から残りカスを出す」ということも、テキストでは説明はせず、前提としていきなり、消化についての記述が出てきたりする。
その、「前提」としてわざわざは解説されていない、ある部分、ある段階の知識や概念が実は抜けているのに、なんとなくフンフンといってわかったつもりでセミナーを受けてると、自分がそこで理解が抜けた部分があるということすら、本人が気づいておらず、それが原因で挫折したり、そのセミナーで学ぶ内容が理解できなくなったりしていく。

これ、すっごいあるんです。

わからない、ならまだ可愛い方で。

問題は、誤解のほう。

「ふんふん、あー、ようするに『〜〜〜』って意味でしょ?前に別の本で読んだことあるわ」

といって、実はそれ違うよ、という理解になる。

そこに本人の意向というか固執、「たとえそれが誤謬であっても、〜〜〜だと信じていたい」という思考が入るともう絶望的。

それが積み重なって、セミナーの修了証コレクターとしては見事なまでにあらゆるセミナーに出ておいて、正しい霊的理解も実技の習得もてんでできてない、困ったちゃん(そのくせ、プライドだけは高い)が誕生するわけです。

基本のキから抜け・漏れ・誤解を探していく作業は、それだけである意味では、骨の折れる、とても無駄な作業のように思えますが。

あー。。。。

無駄かもね。

やめたほうがいいよ。

だってもう○歳じゃん?

時間ないよ?

間違いに気づいたからって、今から引き返してご丁寧に分からないところを学び直すなんて、無理じゃない?
やるだけ無駄だよ。
どうにかこのままで、ゴリ押しした方が賢いって。どうにかなるって!

っつって?(全力で失笑)
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