2019年01月

恩恵としての戦争

ツイッターで書いたことをまとめてみます。


天界目線で言うと。

人類の生きる現実社会は、それぞれが様々な波動をアレンジして表す、創造主がいかに偉大かを示す場として創設されています。
だから人類がたくさん、個々人の創造性を働かせて新たな何か、その人ならではの何かを生み出す、考えて感じることが大事なんです。
乳牛の搾乳量的に。

で、なんとなく楽チンだと、人はサボる。
何もしない。だらける。怠ける。

それだと、搾乳量が増えないんです。

だから、戦争や、誤解に基づくすれ違い、その結果起きる喜怒哀楽といった「刺激」を、社会全体にもたらすことで、人は命を輝かせ、何かを主張したり、戦う中で主義を確立したりします。

つまり、ドライな言い方をすれば、戦争やあらゆる誤解、貧困、病気などによる不幸は

それが、人間に何かを生み出させるのに役立つから

生じているにすぎません。

そして輪廻転生システムがバグなく運行されている以上、ある肉体で生きて悲惨な死に方をしても魂としては来世へ行けるから無問題扱い。

これからも、もしそれが役に立つのであれば、戦争でもなんでもいくらでも起きるでしょう。
わけのわからない政治家がトチ狂った政治を行い民衆が戸惑い苦しめられるとか、ブラック企業が横行するなども。

だってそこで影響を被る人間は、そうなりでもされないと何もしないから。鞭打たれ競走馬向け。

この世に生きる人間みんなが、戦争という刺激のみによって活性化される部分をまったく持たなくなれば、つまり意味がなくなるので、戦争は起きません。
そういうこと。

裏を返せば、その刺激がないと輝けない段階の人間が一定数以上いれば、局所的にでも全世界的にでも、いくらでも戦争は起こります。

短期的に日本を見れば、高度成長期とされる時期や、その後にバブルと呼ばれる狂乱?の時期にせよ、そこで没頭してみんながバリバリやってるときは、つまり乳牛の搾乳が順調だったので、戦争という刺激は必要ありませんでした。
が、21世紀になり、なんとなく発展し尽くし、大人もヒマになり、だらけ。

以前ほど切実に命がけで人々が何かに向かって、あるいは何かに没入して生きることがなくなった。

無理しないでいいよ、ラクになろうよというのが、以前よりも命のエネルギーの発露を低くする意味合いで多くの人の間に広まった。

ここでうまく、心や体を酷使はしないけど魂として輝く方に行けた人はOK

問題は、余裕ができた分、だらけるだけになった人の方。

宇宙の今の仕組みは、完璧なので、何かが余ることを許容しない。

だから、だらけた人が、何か感じたりして命を輝かせるために刺激を用意する。(そしてそれはほかならぬ、だらけた人たちの内なる神としての願い。誰かが罰するわけじゃない)

何も戦争や、そこに向かっていくキナ臭い情勢である必要はない。

例えばほんとにみんながユーチューバーだかなんだかに没頭して一大マーケットを創出し、金でもなんでもそこで回せるでしょとなれば、社会の仕組み自体がおのずとそこに合わせたり助成したりする流れになる。

霊的成長も現世の経済も◯

だけど、そうじゃないと。

あくまでも、誰かから怒られたり、このままじゃやばいという生存の危機を感じたりでもしないと、何も本気ではしないとなると。

「ダメな私を叱ってくれる、恐いものが必要。だらけないように私をビシッと根性叩きなおして!」

とその人の深い部分が思い、黙示録の騎士が。

かくて、戦争、疫病、貧困といった王道の刺激が、堕落しかけた人類に喝を入れに来るわけです。

うまくできてるでしょオー?

そして今。

ディセンションした世界で堕落しかけた幼稚な人類はまた、そんな自分たちを叩きなおしてくれる強い刺激を求め始めている。

みんなの第一希望の願いは必ず叶う。

ふぅ〜ん、って感じね。
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